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春の夜風。
四月に入り、瑞々しい新緑の若葉にうららかな日差しが降り注ぐようになったこの時期、日中の陽気はすこぶる穏やかだ。無為怠惰を生活の旨とするあたしですら、気を抜くと「ピクニックにでも行きたいなぁ」なんて口走ってしまいそうになる、そんな今日このごろ。自然界における恒久不変の快適さなど存在しないのだということをあらためて胸に刻み直し、いつ失われるかわからない快然たる陽光を、一筋も無駄にせず惰眠に充てていきたいと固く誓う日々である。
要するに何が言いたいかというと、
「まだ夜は寒い」
「そうだねぇ。わたしも、もっと厚手のコート着てくればよかったよぉ」
右に同じ。まだナイロンブルゾン一着では、夜気をしのぐのは厳しかったか。とはいえ普段こんな時間に外を出歩く習慣はないし、体感温度の予想を見誤ってしまった自分を責めることはできない。
「お。着きましたよ」
あたしたちの一歩先を歩く咲がそう声を上げる。こいつはあたしやまなよりもさらに薄着で来ているが、寒くはないのだろうか。ちなみに、一応正式に新入部員として扱うことが決まったわけだし、いつまでも他人行儀なのも、ということでおたがいを下の名前で呼ぶことになった。
「ここが……」
「こんな近くにあったんだねぇ。初めて来たよ」
よ、と咲が背中のリュックから懐中電灯を取り出す。
「じゃ、行きましょうか」
懐中電灯の光に照らされる道を、咲の後について進む。時刻は夜十時を回ったところ。
やってきたのは公園墓地、いわゆる霊園だ。
花も恥じらううら若き乙女たちがこんな夜更けになぜ霊園に、という事情を説明するために、話は三日前に遡る。咲から霊体に関するなんやかんやを教え賜った日の、次の活動日のことである。部室には新生霊球部員三人がいた。
「うーん……やっぱり出ませんねぇ……」
なにもない空間に手のひらを向けて立つあたしに向かって、咲が首を傾げて言う。
「やっぱり、精神パワーが足りないの……?」
「そうですねぇ……自分も、実際に霊体が出ない人を見たのは初めてなので、なんとも……」
まなと咲が眉を下げた顔で言葉を交わす。扱いに困る問題児になった気分。二人にこんな顔をさせてしまい申し訳ないが、自分としてもどうしようもない。
「弥里先輩。もっとこう、前向きにいきましょう! なんていうか……やる気を出してください!」
ついに、下級生からやる気を出せとまで言われてしまった。そんなこと言われてもなぁ。やる気なんて、出さなければ出さないだけいいですからねぇ。
「よーしやるぞー」
「……なんですか、それ?」
「やる気を出した音」
棒読みのやる気出す宣言に対して、だめな人を見るような目で見られる。実際だめな人なので、抗弁の言葉は特にない。
その後も何度か試してみたが、霊体が現れることは一向になかった。痺れを切らしたように、咲が「はぁー」とため息をつく。
「もう、どうすんですか。来週末に大会があるのに、このままじゃ出られないですよ」
「え、大会? そうなの?」
「……なんかうれしそうですね」
咲は腕組みをし、うーんと唸る。そして鼻からフンと息を吐き出し、
「こうなったら、最終手段しかないですね」
「そうだね。残念だけど、大会への出場は見送ろう」
「なに言ってるんですか。霊球の大会なんて、そうそうないんですよ? これを逃したら、次はもう当分先になります」
ほう。それはよいことを聞いた。
「でも現実問題として、あたしの霊体は出てこないわけじゃん。誠に遺憾だけれど、今回は諦めるしかないよ。どう? 咲ものんびり、じゃがりこでも――」
あたしの手からじゃがりこをさっと奪い取り、咲は言った。
「いいえ。だから、最終手段に頼るんです」
そしてじゃがりこを一本つまみ、口に入れる。食べはするらしい。
「最終手段って?」
「霊体をレンタルしに行きましょう」
「暗いんで、足もと気を付けてくださいね」
先を歩く咲の後について歩く。たしかに、咲の懐中電灯の明かりがなかったらなんにも見えなそうだ。初めて来たけど、夜の霊園ってこんなに暗いんだ。
「なんか、いかにもなにか出そうな雰囲気だね。怖いね」
言葉とは裏腹に、まなの顔は至極楽しそうだ。目的を考えれば今夜はあたしと咲だけでよかったのだが、夜の霊園に行くと聞いてついてきた。あたし自身は特別ホラーやオカルトが好きということはないが、苦手ということもない。いまこの瞬間に関して言えば、おばけより寒さに震えている。
「う、うわぁ‼」
突如聞こえてきた大声にビクリとする。見ると咲の懐中電灯が地面に転がっていた。
「ど、どうしたの?」
「い、いま、なにか……」
懐中電灯を拾い、震える手で咲は前方を照らす。すると数メートル先の墓石の隅から、ひょこっと小さな物体が顔を出した。
「かわいい」とまな。いやかわいくはない。が、あれは、
「ネズミじゃん」
咲のほうを見る。咲は引きつった口許を無理やり捻じ曲げるようにして笑い、
「あ、あはは。失礼しました。先を急ぎましょう!」
と、やけに大股で歩きはじめる。へえ、そうなんだ。ふーん。
足音を殺し、咲の背後に近づく。暗闇に浮かぶ白い首筋をそっと指でなぞってみる。あ、あぎゃあぁぁぁぁぁ‼ という悲鳴が夜の霊園に響き渡る。ご、ごめんなさい、ごめんなさい、と何に対してかひたすらに頭を下げる咲。思わず、ククッ、と笑いがこぼれそうになる。
「ちょっとみーちゃん、やめなよ。かわいそうじゃない」
顔を上げ、事の次第に気づいた咲は、睨むような目であたしを見てくる。許せ後輩、ちょっとしたいたずら心だ。




