6-3-1
弥里、弥里。
聞こえてきた声に振り返る。女の子が立っていた。同じ陸上部の部員。
「まだやるの? もう暗くなってきたけど」
言われて、辺りを見た。オレンジ色の太陽が見える。
「うん。まだちょっと、気になるところがあるから」
「そっか」
と彼女は曖昧に首を振る。後ろに他の部員たちも立っているのを見て、気づいた。ああ、そうか。彼女たちはもう帰りたがっているのだ。
「いいよ、先上がって。片付けとか、やっとくから」
「……」
一瞬、沈黙があったような気がする。その間、彼女がどんな顔をしていたかは覚えていない。次に思い出せるのは彼女の笑顔だった。夕日に照らされた、少し困ったような笑顔。
「……そっか。ごめんね」
そう言って、彼女は去っていった。ほかの子たちも。自分は何に対して「ごめん」と言われたのだろうと思った。片付けを任せたことに対してだろうと当時のあたしは結論付けたはずだ。
あたしは練習を再開した。二度走るころにはもう、彼女たちのことは忘れていた。
「弥里先輩!」
咲からパスを受ける。前から椛上。シンタに視線を向けつつ、あたしは左前方にパスを出した。走り込んできたまながボールを受け取り、ゴールを決めた。
「ナイスゴール!」
まな、咲とハイタッチを交わす。
「……」
椛上が審判にボールを投げて寄越す。
これで八対十。二点差まで迫った。自陣に戻り、相手陣地を見やる。狐火はいない。
推測も込みだが、タヌキの能力に関して新たに一つのことがわかった。どうやらあのタヌキ、例のエネルギー供給能力を連続しては使えないようなのだ。
正確には、供給しつづけることはできるが、一度中断されてしまうと再開までに一定の時間を要する(のだと思う)。考えてみればそれもタヌキ、つまり霊体の能力なのだから、使用後はクールタイムが必要、ということなのだろう。
それが証拠に、あれ以降いまだ狐火は出てこない。狐火さえいなければ、明泉は与しやすい相手、というわけではない。しかし鉄壁の戦術が崩され、相手も焦っているのだろう。前半よりも明らかに攻め入る隙が多い。
「さあ、このまま一気に追い付くよ!」
オゥ、と声が返る。ホイッスルが鳴り響く。
忍者から前髪へパスが渡る。前髪から入道へ。入道は小宮にパスを出す。
小宮の動きは格段に良くなっている。実際に手を抜いていたのかはわからない。けれど少なくともいま、彼が全力でプレーしているのはわかる。
小宮が忍者にパスを出す。――と、見せかけて、これはフェイントだ。しかしそれにまながうまく対応した。小宮からボールを奪う。まな、すごい!
まなからヒューイにボールが渡る。
「ひゅい、ひゅいー!」
ヒューイが腕を振りかぶる。よしこい、相棒。
ヒューイからのロングパスを受け、全力で走る。椛上が来る。狐女も。なら、あとはまかせた。
あたしからのパスを受け、シンタがゴールを決めた。
「ナイスぅ!」
「ガゥガゥ!」
身を屈め、低いハイタッチ。
「……ない」
背後から声が聞こえた気がして、振り返る。ボールを持った椛上がゴール前に立っているのが見えた。顔を俯かせ、ぶつぶつとなにか呟いている。
「認めない……認めない……わたしが……こんな……」
「……」
見なかったことにし、去ろうとする。と、
「あのぉ、ボール……」
「――ッ!」
「ひっ」
と、椛上に睨まれた審判が情けない声を上げるのが見えた。よく見れば一回戦であたしに吠えられた審判だ。災難続きで申し訳ない。
ともあれ、これで九対十。あと一点で同点に追いつく。いい流れだ。でも気は抜かない。いつまた狐火が現れるかわからない。自陣に戻り、位置につく。そのときだった。
「小宮ァッ‼」
低く、鋭い声が敵陣後方から響いた。その出どころがわかっても、それが椛上のものだとはすぐに信じられないような、ドスの利いた声。
「は、は、はいっ」
小宮が慌てたように返事を返す。と、一転落ち着いた、けれどよく通る声で椛上は言った。
「フータの霊力を、リンネに送りなさい」
「えっ。……ちょ、ちょっと、ちー――椛上さん、敵が聞いてる前でその話はマズいよ……」
「もうバレてるのよ。構うことないわ。それより、聞こえなかったの? 霊力を送って」
「でも、まだ能力は……」
椛上の声が苛立ちをはらむ。
「鈍いわね。同じことをやっても、また妨害されるだけよ。いまあるフータの霊力を、すべてリンネに送れと言ってるの」
「す、すべて……?」
困惑したように、小宮が言葉を継ぐ。
「そ、そんなことしたら、フータが……」
「いいから! さっさと霊力を寄越しなさい‼ もう勝つにはこれしかないのよ! それとも、また元の部のときみたいに、なんの結果も残せず役立たず呼ばわりされたいの⁉」
ぴくりと小宮の体が一瞬震えたように見えた。逡巡するように顔を俯かせると、タヌキのほうに向き直り、言った。
「……フータ、頼む」
タヌキがこくりと頷くのが見える。くるっと狐女のほうに体を向けると、その丸い手を前に掲げた。
「プ、プクプクプクプクゥ……」
なにやら唱えるように声を発しはじめる。するとタヌキの手から白い光が放たれ、狐女の体に吸収されるように消えた。ぽてり、とタヌキが地面に落下する。
「フ、フータ……!」
小宮が駆け寄っていく。抱き起こし、一緒にコートから出ていった。……よかった、死んではいないみたいだ。代わりにボブヘアの女子と耳の長いでかいウサギのような霊体がコートに入ってくる。選手交代のようだ。
そして――
「リンネ」
椛上が言うと、狐女は両手のひらを合わせる。その周りに青白い六つの火の玉が現出した。気のせいか、さっきよりも火の勢いが強くなった気がする。
「チッ、また……」
辰樹の声。
「大丈夫! さっき散々、動きは見てる。対応できるはず。ビビるな、辰樹!」
咲が言う。「ああっ⁉ ビビッてねえよ!」と辰樹が返す。
そうだ、咲の言うとおり。狐火の動きは一度学習済み。軌道を読みながら戦えば、さっきのように一方的な展開にはならないはず。
「やるよ、みんなっ!」
「オゥ!」
ホイッスルが鳴る。
しかし、
「……?」
どうしたのだろう。敵が攻めてこない。ボールを持つ忍者も、ほかの選手も、みな時が止まったようにその場に立ち尽くしている。
「な、なに……?」
まなが呟く。本当に、なんだこの状態は。……とにかく、こっちまでぼうっと突っ立っているわけにはいかない。攻めてこないのなら、こちらから――
「フフ……」
椛上が笑ったような気がした。するとふいに忍者がボールを投げた。ボールは入道に渡り、さらに狐女へと渡る。しかしやはり攻めてくる様子はない。全員、その場から動かず立っているままだ。
「なんなの……?」
思わず言葉がこぼれた、そのときだった。狐女の背後に浮いた狐火たちが、ボールの周りに円を描くように集まった。狐女がまた両手のひらを合わせる。そして、
「ケーーーーーン――」
と高い声で鳴いた。山びこのような残響。するとボールが狐火と共に空に向かって上昇しはじめた。
「なっ……」
と口から発したときには、ボールはすでに地上五、六メートルくらいの高さを飛んでいた。それを運ぶように周りを囲む狐火。センターラインを越え、ふよふよとこちらのゴールに向かって直進していく。
みんな、呆気にとられたように動けなかった。ディフェンス陣の頭を越えると、狐火はすぅーとゴールの上に降りた。コロン、と皿の上にボールが載る。
ピィーーーッ!
遅れて、ホイッスルが鳴り響いた。




