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ということが先日、あった。
部室棟地階への階段を下りながら、向き合わなければならない問題について思考を巡らす。
今城咲。結局あの後、彼女の入部を認めてしまった。とりあえず本格的な活動は次回から、とその場はなんとか誤魔化し帰ってもらったものの、その「次回」に当たる今日、あの電波少女に対する対応を結局なにも思い付いていない。
霊球。彼女に合わせ、その架空のスポーツが本当に存在するものとして、新生霊球部の活動を始めていくべきか。いやいや、絶対に嫌だ。そんなおままごとやコントみたいなことをするために、あたしは霊球部を作ったわけじゃない。とはいえその実態を彼女に晒して、嫌気がさして辞められてしまっても困る。あんな目的も存在意義もない無気力部活動、誘ったって他に入ってくれる人なんているわけない。
部員数最低三人。そのノルマを達成するためには彼女の存在は必要だ。でもこれまでどおりの活動を続けていくためにはきっと、彼女の存在は邪魔になる。
どうする……。前述のとおり、この蔟井西高校は原則的に、全生徒なんらかの部活動に所属することが義務とされている。霊球部は、どの部活にも入りたくなかったあたしが、どうにかうまいことその身分を得るために作った有名無実の部活動だ。
だから名前は「霊球部」とした。なにもない、からっぽ、というイメージの「霊」と、庭球とか籠球みたいな、何らかの球技を彷彿させる「球」の字をくっつけて。「無益部」「空虚部」とかでもよかったのだけど、それだとどうにも部活っぽくないし、さすがにあんまりな気がしたのでやめた。
とにもかくにも、目下の問題は新入部員・今城咲。あの電波少女への対応を何か考えないと、今後の部の存続が危うくなる。いまさら部を解体して、既存の部活に入りなおすなんて絶対にしたくない。
とはいえ、どうするか――。
などと考えているうちに部室に着いてしまった。念のため部活が始まる時間は、実際より三十分遅い時刻を伝えてある。それまでにまなと相談して、彼女の処遇を決めないと……。
ノブに手をかけ、ドアを開ける。
「希原先輩! おつかれさまです!」
手をビシッと横に揃え、頭を下げる今城咲の姿がそこにあった。
「い、今城、さん。もう来てたんだ……」
「当然っス! 三十分前行動っス!」
いやそれは早すぎだろ。茣蓙に座るまなが、「わたしが鍵開けようと思って来たら、もう部室の前に立ってて……」と苦笑いで答える。
「さあ先輩! 三人揃いましたし、今日の活動を始めましょう! まず何からやります? やっぱ、ランニングからっスか⁉」
はあ……やっぱり、こういうテンションでくるのか……。彼女のなかで「霊球」とは、どんなスポーツということになっているのだろう。うんそうだねランニングだね、とテキトーに合わせたら本当に走らされるのだろうか。やだよそんなの。汗なんて、かかなければかかないだけいいんだから。
「あのね、今城さん」
決めた。プランB。ここはやはり真実をもって彼女を説得せねばならない。それでもし辞められたら、そのときはそのときだ。「はい、なんですか⁉」と今城咲。うるさいな声。
「いい? よく聞いて。この前も言ったけど、『霊球』なんて競技はこの世界に存在しないの。この部活はあくまで、他の既存のどの部活にも入りたくないあたしのような生徒が、『部活に所属している』という形だけの既成事実を作るためのシェルターのような場所。実際には部としての活動らしい活動なんていっさいせずに、ただ漫画やゲーム、お菓子に囲まれた自堕落な日々を送っているだけなのよ」
今城さんは少しむっとした顔になる。
「先輩、またその話ですか? このあいだから、いったいなんなんスか、それ? ……あ、もしかして、試してるとか? 自分の霊球に対する熱意が本物かどうかを。だったら心配しないでください! 自分、本気っスから! この高校でのこれからの三年間、全力で霊球に取り組むことを誓います!」
「いや、そうじゃなくて……」
まいったな。こりゃ相当に重症だ。そんなこと誓われても困るよ。こっちはむしろ三年間、全力でだらだらしたいのに。
……しかたない。ちょっとやり方の方向性を変えてみるか。
「ねえ、今城さん。もし霊球が本当にあるっていうなら、なにかその証拠を見せてくれない?」
「証拠、ですか?」
今城さんは目をパチクリさせる。少し意地悪な質問かもしれない。でも、こうでもしないと彼女の頑固な妄想は解けない気がする。その存在を証明する根拠がなにもないことを明らかにして、霊球なんてものがこの世に存在しないことを本人自身に理解させるしかない。
今城さんはきょとんとした顔であたしをじっと見つめる。しかしすぐにニッと笑って、
「なるほど。そういうことですか」
「え?」
「もちろん、用意してありますよ。これのことですよね?」
と、制服のカーディガンの袖をめくり、腕を高く掲げた。じゃらり、と手首につけたものが音を発する。
「……数珠?」
「またまたぁ、しらばっくれちゃって。あ、そっか、これもテストですね? これは数珠じゃなくて、霊珠。霊球をやる者にとって必須のアイテム、ですよね?」
パチリと今城さんはウインクしてみせる。いや、「ですよね?」と言われても。なんだか知らないけど、意外と細かいところまで設定を作り込んでるんだな……。暇かよ。人のこと言えないけど。
「……ちなみにその、霊珠? どうやって使うの?」
「もー、先輩。自分を試しますねぇ。なんだかだんだん、楽しくなってきましたよ」
それはなにより。あいにく、こっちはちっともだけど。
「わかりました。じゃあいま呼ぶんで、先輩、ちょっと下がってもらっていいですか?」
「呼ぶ?」
しっしっ、と手で追い払うような仕草をされ、なんだかわからないけど後ろに下がる。今城咲はなにやら目を閉じ、鼻からすーっと息を吸うと、口から深く吐き出した。……なんだ、何が始まるんだ?
両手を胸の高さで揃える。その両手のひらがぴったりと合わさった。ぶつぶつとなにかを唱えだす。念仏? 冷静に見れば、なにやってるんだろうこの子、大丈夫かな……、という状況だが、一方でその姿からはなんとも言えない異様な雰囲気も感じ取れた。目に見えないオーラに包まれているような……。
「……いでよっ!」
今城咲が言う。と同時に、彼女の目がカッと開かれた。いったいどんな仕組みなのだろう、手首の数珠(霊珠)が白い光を発する。その光が眩しくて、あたしは思わず目を閉じる。バチバチッ、と火花が散るような音が聞こえた。
「ひっ、ひぇぇぇぇぇぇっ‼」
という悲鳴が後ろから聞こえた。身を震わせ、怯えた顔のまなが正面に向かって指を差している。その方向を追うと、
――鬼がいた。つり上がった目、口から覗く鋭い牙、筋骨隆々とした肉体に、頭から生えた二本の立派な角――。
全身は真っ赤。いわゆる、お話の中に出てくるイメージどおりの赤鬼だった。それがいま、あたしのすぐ目の前に立っていて、その鋭い眼光をこちらに向けている。
「……ぎ、」
ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁっ‼ と遅れて出た悲鳴はたぶん、まなのそれより数倍大きかったと思う。




