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「ほぉ、茣蓙ですかぁ。ほおほお、ふんふん」
と、女子生徒は一人ぶつぶつと呟きながら右へ左へと歩き回る。不動産の内見でも始まったのか。室内にあるものを興味深げに眺めている。
実際、この部室には物が多い。それは元々この部屋が倉庫として使われていたためで、勝手に床に敷いている茣蓙をはじめ、体操競技用と思しき巨大なトランポリンや古いラクロスのクロス、柄の長い草刈り鎌など、部活動に関係ありそうなものからなさそうなものまで、種々雑多な物品がそこかしこに収納あるいは放置されている。
ただ、いまそれらを、不動産の内見よろしく彼女に愛想よく紹介してやる義理はない。オホン、とあたしはわざと大きめに咳払いをした。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
女子生徒はそこで初めて気が付いたように、
「あ、すいません。自分、一年の今城咲っていいます」
うん、とあたしは頷く。彼女が一年生であることは、彼女を初めて見たときから気づいていた。蔟西では学年ごとに制服のスカーフと上履きの色が違う。あたしたち二年生の赤と違って、一年生のそれらはどちらも黄色だ。
「それで?」とあたしは先を促す。
「はい。自分、霊球部に入部したいと思って来ました」
「……は?」
「入部希望っス! 自分をこの霊球部に入れてください!」
ひと際大きな声で彼女は言う。いや、聞こえなかったわけではない。言っている言葉の意味が理解できなかったのだ。うちに入部したい? どうして? どういう罰ゲームで?
「ええと……今城、さん? うちの部に入部したいってことだけど、それは、どういう……?」
「はい! 自分、霊球というスポーツに非常に興味があるっス! 自分も戦力に加えてください!」
「――」
……驚きはしたが、なるほど事情はわかった。要するにこの子は、この世に「霊球」という競技が本当にあるものと思い、当部室を訪ねてきてしまったということらしい。なんと哀れな。そして申し訳ない。
ただ、考えてみればこういった事態は充分に起こり得ることではあった。特に彼女のような、この春入学したばかりの新入生にとっては、部活紹介資料などで「霊球部」の名を目にして、実在するスポーツの部活なのだと勘違いしてしまうことはけっしてあり得ない話ではない。
「ところで、部長さんはいまどちらに?」
今城さんが訊ねてくる。
「ああ……一応、あたしだけど」
「先輩が?」
と、向けられるなぜか訝しげな視線。なんだか知らないが、とても失礼な感じだ。失礼といえば向こうにだけ名乗らせっぱなしというのも失礼なので、希原弥里です、と名乗る。
「希原先輩。ちなみになんですけど、こちらの霊球部のこれまでの実績って、どんな感じですか?」
「え、実績……?」
今城さんはトロフィーでも探すように室内にキョロキョロと目をやる。残念だが、生憎そんなものはない。答えられるのはこれまでに読んだ漫画の冊数か、食べたじゃがりこの本数か……いや、それにしたって覚えてない。
「あの、今城さん」
とにかく、早く誤解を解かなければならない。そんな部活はないんだよ、と。そして謝らなければならない。紛らわしい部活作っちゃってごめんね、と。
「申し訳ないんだけど、霊球なんて競技、本当は存在しないの。霊球部っていうのは、新しい部を作るにあたって、あたしがテキトーにつけた名前で……」
説明を聞きながら、今城さんはきょとんとした顔になる。そして言った。
「なに言ってるんですか? 霊球は実在しますよ」
「――は?」
「霊球は存在します。だって自分、実際にこの目で見たことありますもん。ずっと自分もやりたいなあって思ってて、でもうちの中学には部活がなくて……。それで、高校に入ったら自分で部活を作ろうって思ってたんですけど、入ってみたら、あらびっくり。もう既に霊球部があるじゃないですか! これは入部するしかないですよね。というわけで、これ入部届です。よろしくお願いしまーす!」
と、今城さんは深く腰を折り曲げ、手に持った紙をあたしに押し付けてくる。い、いやいや、待って。いったい何を言ってるんだこの子は。霊球が実在する? 実際に見たことがある? んな馬鹿な。そんな珍妙な名前の競技、古今東西聞いたことがない。
……きっとあれだ。この子はおそらく、いわゆる電波ちゃんなんだ。この世に存在しない競技を実際にあるものと想像しているうち、現実と妄想の区別がつかなくなっちゃったんだ。申し訳ないけれど、そんな子を我が霊球部に入部させるわけにはいかない。ここはあたし(と、まな)にとっての聖域。放課後、家に帰るまでのなんとも言えない持て余した時間を無為に消費するための場所。奇矯な闖入者によって、あたしの平和を脅かされるわけにはいかない。
「今城さん。ええと、あのね、どうかわかってほしいんだけど、この部活はあくまであたしが適当に作った架空の部活動なのであって……」
「みーちゃん」
「だからもちろん、霊球なんて競技は実在しない……いや、実在するってことにしてもいいんだけど、それをうちの部で一緒にやるのは不可能というか……」
「みーちゃん!」
声に気づき、振り返る。まなが後ろに立っていた。
「その……今城さん、入部してもらったほうがいいんじゃないかな……?」
「え、えぇ?」
まなの肩に腕を回し、声をひそめる。
「ちょっと、なに言ってんの……⁉ あんな子を入部させたら、あたしたちの平和が――」
「あ、あのね、いま思い出したんだけど、さっきみーちゃんが来る前に、部室に航士郎くんが来たの」
「航士郎が? なんで?」
「う、うん。直近の執行部会で新しく決まったから見といてくれって、これを」
と、まなから一枚の紙片を手渡される。「生徒会からみなさんへ」と題されたプリントの下方、まなが指で示した箇所にはこう書かれていた。
『今後、全部活動において、部員数最低三名をその成立要件とする』
「最低、三人……」
まなを見る。と、あたし。そして……
「よろしくお願いしまーす!」
今城さんが入部届を手に、腰をさらに深く折り曲げていた。




