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リンゴンランゴン――。
チャイムが鳴る。まだ声のやまない教室も、ガラガラと扉の開く音が聞こえると、途端に静かになる。特別厳しい先生だった記憶はない。それでも生徒のしつけがうまい先生だったのか、単にあたしたちがおとなしい子どもだったのか、真相は定かじゃない。
先生は教卓につくと、持ってきた分厚い封筒から紙の束を取り出し、机の上に置く。
――このあいだのテストを返却します。
先生のその宣言に、みんなは特にこれといった反応を返さない。小学校のテストなんてそんなもの。いや、もしかしたらなかには、この時間に対して特別な感情を湧き立たせている子もいたかもしれない。少なくともあたしはそうだった。学校でテスト返しがあった日は、寄り道をせず、まっすぐ家に帰った。
実際には、早く帰宅したところですぐにその目的は果たせない。夜になり、母が仕事から帰ってくると、あたしは弾かれたように立ち上がり、その日返されたテストを見せに行った。
――まあ、また百点? 弥里は本当に頭がいいねぇ。
仕事で疲れているだろうに(なんて、当時のあたしには気づく由もなかったが)、母は毎回ことさらにあたしを褒めてくれた。父はあたしが幼いころに亡くなった。写真は残っているが、記憶はない。気づいたときには母が女手ひとつで子ども二人を育てる環境になっていて、母が不在のときはあたしが弟の面倒をみるのが習慣になっていた。百点のテストを見せて、母があたしの頭を優しく撫でてくれるこの瞬間、あたしは母の「子ども」になれたような気がした。
仕事で不在がちな母にあまり構ってもらえなくてさみしい! と、はっきり自覚した記憶はない。でもたぶん、内心ではさみしかったのだろう。百点のテストを見せたり、学校で二重跳びが何回できた、という話をすると母は、
――すごいねぇ。それじゃ今度の授業参観、お母さんやっぱり仕事休んで弥里の活躍を見に行っちゃおうかな。
なんて言ったりするものだから、あたしは余計に頑張った。あたしが頑張れば頑張るほど、母を学校に近づけさせられるような気がしたのだ。結果的に母は授業参観には毎回来てくれたし、おそらくあたしが特段学校で頑張らずとも、普通に頼めば来てくれていたんじゃないかといまなら思う。あたしの性格を承知で、母はあえて黙っていたのかもしれない。あたしは母の手のひらの上で転がされていたのだ。さすがは親。
いずれにせよ、そういった子どものころの経験が、その後のあたしの人格形成に影響を与えたことはほぼ間違いない。それが最終的に航士郎の言う「殺人鬼」を生み出すことになってしまった、という言い方をすると、自称美談が一転ワイドショーのひとコマに変貌してしまうのだが、要するにあたしは「褒められたい」の一心で頑張るタイプのお子さんだったのだ。そしていつからか芽生えた自尊心がそこに「義務感」を植え付けた。
グラウンドは砂の海だ。旅立つ八隻の舟。待ち受ける荒波、嵐、どんな困難をもこえていく。それぞれに、しかし目指すものはひとつ。蔟井西高校霊球部、いざ出航!
「あ、あの」
さっそく錨を下ろされた。なんだよ、せっかく決勝に向けて気分を盛り上げようとしていたのに。
振り返る。と、そこには一回戦のあと椛上に叱責されていた例の小柄男子が立っていた。
「ええと……?」
「あ、す、すみません急に。ぼ僕、明泉高校三年の小宮純といいます」
さ、三年生? 見た目や椛上の彼に対する態度から、てっきり一年生だと思っていた。それがまさかの、三年生。とりあえず、あたしも頭を下げ、希原弥里ですと名のる。
「あ、あの、さっきは、その、ありがとうございました」
「え、ああ、いや。……っていうか失礼ですけど、あなた本当に三年生なんですか?」
「あ、はい、一応。よく二年生と間違われますけど……」
アハハ、と小宮(先輩)は頭を掻く。二年生どころか、あたしは一年生と間違えましたけども。
「三年生なら、もっと言い返したりしてもいいんじゃないですか? 相手、二年生なんだし」
「いや、実際に試合でミスをしたのは僕だし……途中から入った僕は、部内では後輩みたいなものだから……」
はあ、と相槌を打つ。まあ、なんか事情があるのね。だとしても、そこまで卑屈にならなくても、とは思うけど。
「それに、ちーちゃんは、僕に居場所をくれた人だから……」
「ちーちゃん?」
「あ。そ、その……僕たち、幼なじみなんです」
そう言って小宮はぽっと頬を赤らめる。……ほーん。椛上のほうがどう思ってるかは知らないが、やめといたほうがいい。きっと尻に敷かれるぞ。
「なにをやっているのかしら、小宮先輩」
噂をすれば影。椛上がこちらに歩いてくる。
「試合前に敵と談笑なんて、呑気なものね。ま、おたがいに、だけど」
そう言ってあたしをちらと見る。「ご、ごめん、ち――椛上さん」と小宮くんはぺこぺこ頭を下げる。うん、絶対やめといたほうがいい。
「談笑なんてもんじゃない。ちょっと挨拶してただけだよ。それとも強豪・明泉高校さんは決勝を前にして、試合前に敵と話をすることもできないくらい余裕がないのかな?」
「少なくとも、ぽっと出の弱小チームと話をする必要性は特に感じないわね。得るものも何もなさそうだし」
たがいに睨み合い、視線の火花が散る。間に挟まれた形の小宮が「ひっ……」と小さく声を上げる。
「だいたいあんた、この期に及んでまだ自分の霊体出してないわけ? もうすぐ整列の号令かかるってのに。試合前に見せないのは作戦、みたいなこと言ってたけど、本当は単に自信がないだけなんじゃないの?」
「下手な挑発をしたって無駄よ。それこそ、あなたの作戦なんでしょう? ……ただ、そうね、もうすぐ号令がかかるのは事実。そんなにお望みなら、一足先に見せてあげるわ。わたしの霊体、リンネの姿をね」
そう言って椛上は両手のひらを合わせる。召喚に際する動きはあたしたちと変わらない。閉じた手が開かれ、眩い光が放たれる。
白い光のなかから、白く長いものがさらりとたなびいた。白、というより、白銀に近いのか。現れたのは女の子だった。あたしたちと同い歳くらいの。輝くような白銀色の髪と、透き通るような白い肌をもつ、白い着物を着た女の子。
「紹介するわ。わたしの霊体、白狐のリンネよ」
「……白狐?」
言われて見ると、女の子の頭からそれらしき耳がぴょこっと生えている。さらにお尻の辺りからはふさふさした大きな尻尾が。なるほど、狐。というよりこれは、そういうコスプレをした女の子……いや、そんな安っぽい感じとは違う。認めるのは癪だが、たとえば椛上は間違いなく美人。しかしそんな椛上をも圧倒するほど、なんというのだろう、住んでいる世界が違うというのか、次元が違うというのか、幻想的で、神秘的ですらあるその姿は、その、つまり……
「ふ、ふつくしい……」
いつのまにか後ろに立っていた咲が、吐息まじりの声を洩らした。思わず、うん、と頷いてしまいそうになる。これが、椛上千歳の霊体……。
クスッ、と椛上が小さく笑うのが聞こえた。
「よろしくね」
そう言って去っていく。小宮も後に続いた。
傍らに浮いている我が霊体に目をやる。今日の大会、霊体ビジュアルコンテストとかじゃなくてよかったね、と思いながら見ていると、なんだよ、という目でヒューイが見返してきた。




