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手洗器で手を洗い、トイレを出る。
なんでもかんでも比べるのはよくないが、トイレひとつとっても、朧グラウンドとは質が違う。ここなら、ネズミの出現に怯えず着替えをすることができるだろう。……いや、トイレとはそもそも着替えをするための場所ではないのだから、設備の差よりその発想がまずむなしい。やはり比較するのはよくない。朧グラウンドさん、いつもありがとう。でもせめてトイレ掃除くらいはもっとちゃんとしてね。
来た道を引き返し、もといたグラウンドへ向かう。
「いけーっ! そこだ、走れーっ!」
近くのグラウンドから、応援のものと思われる声が聞こえてくる。どこぞの運動場と違って敷地面積の広い床代運動場には、複数のグラウンドがある。ゆえに今大会は別々のグラウンドで同時に複数の試合が行なわれている。白熱した一回戦か、早々に終わって始まった二回戦か。気になるけれど、自分たちの試合ももうすぐ始まるので、見に行っている余裕はない。
沿道を歩いていると、
「あなた、本当にわかっているの⁉」
また、近くから声。これは応援のものではない。そして聞き覚えのある声だ。見るとなにやら建物のわきに一組の男女が立っているのが見えた。一人は、あいつ。椛上千歳だ。
「じゃあなんなの、さっきの試合でのあなたのプレーは? もっと相手の動きを予測しなさい。目じゃなくて、頭で。勝てたからいいものの、二回戦からはこうはいかないわよ」
そばにあった木の陰から様子を見る。椛上は苛立たしそうに眉をつり上げていた。怒鳴られているのは小柄な男子。言葉の内容から察するに、直近の試合でのことについて椛上は怒っているようだ。
「せっかくレギュラーに置いてあげているのに、これじゃ使い物にならないわ。いま一度、自分の役割をしっかり認識なさい!」
男子は言われるがまま、申し訳なさげに顔を俯かせる。なおも言い募る椛上に対して、あたしは、ふーん、と思った。
言葉は強い。もっと言い方ってもんがあるだろう、とは思う。でも要するに、椛上はチームがより強くなるために怒っているのだ。ひいては、試合に勝つために。
あのクールビューティーにこんな一面があるとは知らなかった。繰り返しになるが、言い方が適切とは思わない。でもあの男の子が前の試合で本当にマズいプレーをしたのなら、それを注意することは必要だ。エース、部長……椛上のチーム内における立場は知らないが、要はその役割を彼女が買って出たということ。あるいは頼まれ、請け負ったか。
いずれにせよ、これはよそのチームの事情。やり方の正しさを判定するのはあたしじゃないし、客観的に見て、いまそれをこんなところで覗き見しているあたしの行ないのほうが明らかに正しくない。戻ろう。ひとはひと、うちはうち。比べるのはよくない。
「わたしの期待に応えられないようなら、この大会のあと、部を辞めてもらうわ」
背中越しに聞こえてきた声に、あたしの足は勝手に動いた。
「待ちなさいよ」
背を向け、その場を去ろうとしていた椛上を呼び止める。「あなた」
と椛上は驚いたように振り返り、怪訝そうに眉をしかめる。
「……どういうこと? まさか、盗み聞きでもしていたのかしら?」
「たまたま近くを歩いてたら、あんたの声が聞こえてきたんだよ。それより、いまのなに? 取り消しなさいよ」
「あなたこそ、突然現れて、いったいなんなのかしら? これはこちらのチームの話。部外者のあなたに口を挟まれる筋合いはないわね」
「それでも、言い方ってもんがあるでしょうが。この彼が試合でどんな失敗をしたかは知らないけど、なんであんたの期待に沿えなかったら退部しなきゃなんないのよ。そんなことまで、あんたに決定権あるわけ? チームは選手みんなのもの。あんた一人の所有物じゃないでしょう」
すると椛上は、ふっ、と口の端を歪めて笑う。
「それはどうかしらね」
「は? どういう――」
「みーちゃん!」
声がして、振り返ると後方にまなが立っていた。小走りで駆け寄ってくる。
「なにしてるの、こんなところで。もうすぐ二回戦が始まるよ」
椛上はフンと鼻を鳴らし、
「行くわよ」
背中で言い放ち、その場を去っていく。小柄男子は慌てて後を追う。
「……いまの、椛上さん?」
「うん。ごめん、まな。行こう」
まなと二人、グラウンドへ向かう。




