5-2-3
「うおっと」
辰樹がアリジゴクの罠を危うくかわした横を、カミキリムシ、もといマイマイカブリが素早く抜き去り、ゴールを決める。相手の四点目。こちらの得点は七点のまま変わっていない。
「よしよし。いいぞ、カロッサ」
相手の男子選手がアリジゴクの頭を撫でる。彼があの霊体の主人なのだろう。
「クフッ、クフフ……」
メガネがにやにやした笑みを向けてくる。いちいちこっちを見てくるな、鬱陶しい。
「み、みーちゃん」
まなが小走りで駆け寄ってくる。眉根を寄せ、困ったような顔をしている。
「なに、どしたの?」
「あ、あのね、相手チームの人が、……その、わたしが条件をのんだら、ゴールに張った巣を取り払ってやってもいいって……」
「――は? なにそれ? 条件って?」
訊くとまなはいっそう眉をしかめ、言いづらそうに口をもごもごさせる。恥ずかしさと嫌悪が入り混じったような表情。……あいつら、まなにどんな条件を突きつけたんだ。っていうかあのメガネ、「大事なのは結果」とか言ってなかったか? 試合の勝敗より別の何かを優先させてそうだが。まったく、とんでもないやつらだ。
「まな。わかってると思うけど、あいつらのクソみたいな取り引きに応じる必要なんかないからね」
「う、うん」
まなはこくりと首を振る。
蜘蛛の巣に覆われた敵陣のゴールに目をやる。
ホイッスルが鳴る。こちらの攻撃。パスで繋ぎながらボールを運ぶ。
どうせ得点できないと思っているからだろう、敵ディフェンスがまるでプレッシャーをかけてこない。どいつもこいつも、へらへらと似たような笑みを浮かべている。
シンタからパスを受け、そのままゴール前へと到達した。少し離れたところでメガネがこちらを見ているのが目に入る。ディフェンスもせずに、そんなところで。いいかげんにしろ。そのにやけた顔はもう見飽きた。
皿を覆う巣に向かって、手を振り下ろす。
「クフッ。突き破ろうというのですか? 無駄ですよ。我がアラネアの糸は、いかなる怪力をもってしても打ち破ることはできません」
黙ってろ。振り下ろす手に、あたしはいっそう力を込める。
――と、
「クフッ、クフフ……へっ?」
ブチンッ、と音がして、糸が破れた。そのまま、あらわになった皿の上にボールを叩きつけるようにして置く。
「審判っ!」
近くでぽかんと口を開けていた審判があわてて笛を吹く。得点成立だ。
「な……ど、どうして……」
唖然とした様子で、メガネがよたよたとこちらにやってくる。
「簡単なこと。これよ」
と、あたしはユニフォームの下から一本のスプレー缶を取り出して見せる。
「ク……『クモの巣除去スプレー』……?」
「うちの家、けっこう古くてね。たまに蜘蛛が天井の隅なんかに巣を張ってることがあるんだけど、そういうときにこれを吹きかけるの。すると巣が溶けて、掃除しやすくなる」
「溶け……つ、つまりあなたは、アラネアの作った巣にそれを吹きかけたと……」
「そう。さっきの攻撃のときにね。霊体にも効果があるかわからなかったけど、あんたが『蜘蛛の巣』だって言うから試してみたの。うまいこといって、よかったよ」
破れた蜘蛛の巣に目をやる。スプレーは、三点目を取られた後の攻撃の際にこっそり吹きかけておいた。糸が最初見たときより細くなり、とろんとしているのを見て、これはいけそうだとあとは腕力で押し切った。けっして、あたしが馬鹿力ゆえ突き破れたわけではない。
「ル……ルール違反、ルール違反ですっ‼ 霊球の試合において、そういった道具の使用はいっさい認められていない!」
そう言って指を向けてくるメガネに、あたしはフンと鼻で笑ってみせる。
「道具じゃないよ。これはね……」
と、手に持ったスプレー缶を軽く放り投げる。するとスプレー缶は宙でくるんと一回転し、ぼわんという煙とともにヒューイへと姿を変えた。
「ひゅいー」
「なっ、霊体――?」
「そ。うちのヒューイは物に変身することができるんだ」
ヒューイのその特技が発覚したのは約一か月前、あたしが部に戻って数日後の練習中。朧グラウンドのベンチがひび割れるというプチ事件が起き、修繕テープが欲しいなと思ったら傍らに転がっていた。貼ろうとしたら、ヒューイだった。
「あんた、そんなことできるの?」
驚いて言うと、ヒューイはどやっというように手を腰(?)に当てた。メメのワープのように後天的に身に付いたものなのか、とにかくそれがヒューイの能力だ。修繕テープはそのあとホームセンターに買いに行った。
「変、身……」
メガネがぽかんと口を開ける。姿だけでなく性質も変わるという意味では、変身というより変化かもしれない。言葉の定義は置いておいて、ヒューイのこの能力にはいろいろと制約もある。
一つには、ヒューイが姿を変えることができる対象は無機物だけ。人間や動物のような生物には化けられない。また、変化するにあたって、その物体がどういうものであるかを本人が把握している必要がある。要するに、実際に見たことがあって、構造をよく知っているものでないとだめ、ということだ。霊体が本人の分身であるとするならば、ヒューイが、であり、あたしが、でもあるのかもしれない。
我が家は母と弟の三人家族。前述のとおり、あたしも虫が得意というわけじゃないが、母と弟はそれが大の苦手。ゆえに家に虫が出たときは、消去法的にあたしがその駆除を担当させられる。件の蜘蛛の巣スプレーは日ごろからよく目にしているもの。なにかと成分表示を確認しがちな女でよかった。
「く……くぅぅ……」
メガネが悔しそうに歯嚙みし、傍らの蜘蛛に指図する。
「ア、アラネア! なにをしているのです! は、はやくもう一度、巣を張るのですよ! 今度はあんなスプレーなんかに負けない、うんと頑丈なやつをっ‼」
しかし蜘蛛は糸を吐こうとしない。「キィィ」と、いやいやをするように首を横に振る。
「ア、アラネア……?」
「あんた、昆虫に詳しいみたいだけど、この手の防虫グッズにはあまり詳しくないみたいだね。こういうスプレーにはたいてい、『忌避剤』ってのが含まれてるんだよ。一度スプレーを撒かれるとしばらくの間、虫は同じ場所に巣を作りたくなくなるんだ」
「キィィ……」
と、蜘蛛は申し訳なさそうにうなだれる。
「くぅ、くぅぅ……キィーッ‼」
蜘蛛の鳴き声かと思ったらメガネの声だった。憤懣やるかたないといった様子で地団太を踏む。
「み、認めないっ! 認めませんっ! 霊体の能力だろうとなんだろうと、道具は道具! 私は認めません! そんなものはルール違反! ズルです! この卑怯者っ!」
「――あ?」
大股で歩き、メガネの前まで行く。
「ズルだ? 卑怯者だぁ? どの口が言ってんだ、あぁっ⁉」
「ひ、ひぇ……」
迫力に圧倒されるように、メガネが上半身をのけぞらせる。
ピッ、と笛の音が鳴る。
「ちょ、ちょっときみたち、早く位置に戻って……」
「あぁっ⁉」
「ひっ……」
「み、弥里先輩、落ち着いて」
駆け寄ってきた咲とシンタになだめられながら、位置に戻る。グルルルル……と声がして、シンタの唸り声かと思ったら、自分の声だった。
メガネが呆けたような顔で立ち尽くしているのが見える。この国に法律がなければ鉄拳の一発でも喰らわせてやりたいところだが、しかたない。代わりに霊球で、徹底的に、完膚なきまでにたたきのめしてやる。
もちろん、正々堂々と、ね。




