5-2-2
「――⁉」
相手ゴールの前で立ち尽くす。皿を覆うようにして白い糸のようなものが網目状に張り巡らされていた。これは――
「蜘蛛の巣です」
振り向くと、不気味メガネが近くに立っていた。
「く、蜘蛛の巣……?」
「クフッ。そう、我が霊体、アラネアのね」
とメガネは、後方にいる巨大蜘蛛のほうに目をやる。
……なるほど。つまりこれが、あの蜘蛛霊体の固有能力。蜘蛛のビジュアルで蜘蛛らしく糸を吐くと。メメなんかに比べれば、ビジュアルと内容が一致した能力だ。でも、
「ゴールにこんな細工していいと思ってるわけ? 明らかに、ルール違反でしょ」
「クフフ。あなたこそ、なにをおっしゃってるんです? 霊球の競技規則で禁じられているのは、『選手が祭壇に勾玉を納めるのを、意図的・直接的に妨害』することです。その巣はアラネアがたまたまそこに作ったもの。意図的でもなければ、我々が直接あなたの妨害をしているわけでもありませんよ」
「はあっ⁉ そんな屁理屈……!」
と審判を見る。が、審判は首を横に振る。今回の大会に出るにあたって、あたしも競技規則は読み込んだ。たしかに、ルールで禁じられているのは、いわゆる「シュート態勢」に入ったプレーヤーを直接妨害すること(その整合に鑑みて、「キーパー」的な役職を置くことも禁じられている)。たしかに、「直接」でないとは言えるかもしれない。でもこんなのは、どう考えたってわざとだ。
「クフッ。どうしたんです? 私はなにも邪魔しません。さっさと祭壇に勾玉を納めたらどうです? 早くしないと、うちの選手たちが来てしまいますよ?」
こいつ……! まなほどじゃないが、あたしだって虫はそれほど得意じゃない。蜘蛛の巣なんてなるべく触りたくない。でも、そんなことを言っていられる状況じゃない。突き破って、皿にボールを――
「――え?」
蜘蛛の巣が、突き破れない。まるで防球ネットにボールを押し当てているかのような感触だ。
「クフッ、クフフ……」
メガネの含み笑いが聞こえる。どんなに力を加えても蜘蛛の巣は微塵も破れる様子がない。見た目とは裏腹に、なんて頑丈さだ。
ピーッ! と、笛の音が鳴る。相手のペナルティエリア内でボールを長く持ちすぎたのだ。そのあたりのルールはバスケに似ている。相手ボールとなる。
「どうしたんです? 何があったんですか?」
咲に状況を説明する。一度タイムアウトをとりたいところだが、とれないタイミングだ。相手ボールで試合が再開される。
とにかく、いまは切り替えてディフェンスに集中するしかない。とはいえ、仮にボールを奪えたところでゴールがあの状態では……。
ホイッスルが鳴り、クワガタにボールが渡る。クワガタから、左サイドを走る男子にロングパスが飛ぶ。そこにはまながいるはず。と――
「きゃああぁぁぁ、なにこれぇぇ‼」
まなの悲鳴が聞こえた。
「ま、まな⁉」
目をやると、地面に尻もちをついているまなの姿があった。手足に白い糸のようなものが絡んでいるのが見える。あれは――
「クフッ」
不気味メガネがにやにやとした笑みを向けてくる。
「くっ……、ルキ、ディフェンスっ!」
「ウォォォォォ――」
ノーマークとなった男子のほうにルキが向かう。その男子の口許が一瞬、ニヤリと笑ったように見えた。
「ウ、ウォ? ウォォォォォッ――⁉」
すると次の瞬間、絶叫とともにルキの姿が視界から消えた。――いや、違う。穴だ。フィールドに空いたすり鉢状の穴に、ルキの巨体がのみ込まれるように落下していっている。
「なっ――」
「蟻地獄です」
「おわっ」
声がして、振り向くと不気味メガネがすぐ横に立っていた。不気味メガネは指でくいと眼鏡を押し上げる。
「見ていたところ、どうやらあなた方はあまり昆虫には詳しくないようだ。大方、クワガタか何かだとでも思っていたのでしょう? 違いますよ。彼はね、ウスバカゲロウの幼虫。俗にアリジゴクと呼ばれている虫です」
「アリジゴク……」
見ると穴の底の部分に、クワガタに似た虫がぴょこっと顔を出しているのが見える。
「るっくんっ‼」
咲が慌てて駆け寄っていく。咲の助けを借りながら、ルキは自力で穴から抜け出せそうだ。――しかし、
「ちょっと、いいかげんにしなさいよ! 蜘蛛の巣とか蟻地獄とか、さっきから卑怯なことばっかり! こんなの霊球の試合じゃない! っていうか、ファウルでしょ! 審判っ!」
「クフッ。あなた、ルールブックをちゃんとお読みになりました? ファウルの定義は『不当な身体的接触』。蜘蛛の巣はそちらの選手が不注意で足を絡ませただけ。蟻地獄というのは要するに巣ですから、カロッサくん……あのアリジゴクが巣を作っていたところに、そちらの霊体が勝手に足を踏み入れたのでしょう? 『身体的接触』など、どこにもないじゃないですか。ねえ?」
と審判を見る。審判は少し困ったような顔をあたしに向け、ふるふると首を振った。ファウルにはできない、ということのようだ。
不注意? 勝手に足を踏み入れた? 冗談じゃない。どちらも、下手したら大怪我に繋がりかねない危険な行為じゃないか。仮にもスポーツ競技で、こんなことを許していいはずがない。
「クフフ……それより、呑気に喋っていていいんですか? まだこちらの攻撃は終わっていませんよ?」
言われ、はっと振り返る。ボールを持った男子がこちらのゴールに向かっているところだった。
「来やがれ! ここは抜かせねえっ!」
辰樹が立ちふさがる。とはいえ、ルキと咲を欠き、こちらの守備は手薄。メメがワープを使えば間に合いそうだが、数的不利は明らか。あたしも急ぎフォローに向かう。
辰樹をかわすように、男子がカミキリムシにパスを出す。そのままゴールを狙うつもりのようだ。
「ぴぃ」
ちょうどそこへメメがワープで現れた。ここまでのプレーを見ているかぎり、あの霊体はそれほど足が速くない。メメでも充分、対処は可能なはず。陣形を立て直すために、少しでも時間を稼いでくれれば……。
「ぴ、ぴぴっ⁉」
「なっ……速っ」
メメが驚くのと同時にあたしも声が出た。カミキリムシが素早い動きでメメの横を抜き去り、そのままこちらのゴールを陥れたのだ。あんな動き、これまでまったく見せていなかったというのに……。
「彼はマイマイカブリという昆虫でしてね」
「のわっ」
振り向けばまた不気味メガネ。な、なんなんだこいつは。毎度気配なく……お前もワープの使い手なのか?
「オサムシという虫の一種で、翅は退化していて飛べませんが、代わりに非常に健脚なことで知られる虫です。本気を出せば、あのように素早く動くことが可能なのですよ」
「本気を出せば……。じゃあ、いままでは本気を出してなかったってこと?」
クフフッ、と笑い、メガネは眼鏡をくいと上げる。
「私はね、こういう戦い方が好きなのですよ。相手を調子に乗せて、勝てると思い込ませたところを、一気に絶望の淵に叩き落とす。肉食昆虫が獲物を罠にかけて捕食するようにね」
「なにをそれっぽいこと言って……あんたたちのやってることなんて、ほとんどズルばっかりじゃない!」
「ほお、ズルですって? 反則をとられていないのに?」
「なっ、それは……」
「み、みーちゃぁん、これ取るの手伝ってぇ……」
見るとまなが、糸の絡んだ体をまさしく虫のように這わせながら近くまでやってきていた。
「クフフ……我がアラネアは器用でしてね、ゴールに張った巣のように丈夫で弾性に富んだ糸を吐くこともできれば、そのような粘性のある糸を生み出すこともできるのですよ」
たしかに、さっきゴールで見た糸に比べ、まなに絡んだ糸はより細くネバネバしたものに見える。一人で無理に取ろうとして余計にこんがらがってしまったのだろうか、いまや糸はまなの全身に複雑に絡まり合っていた。
「しかし……クフッ、少々粘り気が強すぎたみたいですねえ。どれ、ここはアラネアの主人として、私が直々に取って差し上げましょう」
そう言うと不気味メガネは、手をパペットを操るような形にして、わしゃわしゃと開閉させる。
「おい寄るなっ、変態! まなさんから離れろっ‼」
見ると辰樹がすぐ横に立っていた。いつのまに来ていたのか。ずいぶん健脚だ。オサムシかな?
クフッ、とメガネは笑い、その場を去っていこうとする。
「待ちな、変態メガネ!」
と、その背中に向かって叫ぶ。
「こんな卑怯なやり方は認めない。反則をとられなければ、なにをしてもいいわけじゃないでしょう? もっと正々堂々と戦いなさいよ!」
「クフッ。どう言われようと、これが我々なりの『正々堂々とした』戦い方です。そして大事なのは結果。現実問題としてあなた方は、蜘蛛の巣によって運悪くこちらのゴールを塞がれてしまった。つまり、得点するチャンスを失ってしまったわけです」
「……」
そうだ。まずはあの蜘蛛の巣をなんとかしないと、これ以上点がとれない。そして、点がとれなければ……
「このまま試合が続けば、最終的にどちらが勝つかは明白。クフッ。せいぜいルールの範囲内で、『正々堂々と』足搔いてください。我々はそんなあなた方を、じっくり、ねっとりといたぶらせてもらいますよ。罠にかかった獲物の肢を、一本一本、引きちぎっていくようにね」
クフッ、クフフフ……と、メガネは笑いながら去っていく。
「気持ちわりぃやつ……」
辰樹が言う。同感。少なくとも、友だちにはなれそうにない。
しかし、蜘蛛の巣、か。もしあれがあくまで「蜘蛛の巣」だとするなら……。
「ひゅいー」
あたしの考えに呼応するかのように、ヒューイがそばにやってくる。さすが「分身」。
「ひゅい、ひゅい」
とヒューイがそのひょろりとした腕で(たぶん)ファイティングポーズをつくる。
そうだね。このまま座して負けを待つくらいなら、試してみる価値はありそうだ。




