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そう言うと航士郎はがばっと立ち上がった。
「お前なりに前向きに悩んでいるのだろうとおとなしく聞いていたが、もう限界だ! 期待に応えられないのが怖い? 何様だお前は! 常に人の期待に応えつづけられる人間なんて、いるわけがないだろう! 人よりちょっと勉強やスポーツができたくらいで、調子に乗るな! それともなにか? お前は自分がどこぞのスーパーヒーローか、全知全能の神にでもなったつもりだったのか⁉」
突然の豹変ぶりに、思わずぽかんと口が開く。「え、ちょっ、あの、航士郎、さん?」と遅れて言葉が出てくるが、航士郎の勢いは止まらない。
「前に進むのをやめた? 無気力な生活が快適だ? くだらないことをほざくのも大概にしろ! 挙句の果てにお前、『誰からも期待されず』なんて、よく言えたもんだな! その目は節穴なのか⁉ 高校入学以来、お前のいちばんそばで、お前に静かにずっと期待を寄せていた人間が一人、いただろう⁉」
そう言われ、はっとする。
「……まな?」
「そうだ‼ お前が自称無気力人間になってからも、あいつはお前のことを諦めなかった! お前が『霊球部』なんていうふざけた部活を作ったとき、すでに他の部活に入部を決めていたあいつがそれをやめ、なぜわざわざそんな目的不明の部活に籍を置くことにしたか、お前にわかるか⁉ あいつはずっと待っていたんだよ! お前のそばで、お前にいつか訪れるかもしれない変化の、そのわずかな可能性を信じて!」
「まなが……」
知らなかった。あのころまなが、すでに他の部活に入部を決めていたなんて……。
――なにもしない部活? ……うん、いいね、楽そうで。わたしも入るよ。
川のほうを見る。そう言って笑うまなの顔が、川面に浮かぶ。
「そんなことにも気づかずに、いままでよくのうのうと過ごせてきたもんだな! まなが代わりの部員をさがす? そんなこと、するわけないだろう! あいつにとって、お前の代わりなんていないんだよ! 勉強はできても、人の気持ちにはずいぶん鈍感なんだな? そんなやつが、人の期待がどうだとかよく言えたもんだ!」
言い返す言葉はない。最も身近な、最も大切な友人の期待を、あたしはこれまで裏切りつづけていたんだ。
「お前、自分の本質がどうだとかも言ってたな? それも自分でよくわかってないみたいだから、教えてやるよ。お前の本質はな、獲物を喰らう肉食獣だ。人でも物でも数字でも、ターゲットと認めたものに一直線に向かっていく。それがどんなに強大な相手だろうと諦めず、しつこく追いまわし、そいつがもうやめてほしいと言っても肉を喰らうことをやめない。嗜虐に満ちた顔で、泣き叫ぶ相手の身も心も徹底的に貪り尽くす、獰猛で狡猾な、血に飢えたハンターだ」
…………? あれ、なんか後半から……
「そんなお前の本質が無気力だと? 怠惰だと? 笑わせる。もしそうならお前は、なんの取り柄もなく、ひねくれものの、ただ性格が悪いだけの蛇のような女になってしまうじゃないか。いいか思い出せ、お前は蛇であり狼なんだ。そのジトっとした目つきで相手を観察し、弱点を見抜き、相手の喉笛を噛みちぎる、手のつけられない野蛮な獣だ。それはある意味、多くの人間を魅了した。お前が言う『期待』とは、いわば好奇心なんだよ。『あの獣、次はどんな相手に噛みつくのかな』というような、怖いもの見たさだ。それをたった一回の狩りの失敗ごとき、いつまでもぐちぐちと引きずりやがって。いいかげん目を覚ませ。お前は本来、誰よりも負けず嫌いで、目的のためならなりふり構わず突っ走る、獰猛で狡猾で野蛮で凶悪な、殺人鬼のような女だ」
さすがに気づいた。これはもう完全にただの悪口だ。最終的に殺人鬼にまでされてしまったし。
これは言い返していい。こいつめ、さてはあたしの相談に乗るふりをして、弱っているところをここぞとばかりにいたぶりに来たな? 口の端を捻じ曲げた、よく知った笑みが目に浮かぶ。さぞサディスティックな、愉悦に満ちた笑顔を浮かべているのだろうと、やつのほうを振り向く。と――
「僕も、そんなお前に憧れていた人間のひとりだ」
意に反した、真剣な目をした横顔がそこにあった。夕日を受け光る川のその向こう、どこか遠くにある何かをまっすぐ見つめるように。
「……」
「弥里」
立ち上がり、歩き出したあたしの背中に航士郎の声が飛んでくる。
「……すまん、言いすぎた」
「だいぶね。でも、おかげで少し目が覚めた。あんた、なかなか良い聞き役だったよ。壁やぬいぐるみよりはね」
「……」
航士郎はポリポリと指で頬を掻く。
「でも、決断するにはもう少し時間が欲しい。一度ひとりになって、ちゃんと自分の心と相談したいから。だから今日はもう帰る」
「わかった」と航士郎は頷く。気を付けてな、という声を背中で聞き、再び歩きはじめたところで、体にあの感覚を覚えた。
ムズムズと、痒みに似た感覚。霊体を呼び出すときの、あの感覚だ。なぜいま急に。しかもなんだか、いつもより痒みが強い。痒み、というより、体の内側にできた傷がチクチク疼くような、体内で何者かに内壁を引っかかれているような……
「ッ、痛っ」
「どうした、弥里?」
なんだこれは。感覚はさらに強くなってくる。……もう限界だ。体内にあるものをすべて外に吐き出すように、両手を開いて外側に向けた。
白い光が手のひらから勢いよく飛び出す。現れたのは――
「……ヒュー……い?」
答えるように、目の前にいる物体は「ひゅいー」と鳴いた。しかしそれは、見慣れたひとだまの姿ではなかった。 言うなれば、プレーンなおばけ。ハロウィンの時期に買うお菓子によく描かれがちな、白い体につぶらな瞳の、あのおばけ。それがいま、ふよふよとあたしの前に浮かんでいた。
「それ、お前の霊体、だよな? ……そんなやつだったか?」
そんなやつではない。しかしいま目の前にいるのは、たしかにそんなやつだ。これはいったい……
「……ひょっとして、進化したんじゃないか?」
「し、進化?」
「いや、まあ、進化というか、変化か? ほら、このあいだ阿納くんをお前たちに紹介したとき、まなが言ってたろう。霊体は『自分の分身みたいな存在』だって。ひょっとしたら霊体が、お前のいまの状態を反映した姿に変化したんじゃないか?」
「あたしの……」
「ひゅいー」
それ正解、と言うように、ヒューイがにっこり笑って両手を挙げる。その手を見て、はっとした。
「たしかに、手があればもっとパスが安定するのになあ、とは思ってたけど……」
遅れて、ふふっ、と航士郎が含むように笑った。
「霊体がお前のその願いを叶えようとして、姿を変えたんじゃないか? なかなか可愛いとこあるじゃないか。お前の霊体なのに」
むっと航士郎を睨む。ヒューイは照れたような顔で頭を掻いている。ヘラヘラするな、あたしの霊体。
「……あとずっと気になってるんだけど、どうしてあんた、頭に麦わら帽子かぶってるの? 普通そのタイプのおばけが被るのって、魔女が被ってるような、先っぽが尖って折れ曲がってる形の帽子じゃない?」
「ふっ。だがそれは僕に言わせれば、いかにもお前の霊体らしい。普通じゃつまらないから、帽子で個性を演出した、ってところじゃないか? ひねくれものの主人に似たんだろう」
ヒューイは、えっへん、というように腰に手を当てる。なんか、ずいぶん感情豊かになったな。
「どうするんだ?」
航士郎が言った。
「霊体は本人の分身のようなもの。その霊体が、どうやらすでにやる気みたいだぞ? 誰からも期待されず、なんて口では言いながら、実は誰よりも身近な人間がお前に期待していたみたいじゃないか。まだ時間が欲しいというならそれもいい。……だがもう、悩む必要なんてないんじゃないのか?」
「……」
自分の、自分自身への期待を裏切らないために――。前に斎藤さんが言っていた言葉が、頭の中で響いた。
「行くんだろ?」
歩き出そうとしたところへ、航士郎の声がかかる。傍らに停めていた自転車を押し、あたしにハンドルを預けてきた。
「使えよ。朧グラウンドまでなら、十五分もあれば着くだろう」
ヒューイを体の中に戻し、サドルに跨る。
「礼は言わない」
「そんなもの、お前に期待してない」
そう言って航士郎はニヤリと笑う。
「っそ。じゃ、返却も期待しないでね」
「……それは、期待させろ」
少しだけ笑い、あたしはペダルを蹴った。心地よい風が全身を通り抜けていく。
赤く燃える夕日に向かって、力いっぱい、ペダルを漕ぐ。




