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夏の夜風。と呼ぶにはまだ少し早い。爽やかな乾いた風が吹いていた。もうじき梅雨が来る、と言われても実感は湧かない。でもそれは確実にやってくる。時は経ち、季節は巡る。
数段の石の階段を上り、園内に入る。持参した懐中電灯のスイッチを入れた。前来たときは三人だったけど、今日は一人。暗闇を照らしながら進む。
なんとなくでも道は覚えていたようだ。しばらく歩き、目的の場所に着いた。手首の霊珠に声をかける。
「着いたよ、斎藤さん」
霊珠が光り輝き、白い光とともに斎藤さんが姿を現した。
「やあ、ご足労をおかけしました、弥里殿」
斎藤さんがぺこりと頭を下げる。
「わざわざ連れてきていただかなくても、私ひとりでも来られましたのに」
「人骨が白昼堂々外を歩いてたら、霊球を知らない人が見たらびっくりするでしょ」
「たしかに、それもそうですな」
斎藤さんは頭を掻く。あはは、という斎藤さんの笑い声が夜の霊園に響いた。
このあいだの練習試合で、あたしは自分の霊体を現出させた。霊球の規則上、霊体のレンタルが認められるのは自分の霊体をもっていない者のみ。その条件から外れたいま、あたしは斎藤さんを「返却」しなければならない。
「おぉ、懐かしの我が家」
そう言って、斎藤さんが自分の墓に駆け寄る。我が家って。でも、霊からしたらそういう感覚なのかもしれない。そこから勝手に連れ出して、狭い場所(かどうかは知らないが)に閉じ込め連れ回していたことを、いまさらながら申し訳なく思う。
「弥里殿」
墓のほうを向いていた斎藤さんが、くるりと振り返る。
「短い間でしたが、お世話になりました。おかげさまで、楽しい日々を過ごすことができました」
斎藤さんは深々と頭を下げる。
「い、いや、やめてよ、そんなあらためて。ていうか、世話になったのはむしろ、こっちのほうだし……」
「いえいえ。弥里殿のおかげで、私はまた霊球に携わることができました。弥里殿がスカウトしてくださったからです。ありがとうございます」
「……そのー、さ」
頭を掻き、あたしは白状する。
「あたしが斎藤さんをスカウトしたのって、斎藤さんが、霊球が下手だって言ってたから、なんだよね。戦力にならないひとをチームに加えれば、めんどくさい試合を早く終わらせられるかなって、思って……」
「ええ。存じております」
「知ってたの?」
「はは、弥里殿のご様子を見ていればわかりますよ。考えてみれば、そういう事情でもないかぎり、わざわざ私のようなものをスカウトしませんものね。たしか最初、咲殿はどなたか別の方の霊を呼び出そうとしていらっしゃったようですし」
「うん、永江陣衛門ね」
まだついひと月ほど前のことなのに、なんだか妙に懐かしく感じる。
「……だから、その、ごめんね。あたしの勝手な目的のために、斎藤さんを騙すようなことしちゃって」
いいえ、と斎藤さんは首を振る。
「いきさつはどうあれ、私は弥里殿のレンタル霊体になれて、みなさんのチームで一緒に霊球をプレーできて、楽しかったですよ。スカウトしてくれたのが弥里殿でよかった。私にとってあなたは、最高の主人です」
「斎藤さん……」
「特訓で足も速くしてもらえましたしね。おかげで明日から、他の幽霊たちに自慢できますよ」
あはは、と斎藤さんは朗らかに笑う。うん、そうだね。あたしは頷いた。
「……さて。それじゃあ、そろそろ行きましょうかね。弥里殿、どうかお元気で。これからのあなたの、そしてチームの成長と躍進を、文字どおり草葉の陰から見守っております」
そう言って斎藤さんは自分の墓に体を向ける。その背中に、あたしは「待って」と声を発していた。斎藤さんがゆっくり振り返る。
「あの、さ、その、まだ、あれじゃん。うちら結局、一回も試合で勝ってないわけじゃん。ほら、斎藤さん、あれでしょ? 試合で勝ちたいわけでしょ? このあいだの練習試合なんかすごく惜しかったし、このまま、もうちょっと一緒に練習とか特訓続けていけばさ、次の試合あたり、そろそろ勝てるんじゃないかな? だから――」
「弥里殿」
あたしの言葉を優しく遮り、斎藤さんが言った。
「霊球において、自分の霊体をもつ者は霊のレンタルを認められておりません。弥里殿にはいまや、ご自分の霊体がおられます。私は、もう弥里殿とは――」
「わ、わかってるよ。それはわかってる。でも、なんか抜け道っていうか、うまい方法があるんじゃないかな。ほら、霊球ってマイナースポーツだし、そのへん緩そうじゃん? あたし本人の霊体ってことにして、しれっとさ……。だ、だってほら、あたしの霊体、出てきたはいいけどなんか弱そうだし、ていうかただのひとだまだし、そもそも一緒に霊球ができるのかどうかもわからないし、それに……」
斎藤さんに向かって言っているはずなのに、視線はなぜか下を向いていく。俯く視界に、ふと白い足が映った。顔を上げると、斎藤さんがすぐ近くに立っていた。
「弥里殿。あなたと過ごしたこの一か月間、私は本当に幸せでした。まさしく、生き返った心地がしました。あなたのような心優しい主人をもつことができて、私は本当に果報者です。たしかに、試合で勝てなかったことは心残りです。ですがそれは私のような死者ではなく、命あるあなたたちの力で成し遂げてください。いまを生きるあなたたち自身の力で、自らの未来をつかみとってほしいのです」
「……できるかな、あたしたちに」
「できますとも! 言ったでしょう? あなたたちのチームは強い。そしてこれからもっともっと強くなります。それに、きっとヒューイは私なんかよりずっとチームの戦力になってくれますよ」
「ひゅーい?」
「あいや、……はは、これはつい失礼いたしました。弥里殿の霊体のことです。なんだか鳴き声がそんなふうに聞こえたので、心の中で勝手にそう呼んでいたのが、うっかり出ちゃいました。忘れてください」
照れたように斎藤さんは頭を掻く。そして言った。
「そして弥里殿。強いのはチームだけでなく、あなた自身もまたそうです」
「え?」
「あなたの過去に何があったのかはわかりません。あえてそれをお訊ねしようとも思いません。ですがきっと、あなたはいつかそれを乗り越えていけることでしょう。あなたは強い人ですから」
「……」
斎藤さんはそっとあたしの手を握る。硬く冷たく、温かい手だった。
それでは、と手を振り、斎藤さんは去っていった。その姿が完全に消えるまで、斎藤さんはずっと笑顔だった。
最後くらいは、とあたしも笑おうとした。でもできなかった。きっとこうなるだろうとわかっていた。だからまなも咲も呼ばず、一人で来た。拭っても拭っても、目から溢れるものは止まらない。
夜の霊園から音がやむ。どれほど経ってからか、ようやくあたしは歩き出した。
右手が少し軽くなったように感じた。




