31
コースを抜け、二人がゴールした瞬間——教室が一気に沸いた。
「うおおおおおっ!」
「すげぇ!!」
「今の、何!?」
「めっちゃカッコよかったんだけど!!」
歓声と拍手が次々に巻き起こり、教室中が笑顔で満たされていく。私は頬に伝った涙を拭いて、その拍手に混ざった。
やがて歓声が落ち着き、どこからともなくポツリと声が上がる。
「拓斗のやったあれ、何っ!?」
「いや、カナタの創駆すご過ぎだろっ!」
「息ピッタリだったよなぁ」
次々に溢れてくる誰かの言葉に、あちこちから笑いが起きた。笑いながらも、みんなの顔にはまだ少し余韻が残っている。あの歌と光景が、心に焼き付いたまま離れないんだ。
その温もりが、静かに教室の空気を包み込んでいた。
目の前の詩乃ちゃんを見ると、鼻を小さく啜りながら目元を指の背でそっと拭っていた。
きっと、私と同じ気持ちなんだ。
拓斗の胸の奥に響いてくる旋律と、あのふたりの関係がこんなふうに変わっていくなんて——ただ嬉しくて、また胸の奥がじんわりと熱くなる。
次にカナタに目を向けると、少し目を伏せながら、両手の指を軽く結んで、それを組んだ足の上に置いて静かに座っていた。
その姿は、いつものように落ち着いていて、変わらないカナタの静けさに、私は不思議と安心した。
私の視線に気付いたのか、カナタがゆっくりと目を合わせてくれる。いつもの穏やかな眼差しが私の中の何かを温かく溶かした。
「すごいね、カナタっ」
気付けば、声が少し弾んでいた。言葉よりも先に、胸の奥の“嬉しい”が勝手に溢れ出してしまったような感覚。
『……ありがとう』
カナタは少し照れた様子で、視線を少し逸らした後もう一度私を見て、それだけを静かに返した。でも、髪の間から見えた耳は、ほんのり赤くなっていた。
その短い一言に、これまでの努力も言葉にしない思いも、全部詰まっている気がした。
その時、教室のドアが開いて拓斗が戻ってきた。次の瞬間、教室がパッと明るくなったように、拍手と歓声が一斉に湧き上がった。
当の本人は、ドアの前で固まった。目をまん丸にして、「え、何これ?」とでも言いたげな顔。
「拓斗すげーなっ! あれ何やったの!?」
「て言うか、歌うまっ!!」
「もっかい、やってー!」
「し、しねーよっ!!」
状況を理解した拓斗は、照れたように怒鳴りながら、顔を真っ赤にして拒否する。でも、その照れた顔には、いつもの不器用な表情が少し柔らかく見えた。
「カナタもすげーなっ! あれ自分で考えたの?」
『うん』
カナタはコクリと頷きながら、何でもないように答える。だけどその動きが、周囲の空気を和らげていくみたいに感じた。
「すごーい、頭いいんだぁ」
「今度、勉強教えてー!」
「どこで、あぁ言うの気付くんだろう……」
カナタへの称賛の声が次々と上がる。
それは最初こそ遠慮がちだったけど、ひとりが手を叩けば、またひとりが続く。やがて拍手は波のように広がり、教室の空気を優しく満たしていく。
カナタに対して戸惑いを抱いていた空気が、少しずつ変わっていくのが分かった。まるで長い冬の寒さが和らいで春の陽が差し込むように、教室に柔らかな温度が戻ってくる。
誰もが、カナタにどう接していいのか分からなかった。無言のまま避けていた“距離”が、今、静かに溶けていく。
拍手の音がまだ残る中で、私はただその光景を胸の奥に刻みながら、そっと息を吸い込んだ。
カナタは少し戸惑いながら、目を伏せて視線を逸らす。初めての称賛に、温かい声。その中心に自分がいることへの戸惑い。それが合わさって、カナタ自身もどうすればいいのか分からないみたいだった。
(でも、嬉しそう)
みんながカナタの良さに気付いてくれたことが、たまらなく嬉しくて——気付けば、私まで頬が熱くなっていた。
あの拍手の温かさが、私の中にも染みこんでくるみたいだった。
「……はいっ、皆さんっ。次のペアの映像が始まりますよっ」
パン、パンと軽く手を叩く音が教室に響く。日向先生の声は明るくて、それでいてどこか優しかった。
その表情には、クラス全体がひとつに溶け合ったことへの喜びが滲んでいた。
まるで春の訪れを見守るような眼差し。
クラスメイトたちも、ふっと熱を鎮めるように息を整えて次第に視線をスクリーンへ戻していく。
まだ少し残る笑い声が、穏やかに空気の中へ溶けていった。
私たちは顔を見合わせて、小さく笑い合う。
その笑みの奥には、言葉にならない達成感と、心のどこかが少しだけ温まったような感覚があった。
教室に再び静けさが戻る。
スクリーンが新しい映像を映し出し始める頃、私たちはそれぞれの胸に残る余韻を抱えたまま、そっと視線を前へ向けた。
* * *
ここは、教会の奥にある一室。
重厚な扉の向こうには、静寂と魔力のざわめきが混ざり合う空気が流れていた。
円卓を囲んで、七人の人物が座っている。純白の羽織には、それぞれ異なる色の模様が施されている。
それぞれが持つ魔械板には、今年行われた双輪試走の映像が映し出されている。
静かな魔力の振動音だけが、教会の中を満たしていた。無音のまま動く映像を眺めながら、ひとりが小さく息を吐いた。
「……今年は、どうにも“光る粒”が少ないようで。まぁ、ふるいにかける手間が減るのはありがたいことですけどね」
軽く笑う声が響く。
明るい金髪の青年男性——その目は糸のように細く、笑顔の奥に何を思っているのか読み取れない。まるで、冗談を言っているのか本気なのか分からない、そんな不思議な雰囲気を携えていた。
「まぁまぁ、そう言うな。量より質だ。なかなか面白い子がいるじゃないか」
少し長い襟足を、後ろで束ねた樺色髪の壮年男性が、低い声で宥めるように言った。頭には魔械歯車と革のベルトで作られたごついゴーグル。
どっしりとした声には、長年機械を触ってきた者の落ち着きがある。
「ふむ……面白いねぇ。確かに、火花の散る瞬間は綺麗ですが、今回は少々湿度が高くて。思考の方を乾かすのに、随分と手間を食いましたよ」
黄の賢者は肩をすくめながら、豪奢な椅子に浅く腰を下ろし、足を組んだ。
背もたれに体を預け、気怠げに指先で魔械板をなぞる。その仕草一つとっても、退屈と好奇心が絶妙に混ざり合った彼らしい気配を放っていた。
「……お行儀が悪いですよ、オウ様」
静かな声が響いた。
隣に座る青年女性が、薄く眉を寄せて注意する。縹色の長い髪をハーフアップにまとめ、端正な横顔を崩すことなくオウと呼ぶ青年に顔を向けた。
オウは背もたれにぐったりと寄りかかったまま、気の抜けた笑みを浮かべる。
「いやぁ、これは失礼。皆さん揃いも揃って、似たような突破法ばかりでして。見ているこちらが……こう、夢の世界に引きずられそうで」
糸のような細い目は、笑っているのか揶揄っているのか判断がつかない。口元には柔らかな笑みがあるのに、その言葉はどこか乾いていた。
そう言いながらも、姿勢を元に戻すオウ。
「退屈でも、仕事中に居眠りするのは感心しません」
「ははっ、セイは真面目ですねぇ。気を付けますよ」
セイと呼ばれた女性は、肩で小さく溜息を吐いた。
軽口を交わしながらも、オウの指は魔械板の縁を軽く叩いていた。いくつもの光の窓が浮かび、そこには試験に挑む生徒たちの姿が映っている。
「今回の難問枠は僕が貰っちゃったからね。オウは退屈だったでしょ?」
柔らかな声でそう言ったのは、白髪の少年。緑の賢者、リョク。顎の辺りで切り揃えられた髪が、光を受けて緑色に揺れる。
まだ幼さを残す顔立ちに、不思議な落ち着きが宿っている。オウはゆっくりとリョクへ視線を向け、口角を上げた。
「まぁ、そうですねぇ……でも、あの方の“お告げ”が出た時点で、抗う余地なんてないでしょう? 仕方ありませんよ、ほんとに」
そう言って、糸のように細い目を開いて“あの方”をチラリと見るオウ。それは僅かに笑みを浮かべながら、魔械板の映像を眺めている。
「……この映像の中に、いるのか?」
肩まで伸びる深蘇芳色の髪の壮年女性が話しかけると、何も言わずにコクリと頷く。
「そうか……何か分かり次第、私に言いなさい。——ラン」
ランと呼ばれたそれは、黙って壮年女性に笑顔を向ける。
「……セキだけ、何か知っているのですか? 私たちには、共有できないのですか?」
濃色の長い髪を一つに結っている壮年女性が聞くと、セキと呼ばれた女性は、深蘇芳色の髪を揺らしながら首を振る。
「すまない。まだその時ではないが……シにも必ず説明はする。……だろう?」
ランに目を合わせて聞くと、ランはまた静かに頷いた。
「私の力が必要な時が来るようですね。分かりました」
シと呼ばれた女性は、納得したように頷いた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。




