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 コースを抜け、二人がゴールした瞬間——教室が一気に沸いた。


「うおおおおおっ!」

「すげぇ!!」

「今の、何!?」

「めっちゃカッコよかったんだけど!!」


 歓声と拍手が次々に巻き起こり、教室中が笑顔で満たされていく。私は頬に伝った涙を拭いて、その拍手に混ざった。


 やがて歓声が落ち着き、どこからともなくポツリと声が上がる。


「拓斗のやったあれ、何っ!?」

「いや、カナタの創駆すご過ぎだろっ!」

「息ピッタリだったよなぁ」


 次々に溢れてくる誰かの言葉に、あちこちから笑いが起きた。笑いながらも、みんなの顔にはまだ少し余韻が残っている。あの歌と光景が、心に焼き付いたまま離れないんだ。


 その温もりが、静かに教室の空気を包み込んでいた。


 目の前の詩乃ちゃんを見ると、鼻を小さく啜りながら目元を指の背でそっと拭っていた。


 きっと、私と同じ気持ちなんだ。


 拓斗の胸の奥に響いてくる旋律と、あのふたりの関係がこんなふうに変わっていくなんて——ただ嬉しくて、また胸の奥がじんわりと熱くなる。


 次にカナタに目を向けると、少し目を伏せながら、両手の指を軽く結んで、それを組んだ足の上に置いて静かに座っていた。


 その姿は、いつものように落ち着いていて、変わらないカナタの静けさに、私は不思議と安心した。


 私の視線に気付いたのか、カナタがゆっくりと目を合わせてくれる。いつもの穏やかな眼差しが私の中の何かを温かく溶かした。


「すごいね、カナタっ」


 気付けば、声が少し弾んでいた。言葉よりも先に、胸の奥の“嬉しい”が勝手に溢れ出してしまったような感覚。


『……ありがとう』


 カナタは少し照れた様子で、視線を少し逸らした後もう一度私を見て、それだけを静かに返した。でも、髪の間から見えた耳は、ほんのり赤くなっていた。


 その短い一言に、これまでの努力も言葉にしない思いも、全部詰まっている気がした。


 その時、教室のドアが開いて拓斗が戻ってきた。次の瞬間、教室がパッと明るくなったように、拍手と歓声が一斉に湧き上がった。


 当の本人は、ドアの前で固まった。目をまん丸にして、「え、何これ?」とでも言いたげな顔。


「拓斗すげーなっ! あれ何やったの!?」

「て言うか、歌うまっ!!」

「もっかい、やってー!」


「し、しねーよっ!!」


 状況を理解した拓斗は、照れたように怒鳴りながら、顔を真っ赤にして拒否する。でも、その照れた顔には、いつもの不器用な表情が少し柔らかく見えた。


「カナタもすげーなっ! あれ自分で考えたの?」


『うん』


 カナタはコクリと頷きながら、何でもないように答える。だけどその動きが、周囲の空気を和らげていくみたいに感じた。


「すごーい、頭いいんだぁ」

「今度、勉強教えてー!」

「どこで、あぁ言うの気付くんだろう……」


 カナタへの称賛の声が次々と上がる。


 それは最初こそ遠慮がちだったけど、ひとりが手を叩けば、またひとりが続く。やがて拍手は波のように広がり、教室の空気を優しく満たしていく。


 カナタに対して戸惑いを抱いていた空気が、少しずつ変わっていくのが分かった。まるで長い冬の寒さが和らいで春の陽が差し込むように、教室に柔らかな温度が戻ってくる。


 誰もが、カナタにどう接していいのか分からなかった。無言のまま避けていた“距離”が、今、静かに溶けていく。


 拍手の音がまだ残る中で、私はただその光景を胸の奥に刻みながら、そっと息を吸い込んだ。


 カナタは少し戸惑いながら、目を伏せて視線を逸らす。初めての称賛に、温かい声。その中心に自分がいることへの戸惑い。それが合わさって、カナタ自身もどうすればいいのか分からないみたいだった。


(でも、嬉しそう)


 みんながカナタの良さに気付いてくれたことが、たまらなく嬉しくて——気付けば、私まで頬が熱くなっていた。


 あの拍手の温かさが、私の中にも染みこんでくるみたいだった。


 「……はいっ、皆さんっ。次のペアの映像が始まりますよっ」


 パン、パンと軽く手を叩く音が教室に響く。日向先生の声は明るくて、それでいてどこか優しかった。


 その表情には、クラス全体がひとつに溶け合ったことへの喜びが滲んでいた。


 まるで春の訪れを見守るような眼差し。


 クラスメイトたちも、ふっと熱を鎮めるように息を整えて次第に視線をスクリーンへ戻していく。


 まだ少し残る笑い声が、穏やかに空気の中へ溶けていった。


 私たちは顔を見合わせて、小さく笑い合う。


 その笑みの奥には、言葉にならない達成感と、心のどこかが少しだけ温まったような感覚があった。


 教室に再び静けさが戻る。


 スクリーンが新しい映像を映し出し始める頃、私たちはそれぞれの胸に残る余韻を抱えたまま、そっと視線を前へ向けた。



 * * *



 ここは、教会の奥にある一室。


 重厚な扉の向こうには、静寂と魔力のざわめきが混ざり合う空気が流れていた。


 円卓を囲んで、七人の人物が座っている。純白の羽織には、それぞれ異なる色の模様が施されている。


 それぞれが持つ魔械板(マギアパッド)には、今年行われた双輪試走の映像が映し出されている。


 静かな魔力の振動音だけが、教会の中を満たしていた。無音のまま動く映像を眺めながら、ひとりが小さく息を吐いた。


「……今年は、どうにも“光る粒”が少ないようで。まぁ、ふるいにかける手間が減るのはありがたいことですけどね」


 軽く笑う声が響く。


 明るい金髪の青年男性——その目は糸のように細く、笑顔の奥に何を思っているのか読み取れない。まるで、冗談を言っているのか本気なのか分からない、そんな不思議な雰囲気を携えていた。


「まぁまぁ、そう言うな。量より質だ。なかなか面白い子がいるじゃないか」


 少し長い襟足を、後ろで束ねた樺色(かばいろ)髪の壮年男性が、低い声で(なだ)めるように言った。頭には魔械歯車(マギアギア)と革のベルトで作られたごついゴーグル。


 どっしりとした声には、長年機械を触ってきた者の落ち着きがある。


「ふむ……面白いねぇ。確かに、火花の散る瞬間は綺麗ですが、今回は少々湿度が高くて。思考の方を乾かすのに、随分と手間を食いましたよ」


 黄の賢者は肩をすくめながら、豪奢な椅子に浅く腰を下ろし、足を組んだ。


 背もたれに体を預け、気怠げに指先で魔械板(マギアパッド)をなぞる。その仕草一つとっても、退屈と好奇心が絶妙に混ざり合った彼らしい気配を放っていた。


「……お行儀が悪いですよ、オウ様」


 静かな声が響いた。


 隣に座る青年女性が、薄く眉を寄せて注意する。縹色(はなだいろ)の長い髪をハーフアップにまとめ、端正な横顔を崩すことなくオウと呼ぶ青年に顔を向けた。


 オウは背もたれにぐったりと寄りかかったまま、気の抜けた笑みを浮かべる。


「いやぁ、これは失礼。皆さん揃いも揃って、似たような突破法ばかりでして。見ているこちらが……こう、夢の世界に引きずられそうで」


 糸のような細い目は、笑っているのか揶揄っているのか判断がつかない。口元には柔らかな笑みがあるのに、その言葉はどこか乾いていた。

 

 そう言いながらも、姿勢を元に戻すオウ。


「退屈でも、仕事中に居眠りするのは感心しません」


「ははっ、セイは真面目ですねぇ。気を付けますよ」


 セイと呼ばれた女性は、肩で小さく溜息を吐いた。


 軽口を交わしながらも、オウの指は魔械板(マギアパッド)の縁を軽く叩いていた。いくつもの光の窓が浮かび、そこには試験に挑む生徒たちの姿が映っている。


「今回の難問枠は僕が貰っちゃったからね。オウは退屈だったでしょ?」


 柔らかな声でそう言ったのは、白髪の少年。緑の賢者、リョク。顎の辺りで切り揃えられた髪が、光を受けて緑色に揺れる。


 まだ幼さを残す顔立ちに、不思議な落ち着きが宿っている。オウはゆっくりとリョクへ視線を向け、口角を上げた。


「まぁ、そうですねぇ……でも、あの方の“お告げ”が出た時点で、抗う余地なんてないでしょう? 仕方ありませんよ、ほんとに」


 そう言って、糸のように細い目を開いて“あの方”をチラリと見るオウ。それは僅かに笑みを浮かべながら、魔械板(マギアパッド)の映像を眺めている。


「……この映像の中に、いるのか?」


 肩まで伸びる深蘇芳色(ふかきすおういろ)の髪の壮年女性が話しかけると、何も言わずにコクリと頷く。


「そうか……何か分かり次第、私に言いなさい。——ラン」


 ランと呼ばれたそれは、黙って壮年女性に笑顔を向ける。


「……セキだけ、何か知っているのですか? 私たちには、共有できないのですか?」


 濃色(こきいろ)の長い髪を一つに結っている壮年女性が聞くと、セキと呼ばれた女性は、深蘇芳色の髪を揺らしながら首を振る。


「すまない。まだその時ではないが……シにも必ず説明はする。……だろう?」


 ランに目を合わせて聞くと、ランはまた静かに頷いた。


「私の力が必要な時が来るようですね。分かりました」


 シと呼ばれた女性は、納得したように頷いた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。

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