ありがとうを包んで——贈る温度
「莉愛に服を買ってあげたくてね、ずっとウズウズしてたのよ〜」
そう言って笑うお母さんは、
本当に楽しそうだった。
私とお母さんは、
浅葱街の大きなデパートに来ていた。
(入学前も、たくさん買ってもらった気がするけど……)
心の中でそう思いながらも、
楽しそうに歩く背中を見ていると、
その言葉は自然と消えていった。
私は苦笑しながら、
お母さんの後を追いかける。
◇ ◇ ◇
それからは、
まるで嵐みたいな時間だった。
次々と差し出される服、服、服。
たまに靴。
私はその度に試着室へ入り、
鏡に映る自分に少し照れて、
また外へ出る。
足はじんわり重くなってきて、
腰も少し疲れてきたけど――
「これも似合うと思う!」
その声を聞くと、どうしても断れなかった。
「うふふ、楽しかったわねぇ〜」
ベンチにぐったり座る私とは対照的に、
お母さんは満足そうに笑っていた。
しかも、
自分のものはひとつも買っていない。
(……ほんとに、全部私のだ)
隣に並ぶ紙袋を見て、
小さく息を吐く。
すると、
お母さんがそっと寄り添った。
「またひとつ、莉愛との思い出ができて嬉しいわ。……ありがとうね」
その声に、胸が少しだけ揺れた。
「……お母さん、あのハンカチ――」
言いかけた瞬間、
柔らかく抱き寄せられた。
ふわりと広がる、
お母さんの匂い。
それだけで、
心の奥がほどけていく。
「物はね、壊れたり、失くしたり……どうしても避けられないことがあるの」
耳元で、穏やかな声が続く。
「でもね、思い出は違うわ」
その一言で、呼吸が止まった。
「あのときの莉愛の顔、お母さん今でも覚えてる。目を輝かせて迷っていたでしょう?」
胸の奥が、熱くなる。
「あれはね、お母さんの宝物なの。絶対に汚れたり、失くならないのよ」
――ああ。
本当に、そうだ。
脳裏に浮かぶ。
並んだ絹のハンカチ。
光を受けて揺れる色。
迷いながら選んだ
孔雀色。
青と緑が混ざった色。
一目で、好きだと思った。
大切すぎて使えなくて、
菊理を包む布にした。
あのときの気持ちは、
今もちゃんとここにある。
なくなってなんか、いない。
「……うん。ありがとう、お母さん」
声が震えた。
気づいたときには、
もう涙が溢れていた。
(もう大丈夫だと思ってたのに……)
でも、止まらなかった。
「大丈夫よ。泣いていいの」
その言葉に、
堪えていたものがほどける。
お母さんは何も言わず、
ただ頭を撫でてくれた。
その優しさに触れるたび、
胸の奥に溜まっていたものが、
少しずつ消えていく。
私が泣き止むまで、
お母さんは何も言わず
ずっと頭を撫で続けてくれた。
「……うん、いい顔」
顔を上げると、
お母さんが優しく笑っていた。
「ありがとう……もう大丈夫」
そう言うと、
お母さんは満足そうに頷いた。
「じゃあ、この荷物送っちゃいましょう」
「うんっ」
大量の荷物をサービスカウンターへ持っていき、
お母さんが手続きをする。
その間私は、
少しだけ一人で
店内を見て回ることにした。
雑貨屋、アクセサリーショップ――
その中で、ふと足が止まる。
天然魔法石のお店。
吸い寄せられるように中へ入る。
色とりどりの石が、
静かに光を宿している。
その中で、
ひとつ目に留まったのは――
半分空洞のボールペン。
細石の天然魔法石を
入れられるようになっている。
すっきりした大理石の軸に、
金色のパーツが上品に光っていた。
(……ボールペン)
胸が、きゅっと縮んだ。
思い出す。
折られた、あの一本。
静かに受け止めていたカナタの顔。
(……あのとき)
自分よりも、
私を気にしてくれていた。
その事実が、
今も胸に残っている。
だから――
(お礼が、したい)
自然とそう思った。
手に取ったのは、
羽織紐についていた翡翠と同じ、
落ち着いた薄緑色。
迷いはなかった。
細石を選ぶ。
どれがいいか――ではなく。
(カナタに、合うもの)
それだけを考える。
そして目に入ったのは、黒。
モリオン。
深い影のような色。
でも、ただ暗いだけじゃない。
どこか温かくて、静かで――
(カナタみたい)
その瞬間、決まった。
お会計をするためにレジへ。
(……け、結構高いっ)
心の中で悲鳴が上がった。
予想よりだいぶ高い。
だけど、
不思議と後悔は一度も浮かばなかった。
作業台で、
一粒ずつ詰めていく。
コツ、コツ。
小さな音が響く。
(守ってくれますように)
願いが、自然と浮かぶ。
ありがとう。
守ってくれて。
そばにいてくれて。
言葉にできなかった全部が、
この中に入っていくような気がした。
気づけば、夢中になっていた。
完成したペンを、光にかざす。
黒の奥に、ちゃんと光がある。
(……これ、本当にカナタに似合う)
胸の底に、
小さな確信がぽつりと灯った。
理由はうまく言葉にならない。
ただ、この石が、
辛さだとか痛みだとか、
そういうものから守ってくれそうだと思った。
そっと箱に入れる。
胸の奥が、少しだけ揺れた。
(……渡せるかな)
不安と、期待。
そのどちらも抱えたまま、
私はその箱を、静かに握りしめた。
「ありがとうございましたー!」
店員さんの明るい声が、
店の奥まで弾むように響いた。
私は軽く会釈を返し、
胸に抱えたラッピングボックスをそっと押さえる。
中には、
さっき丁寧に細石を詰めたボールペン――
自分なりの、
精一杯の“ありがとう”。
(お小遣い……ほとんど使っちゃったけど……)
思わず苦笑いが零れる。
でも――
ちゃんと“カナタに似合うもの”を選べた。
その小さな誇らしさが、
歩くたびに静かに響いていた。
隣で、お母さんがふわりと笑う。
顔を向けると、
柔らかな目で私を見ていた。
「……なぁに?」
少しだけ気恥ずかしくなって、
声が小さくなる。
「ふふっ。本当に素敵なものができたなぁって思って」
「……今日、カナタくんに渡そうね」
その一言で、
胸の奥がきゅっと縮んだ。
さっきまで落ち着いていたはずの心が、
急にざわつく。
頬に熱が集まるのがわかる。
(ただのお礼……なのに)
それだけのはずなのに、
どうしてこんなに落ち着かないんだろう。
胸の真ん中がふわっと浮いて、
足元が少し頼りなくなる。
(ありがとうって、言えばいいだけ)
小さく息を吸う。
自分に言い聞かせるように、
ラッピングボックスをそっと鞄にしまった。
大事なものを扱うみたいに、丁寧に。
「さ、帰って夕食を作らないとね。莉愛も手伝ってくれる?」
「うんっ!」
外に出ると、
夕方の光が柔らかく降り注いでいた。
六月の空はまだ明るいのに、
どこか一日の終わりの気配を含んでいる。
胸の奥に残っていた不安は、
歩くごとにゆっくりほどけていく。
隣にいるお母さんの気配は、
いつもと同じで――
その変わらなさが、
静かに背中を支えてくれていた。
初夏の風が一度だけ吹き抜けて、
髪を揺らす。
陽に照らされた石畳がキラリと光って、
今日の出来事が全部
優しく包まれていくような気がした。
鞄の中で、
ラッピングボックスが
そっと存在を主張する。
――まだ渡していないのに、
少しだけ心が軽い。
帰り道が、
いつもより少しだけ明るく見えた。
お読みくださり、ありがとうございます。
形あるものは、
どうしても傷ついたり、失われたりします。
でも——
思い出までなくなるわけじゃない。
お母さんの言葉は、
莉愛が少しずつ前を向くための、
大切な支えになっています。
そして、
莉愛が初めて“誰かのために選ぶ”回でもありました。
自分に似合うものではなく、
“カナタに似合うもの”を考えて選ぶ。
その時間そのものが、
きっともう特別なんだと思います。
守ってくれたことが嬉しくて、
ありがとうを伝えたくて。
その気持ちを、
小さなボールペンに込めた回でした。
引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。




