茉莉花と手紙の夜——残る温もり
眠気をすっきりさせたくて、
お風呂に入った。
久しぶりの我が家のお風呂は、
やっぱり落ち着く。
「学園はどう? 新しいお友達、できた?」
お風呂上がり。
お母さんにドライヤーで
髪を乾かしてもらう。
「うんっ」
鏡越しに笑うと、
お母さんも柔らかく頷いた。
弥生寮のこと。
クラスのこと。
詩乃ちゃん、拓斗、カナタ。
利玖を通して知り合った先輩たち。
お母さんはひとつも取り零さないように、
ゆっくり相槌を打ちながら聞いてくれる。
ドライヤーの音が止まる。
指先に取ったヘアオイルが、
髪にすっと馴染んだ。
「この香り、お母さん大好き」
「私の花なんだよっ」
「えっ、莉愛の花?」
「そうっ」
――茉莉花。
温室で見た、あの白い花。
甘い香りがふわりと広がって、
胸の奥がぎゅっとした。
緑の教会の図書室で、
カナタが教えてくれた。
『莉愛の花だよ』
まだ幼い、機械混じりの声。
その言葉だけが、
今も不思議なくらい残っている。
「……カナタくんって、ロマンチックよね」
「そうかな?」
よくわからない。
でも――
その名前を思い出すと、
胸の奥が温かくなって自然と頬がゆるむ。
ダイニングに行くと、
お父さんが淹れてくれた紅茶が
テーブルに置かれていた。
(至れり尽くせりだ……っ)
思わず小さく笑ってしまう。
カップに紅茶を注ぎ、
ミルクと蜂蜜を垂らす。
私の大好きな味。
キッチンでは、
お母さんがエプロンを結びながら
夕食の準備をしている。
包丁のリズムと、温まる油の匂い。
その全部が、懐かしくて――温かい。
気づけば、足をぱたぱたさせていた。
お父さんが紅茶を飲みながら
目尻を下げて笑う。
「なぁに?」
「……ううん、何でもないよ」
(何でもない顔じゃないけど……)
でも、それでいい気がした。
「……そうだ、お父さん。この前カナタとご飯の約束したでしょ?」
「ああ、してたね」
「明日、どうする?」
お父さんはカップをソーサーに置いた。
「カナタくんが大丈夫なら、明日一緒に食事でもどうかなと思ってたけど……莉愛は?」
「食べたーい!」
即答してから、
少しだけ照れくさくなる。
「じゃあ、手紙送るねっ」
「その約束、夜にしてくれる?」
お母さんがキッチンから顔を覗かせた。
「明日は、莉愛とデートしたいの」
「っ!」
その言葉に、胸が一気に温かくなる。
「やった!」
思わず声が弾んだ。
「じゃあ夜にしようか。外で食べる?」
「お母さんが作りますっ」
即答だった。
「スープ系にすれば、カナタくんも食べやすいでしょ?」
「いいね」
お父さんも頷く。
当たり前みたいに、
カナタのことを考えてくれる。
その優しさが、胸にじんわり広がった。
(……帰ってきてよかった)
食事がたくさん並ぶ。
「お母さん、作りすぎちゃったっ」
「すごーい……」
湯気。
香り。
温かい色。
調理研究部だからこそ、
この量の凄さがわかる。
「いただきます」
声が重なる。
それだけで、胸の奥まで満たされていく。
「……あ」
ふと、視界が揺れた。
――“視えた”。
買い物カートを押すお父さん。
どんどん食材を入れていくお母さん。
満足げに笑うお母さんと、
その隣で袋を抱えてふらつくお父さん。
それでも、お父さんの顔は笑っている。
(……久しぶりに、こんなにはっきり)
まるで、自分もそこにいたみたいだった。
温かい光景が、そのまま胸に流れ込んでくる。
少しだけ息がゆるんだ。
「ごちそうさまでした」
食器を片づけ、
ライティングデスクに向かった。
便箋を一枚。
ミルクティーの色。
ペンを持つ。
(……なんて書こうかな)
胸の中に残っている温もりを、
そっと言葉にする。
――カナタへ
こんばんは。
先週したご飯の約束だけど、
明日の夕ご飯でどうですか?
お父さんとお母さんが
ぜひうちでって言ってます。
来てくれるとうれしいです。
莉愛――
(……丁寧すぎたかな)
でも。
カナタだから、こうなる。
そう思うと、少しだけ頬が熱くなる。
返事が早く届くように願いを込めながら、
紙飛行機に折る。
玄関を開けると、空には一番星。
義手を鳴らす。
光が宿る。
(カナタまで、真っ直ぐ飛んで行きますように――)
――投げる。
紙飛行機は、静かに夜へ溶けていった。
◇ ◇ ◇
ソファでのんびりしていると――
コツン。
窓に触れる、小さな音。
顔を上げるとそこには、
淡く光る紙飛行機。
(カナタだっ)
窓を開けて、そっと受け取る。
光が優しくほどけた。
慎重に折り目を開く。
――莉愛へ
こんばんは。手紙をありがとう。
夕食のお誘い、とても嬉しいです。
僕は明日ならいつでも大丈夫。
莉愛とご家族の都合に合わせるよ。
何時頃、伺えば良いかな?
カナタ――
読み終えた後、
頬が自然とゆるんでいた。
丁寧で真面目なのに、
どこか距離が近い。
カナタの声がした気がした。
「お父さんっ」
「なんだい?」
「カナタが、何時頃くればいいですかって」
お父さんが顎に手を添える。
「仕事終わりに教会へ迎えに行くよ。十六時くらいかな」
「わかったっ」
もう一度、便箋を取る。
――カナタへ
明日は、十六時くらいに
教会へ迎えに行きます。
一緒にご飯を食べられるの、
楽しみにしてるね。
おやすみなさい。
莉愛――
窓から空を見上げると、
もう月と星がはっきり見えるくらい
暗くなっていた。
きっと今日最後の手紙になるから、
おやすみの挨拶も入れる。
丁寧に紙飛行機を折る。
窓を開けると、
夜の風が頬を撫でた。
義手を鳴らす。
紙飛行機に、光が宿る。
――飛ばす。
淡く光を帯びた紙飛行機が、
夜空に吸い込まれるように飛びたった。
(明日、会える)
紙飛行機が夜空の奥へと
溶けていくのを見ているうちに、
少しの不安や迷いも消えていくようだった。
代わりに残ったのは、
柔らかく広がる安心と、
ほんの少し胸を弾ませる期待の感覚――
(明日、楽しみだな)
そんな思いを胸に秘め、
私は静かに深呼吸をすると、
心の奥でそっと温かく灯ったまま、
私は窓を閉めた。
お読みくださり、ありがとうございます。
茉莉花——莉愛の花。
幼少期、カナタが教えてくれた花。
莉愛の中で静かに大切な思い出になっています。
ふと思い出すだけで胸が温かくなる。
そんな記憶を書きたかったです。
そして、折羽伝書。
便箋に言葉を書いて、折って、
魔法で飛ばすのは——
“その人が書いた文字”を、
ちゃんと届けたいから。
少し不便で、
でも温かい。
この世界らしい、
小さな魔法のやり取りです。
引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。




