賢者の来訪——初等部
白と緑を基調にした装いは、
華美ではないのに不思議と目を引いた。
洗練された意匠の中に、
膝丈のボトムスがさりげなく混じっていて、
その少年らしい姿をより際立たせている。
顎の辺りで切り揃えられた真っ白な髪は、
窓から差し込む光を受けて、
淡く緑色に煌めいた。
「すみません。うちの子がいるので、順番に回っているんです」
そのひと言に、
教室の空気が一瞬きょとんと固まる。
「少し、お邪魔してもいいですか?」
柔らかな声が、静まり返った教室に落ちた。
戸惑いが広がる中、
お母さんたちが慌てて道を空ける。
「ありがとう」
リョク様はふわりと微笑んで、
静かに教室へ足を踏み入れた。
“うちの子”。
それは、
緑の教会の養護施設で暮らす子たちのことだ。
リョク様にとって、
あの場所の子どもたちは、
ただ預かっている存在なんかじゃない。
まるで本当に家族みたいに、
大切に育てているのだと、
その言葉だけで伝わってくる。
教室の中を進むリョク様に、
保護者たちはみんな小さく会釈をする。
リョク様はその一つひとつに、
きちんと目を合わせて頷き返していた。
そうしてゆっくり歩いて、
やがて――
カナタの席の横で足を止める。
「やぁ、カナタ。写真撮影にも参加したかったんだけどね。さすがに止められちゃったよ」
『リョク様が入ったら、誰が主役か分からなくなりますからね』
思わず瞬きをした。
相手は七賢者。しかも、緑の教会の長。
なのにカナタは、
まるでいつも通りの調子で返している。
言葉は敬語でも、
そこには変な遠慮も、
緊張もない。
リョク様は楽しそうに目を細めた。
教室中を静まり返らせるほどの存在なのに、
カナタの前ではその笑みがひどく自然だった。
その姿はまるで、
誰かの大切な節目に寄り添いに来た
“家族”みたいだった。
「じゃあ、あとでカナタと写真を撮ってもいいかい?」
『新聞に載りたくないので、やめときます』
「残念」
思わず、私は少しだけ笑ってしまった。
リョク様との写真なんて撮られたら、
それこそ新聞に載ってもおかしくない。
七賢者は滅多に人前に出ないし、
写真もほとんど残らない。
特別なときにしか姿を見せない人たちなのだ。
そんな存在なのに、
カナタと話しているときのリョク様は
どこまでも人間らしくて、
親しみに満ちていた。
「莉愛」
「っ、はいっ!」
私はびくっと肩を跳ねさせた。
慌てて背筋を伸ばす。
リョク様は、そんな私を見てふっと微笑んだ。
「いつも、カナタと仲良くしてくれてありがとう。中等部でも、よろしくね」
「は、はいっ……! こちらこそっ」
少し声が裏返りそうになりながらも、
なんとか返す。
するとリョク様は、柔らかく目を細めた。
「ありがとう」
たったそれだけなのに、
胸が震えた。
「それじゃあ、あとの二人の教室にも行ってくるね」
「帰り、どこかに寄るなら、手紙を飛ばして」
『はい』
別れ際、
リョク様は自然な仕草で手を伸ばし、
カナタの頭にぽんと触れた。
その動作はあまりにも自然で、
そこに少しの迷いもなかった。
本来なら
少し不思議に見えてもおかしくないのに。
その瞬間には、
そんな違和感はひとつもなかった。
カナタも驚く様子はなく、
ただ少しだけ目を伏せて、
その手を受け入れている。
慣れているんだ、とすぐにわかった。
きっとこれが、
ふたりにとっての“いつも”なんだ。
誰にも見せない、
静かな習慣みたいに。
そしてリョク様は、
お母さんにも丁寧に頭を下げると、
そのまま教室を後にした。
私はしばらく、
閉まった扉をぼんやり見つめていた。
「……リョク様が、あんなふうに話してるの初めて見た……」
小さく漏れたお母さんの声に、
思わず頷きそうになる。
たぶん、それは私だけじゃない。
教室のあちこちで、
みんなまだ夢でも見ていたみたいな
顔をしていた。
驚きの余韻が、教室に静かに残っている。
その沈黙を破ったのは、
ゆっくりと開いた教室の扉だった。
袴姿の先生が入ってくる。
その瞬間、私たちは思い出した。
――今日は、卒業の日なんだ。
先生は教壇に立つと、
少し赤くなった目で私たちを見渡した。
「お待たせしました。……それでは、最後の学活を始めます」
“最後”。
その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。
本当に終わるんだ、と
今さらみたいに実感が押し寄せてくる。
先生は少しだけ笑って、
それから静かに続けた。
「……みんなには感謝しかありません」
教室が、しんと静まる。
思わず、息を呑んだ。
「たくさん悩みました。不安になって、落ち込んだ日もありました」
「でも……それでも前を向けたのは、みんながいてくれたからです」
先生の声が、少しだけ震える。
「私を、みんなの先生にしてくれて――ありがとうございました」
深く、頭を下げる。
その瞬間、
教室のあちこちからすすり泣きが聞こえた。
ふと、私は後ろを振り返る。
カナタが、先生をじっと見つめていた。
先生は、
カナタが拓斗たちに絡まれていたとき、
必ず気づいてくれた人だ。
ただ叱るだけじゃなく、
ちゃんと向き合ってくれる先生だった。
そのことを、きっとカナタも忘れていない。
「……それでは、これで最後の学活を終わります。日直、号令をお願いします」
震える声で号令がかかる。
「起立!」
「気をつけ、礼!」
「「「「ありがとうございました!!」」」」
その声が教室いっぱいに響いて、
後ろにいた保護者たちから
自然と拍手が起こった。
先生は何度も頭を下げながら、
目元を拭っている。
クラスのみんなは、
順番に先生のところへ向かった。
先生は、
ひとりひとり言葉をかけていく。
そして私たちの番。
「先生、本当にありがとうございました」
お母さんが言うと、
先生は丁寧にお辞儀をした。
優しく微笑んで、私の肩にそっと手を置いた。
「莉愛ちゃん。中等部でも、莉愛ちゃんらしくね」
「はい……」
涙を拭いながら頷く。
そして、カナタ。
カナタは少しだけ視線を落としてから、
頭を下げた。
『……ありがとうございました』
先生は何も言わず、
ただ静かにカナタの肩に手を置いた。
それだけで、充分だった。
教室を出ると、
廊下は卒業生たちと家族の声で賑わっていた。
少し先で、
お父さんと利玖がこちらに手を振っている。
「お疲れ様。いい先生だったんだね」
「うん! 大好き!」
私は涙声のまま笑って答えた。
「まさかリョク様が来てくださるとはな。よかったな、カナタ」
利玖がそう言うと、
カナタは少しだけ肩をすくめた。
『まぁ……うん』
「このあと、どうする?」
「せっかくだし、ご飯でも食べに行こうかと思ってるんだ。カナタくんもどうだい?」
お父さんの言葉に、
私はすぐにカナタを振り向いた。
「カナタ! 一緒に行こう!」
当然、一緒に行けるものだと思っていた。
だけど――
カナタは、ほんの少しだけ目を伏せた。
『ごめん、少し用事があるんだ』
「えーっ……」
思わず、残念そうな声が漏れる。
「じゃあ、次会うのは入学式かな?」
お父さんがそう言うと、
カナタは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
『すみません』
その空気を変えるみたいに、
お父さんが言った。
「それなら、校門で写真だけ撮ろう」
私はぱっと顔を上げた。
「うん! カナタ、一緒に撮ろう!」
カナタは一瞬だけ目を丸くして、
それから少しだけ目元をゆるめた。
『……うん、ありがとう』
「俺、先生に挨拶してくるから先行ってて」
利玖はそう言うと、職員室の方へ歩いていく。
「じゃあ、行こうか」
お父さんの声に、
私はカナタと顔を見合わせた。
それから二人で、教室を振り返る。
笑って、怒って、泣いて。
たくさんの時間を過ごした場所。
もう二度と、
ここへ“いつものように”戻ることはない。
胸の奥が、少しだけきゅっと痛んだ。
卒業の日は、まだ終わっていない。
校門で撮る一枚が、
きっと今日を、
もっと特別な日にしてしまう気がして――
私は隣を歩くカナタを、そっと見た。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
卒業という区切りと、
それぞれの関係が少し見えた回でした。
そして、
少しだけ気になる選択もあった気がします。
この先も見守っていただけると嬉しいです。




