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今日だけの一枚——初等部

 ゆっくりと校門へ向かって歩く。


 淡い桜がぽつぽつと咲き始めていて、

 風が吹くたびに春の匂いがふわりと漂った。


 校門の近くに、

 見覚えのある後ろ姿が見える。


 詩乃ちゃんだ。


 誰かに向かって手を振って、

 そのまま笑顔で去っていく。


 門柱に隠れて、

 相手はよく見えない。


 だけど、

 もう少し近づいたところで、

 その姿がはっきり見えた。


 ――拓斗だった。


「あらっ、どうも先程ぶりです」


 お母さんが、

 拓斗のお母さんに声をかける。


 自然と大人同士の会話が始まった。


 私たち三人が、横並びになる。


 私は、拓斗の方をちらりと見た。


「……拓斗って、詩乃ちゃんと仲良かったっけ?」


「……別に。普通に話すくらいだろ」


 そっけない返事だった。


 今までそんなふうに

 話しているところなんて

 見たことがなかったから、

 少しだけ引っかかる。


「ふ〜ん……」


 気にしていないふりをしながらも、

 なんとなく拓斗を見てしまう。


 そのときだった。


「莉愛、ちょっと来てくれないかな?」


 お父さんに呼ばれて、

 私ははっと顔を上げた。


「えっ」


 思わず声が漏れる。


 今ここを離れたら、

 カナタと拓斗が二人きりになってしまう。


 それは、できれば避けたかった。


 でも――


『……大丈夫だよ、莉愛』


 カナタが、静かに言った。


 その目は穏やかで、

 私の不安をほどくように優しかった。


「……わかった。ちょっと行ってくるね」


 私はそう言って、

 お父さんのところへ駆け寄った。


 校門のそばには、

 “卒業式”と書かれた看板が立てられている。


 お父さんはその前で立ち位置を確かめながら、

 カメラの角度を見ていた。


 私は言われるままに看板の横へ立ちながらも、

 意識だけはずっと二人の方へ向いていた。


 少し離れた場所で、

 拓斗とカナタが向き合っている。


 何か話しているみたいだった。


 表情までは、はっきり見えない。


 だけど、

 言い合いにはなっていないみたい。


(……ちょっと意外)


 そう思った、

 その直後だった。


 拓斗の目つきが、ふっと変わる。


 鋭くなった――


 そう見えた。


 私は思わず身を乗り出した。


 次の瞬間。


 拓斗の表情から、

 その鋭さが消えた。


 驚いたような、

 拍子抜けしたような、

 肩の力が抜けたような顔。


 まるで毒気を抜かれたみたいに、

 目の奥の色が少しだけ柔らかくなる。


 私は、その変化に足を止めた。


 何を言われたのかはわからない。


 何があったのかも、

 私には見えない。


 でもあの一瞬で、

 拓斗の中の何かが

 少しだけ変わった気がした。


「莉愛、どうした?」


 お父さんの声に、

 私ははっと我に返る。


「あっ……そろそろカナタ呼んでもいい?」


「そうだね。撮ろうか」


 私は頷いて、

 すぐに二人へ向かって声を張った。


「カナター! 写真撮ろー!」


 カナタはちらりとこちらを見た後、

 拓斗に向き直り、

 そしてゆっくりこちらへ歩いてきた。


『……お待たせ』


 その穏やかな声に、

 胸を撫で下ろす。


 私はそっと小声で聞いた。


「カナタ、大丈夫? 嫌なこと言われなかった?」


 カナタは目元を柔らかくして、

 静かに首を振る。


『大丈夫だよ。心配してくれてありがとう』


 それから、

 ほんの少しだけ目を伏せた。


『……むしろ、僕の方が言い過ぎちゃったかも』


「えっ」


(カナタが……?)


 思わず聞き返しそうになったけど、

 お父さんの声が飛んできた。


「はい、二人ともこっち。まずは一緒に撮ろうか」


 私とカナタは並んで、

 “卒業式”の看板の横に立った。


 手には卒業証書の筒。


 隣に立つだけなのに、妙に緊張する。


「いいね。それじゃあ、撮るよー」


 お父さんがカメラを構える。


「はい、笑ってー」


 ――カシャッ。


 小気味いい音が響く。


 すぐにカメラの下から、

 写真がゆっくりと出てきた。


「おぉ、綺麗に撮れた」


 差し出された写真を、

 私とカナタは並んで覗き込む。


 そこには、“卒業式”の看板の横で微笑む私と、

 無表情だけどどこか穏やかな目をした

 カナタが写っていた。


「わぁ……すごいっ」


 思わず声が漏れる。


「写真ができるの、初めて見た……!」


 カナタも目を丸くしながら、

 じっと写真を見つめていた。


「じゃあ次は、一人ずつ撮ろうか」


 お父さんがそう言うと、

 カナタが少しだけ戸惑ったように顔を上げた。


『えっ……僕も、いいんですか?』


「もちろんだよ。リョク様に渡したら、きっと喜ぶよ」


 その言葉に、

 カナタは一瞬だけ目を伏せる。


 それから、静かに頷いた。


『……ありがとうございます。お願いします』


 カナタが看板の横に立つ。


 咲き始めた桜が風に揺れて、

 その黒い髪をそっと撫でた。


「撮るよー」


 ――カシャッ。


 また一枚、写真が生まれる。


「はい。これと、さっきの分も。リョク様に見せてあげてね」


『……ありがとうございます』


 カナタは両手で写真を受け取ると、

 大切そうに見つめた。


 その様子が、

 なぜか少しだけ胸に残る。


「じゃあ、次は莉愛だな」


「うんっ!」


 私はもう一度、

 看板の横へ立った。


 さっきより少しだけ、胸を張って。


「今度は、しっかり笑ってね」


「え〜、ちゃんと笑ってたよ〜」


 そんなやり取りの後で、

 自然と頬がゆるむ。


「いくよー」


 ――カシャッ。


「うん、今のはすごく良かったぞ」


 お父さんが

 嬉しそうに見せてくれた写真の中には、

 桜の中で笑う私がいた。


『……本当だ。さっきより柔らかい顔してる』


 隣から覗き込んだカナタが、

 ぽつりと呟く。


「そう?」


 照れくさくて、

 でも少し嬉しい。


「二人とも、本当に卒業おめでとう」


 お父さんのその言葉に、

 胸の奥がまたくすぐったくなった。


 そのときだった。


 桜並木の方から、

 早い足音が聞こえてくる。


「はぁーっ、間に合った! 待った?」


 利玖が息を切らしながら駆けてきた。


「おぉ、ちょうどいいタイミングだよ」


 お父さんが笑うと、

 利玖はほっとしたように膝に手をついた。


「いやー、話が弾んじゃって。先生、相変わらずなんだもん」


「話し出すと止まらないもんね」


 利玖は、うんうんと何度も頷く。


 そこへ、お母さんも合流してきた。


「お話盛り上がっちゃって、撮影全然見られなかったぁ。二人とも、写真見せてちょうだい」


 私とカナタは顔を見合わせて、

 それぞれ写真を手渡した。


「わぁ、いいじゃない。二人とも、よく撮れてる」


 お母さんが、目を細める。


「……ふふ。この莉愛、ちょっと緊張してるかしら?」


「そうかなぁ?」


 写真を覗き込む。


 横から利玖も覗き込み、

 にやっと笑った。


「ん、緊張してるね。カナタとのツーショットだからか?」


「え〜っ、違うもんっ」


 即座に返したつもりなのに、

 頬がじわっと熱くなる。


 お母さんが、くすっと笑った。


 利玖は面白そうに笑いながら、

 そのままカナタの肩に腕を回す。


「さて、この後どうする? カナタの用事って、今日じゃなきゃダメなのか?」


 そう聞かれて、

 カナタは一瞬だけ目を泳がせた。


『……というか……もう済んだかな』


「いつの間にっ!?」


「うぉっ、びっくりした」


 思わず声を上げると、

 利玖が肩を揺らして笑う。


 用事――


(さっきの拓斗とのことしかな?)


 何を話したのかは、わからない。


 でも、なんとなく聞かないことにした。


「……なんだ、終わったんなら一緒に飯食いに行くか?」


 利玖が軽い調子で言う。


「一つくらいパック、持ってきてるだろ?」


『うん、非常用に一応』


 パック。


 それは、カナタのための流動食だ。


 食べる、というより“摂る”に近いけど、

 それでもカナタにとっては大事な食事だ。


「じゃあいいじゃん。行こうよ」


 利玖が、そのままお父さんたちを見る。


「父さんも母さんも、いいだろ?」


「あぁ、もちろんだよ」


 お父さんはすぐに頷いた。


「カナタくん、教会の方で何か用事はないかい?」


 カナタは、静かに首を振る。


『いえ、特には……』


『他の二人も、友達と出かけるって朝に話していましたから』


「そうかい。それなら、一緒に行こう」


 お父さんは、

 少しだけ考えてから続けた。


「でも、一度帰ってからにしないかい?」


「そうだねっ!」


 思わず声が弾んで、

 その場で小さく跳ねてしまう。


 胸の奥がふわっと温かい。


 卒業式という大きな節目が終わって、

 少しだけご褒美をもらったみたいな

 気分だった。


「カナタは、その時に教会の方へ伝えて来いよ」


 利玖がぽんっと、

 カナタの肩を叩く。


『うん、分かった』


 カナタは、少しだけ目を伏せた。


『その……ありがとうございます』


 その声には、遠慮がちな静けさと、

 でも確かな嬉しさが滲んでいた。


 お父さんとお母さんは、

 ふわりと微笑んだ。


「じゃあ、このままみんなで車に乗って、まずはカナタくんを送ろうか」


 お父さんがそう言う。


 私たちは自然と歩き出した。


 卒業したばかりの学舎を背にして、

 並んで前へ進んでいく。


 ふわりと春風が吹き抜けて、

 咲き始めた桜が柔らかく揺れた。


 ひとつの節目を越えて、

 また次の季節へ向かっていくみたいに。


 私はふと、

 手の中の写真に目を落とした。


 “卒業式”の看板の横で並ぶ、

 私とカナタ。


 今日しか撮れない、

 今日だけの一枚。


 ――この先も、

 こんなふうに並んでいられたらいいのに。


 そんなことを思ったのは、

 きっと春のせいだけじゃなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


今日しか撮れない一枚と、

今日だからこそ残る気持ちを書いた回でした。


次回は少し時間が進みますが、

それぞれの変化も書いていきます。


この先も見守っていただけると嬉しいです。

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