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機械仕掛けの魔法使い  作者: Runa
2章 門出の選択。
9/71

03

 チリリリッ、チリリリッ、チリリリッ———


 目覚ましの音が、耳の奥で柔らかく鳴り、私はその音を止める。


 機械自体はそれほど大きな音を立てていないはずなのに、聴覚魔法で耳元に直接響くように施されているから、意識はきちんと現実へ引き戻される。


 でも、やっぱり朝は苦手。目は覚めても、体は布団の温もりを恋しがっている。このまま、もう一度微睡んでしまいたい。


 だけど今日は、卒業式。ぐずぐずしていられない。


「莉愛、起きてるー? 寝間着のまま降りていらっしゃーい!」


 1階からお母さんの声が響いてきた。私は寝間着の衿を軽く整えて、ぼさぼさの髪を指先で梳かし、微睡みを目元に残したまま、重い足取りで階段を降りる。


 ダイニングへのドアを開けると、朝の光が穏やかに差し込んでいた。キッチンには、手際よく朝食を準備するお母さんの姿。


 テーブルでは、お父さんが紅茶のカップを並べていて、利玖は羽織は着ずに制服姿のまま、難しそうな本を読みふけっている。


 キッチンから魔械(マギア)義肢の音がする。すると、香ばしいトーストや色取り取りの野菜を乗せた皿たちがふわりと宙に浮き、テーブルの上へと運ばれてくる。


「……おはよう。」


 ぼんやりとした声で、家族に挨拶をする。


「莉愛、おはよう。紅茶、もうすぐできるよ。」


 お父さんがポットに温かな紅茶を淹れている。湯気の中に、ふわりと広がる上品な香りが鼻をくすぐる。


「……いい匂い……。」


「おはよう、莉愛。先に顔だけ洗ってらっしゃい。」


 お母さんが、まだ眠気の抜けない私の様子に気付いて、優しく促す。


 私は頷いて、トボトボと洗面所へ向かった。春の朝は、まだほんのり肌寒い。だけど、家の中には変わらず温かい。


 洗面所に入ると、まず蛇口をひねり、手元に流れ出る温かいお湯を洗面器に溜める。お湯が静かに器の中を満たしていく間に、棚から柔らかなタオルを1枚、そして薬草を1枚取り出した。


 この薬草は、肌の汚れを穏やかに落としてくれるもの。朝の洗顔には、これが欠かせない。


 洗面器の中へ薬草を一緒に入れて、長い髪をヘアクリップで手早くまとめる。薬草の葉は、じわじわとお湯の中で形を変えていく。葉の縁がわずかに揺れて、しばらく待つと薄く色付いた湯の中に、ふわりと何かが溶け出し、いい香りがしてきた。


 タオルを入れて、その中で優しく揉み込む。ふわふわとした手触りの中に、薬草の成分がしっかりと染み込んできた。


 温かく、ほんのり薬草の青い香りが漂うタオルを取り出して、軽く絞る。そして、ぼんやりとした目元を拭った。


 顔全体にじんわりと熱が広がる。薬草のすっきりした香りと、優しい温もりが、まだ夢の名残を残す意識をゆっくりと引き戻してくれる。


 鼻筋から頬、顎、額そしてこめかみ。丁寧にタオルを動かしながら、仕上げに耳の裏と首筋をそっと拭き上げる。


 義手では手のひらにお湯を溜めることができない。だから私にとっては、このやり方が1番自然で心地いい。


 鏡の中の自分を見て、顔に汚れが残っていないかを確かめる。……大丈夫そう。


 使ったタオルを洗濯カゴに入れて、義手乾燥機のスイッチを入れて、義手を乾かす。


 その間に、右手で保湿クリームを手に取って、そっと顔に伸ばしていく。お母さんは、これの前に化粧水を塗っているけど、私は、まだこれで十分だと思っている。


 無事、すっかり目が冴えた。私の朝のルーティンだ。軽くうがいをして、髪を丁寧に梳かしてから、私は急いでダイニングへ向かった。


 ダイニングに入ると、ちょうど朝食がテーブルに並び終えるところだった。お母さんの魔械(マギア)義肢が小さく音を立てながら動き、最後の1皿をふわりと運ばれる、お父さんが家族のカップに紅茶を注いでくれた。


「おはよう。目は冴えた?」


 テーブルにいた利玖が、読んでいた難しそうな本をパタンと閉じて、私に目を向ける。


「ばっちり!」


 私は笑いながら、義手でピースを作って応えた。その仕草に、利玖が「ははっ」と小さく笑う。


 お父さんとお母さんが席に着いたのを見て、私も自分の椅子に腰を下ろした。


「「「いただきます。」」」


 家族の声が重なり、食卓に穏やかな朝の空気が広がる。私は、お父さんが淹れてくれた自分の紅茶に、角砂糖を3つとたっぷりのミルクを入れる。


 よくあるミルクティーよりも、柔らかく淡い色合いのミルクティーが、私のいつものミルクティー。そっとカップを持ち上げて、口元へ運ぶ。


 ふわりと立ち登る香りと、口の中に広がる優しい甘さと温かさ。お腹の奥がじんわりとほぐれていくようで、眠っていた体が、ようやく目覚め始めた気がした。

 朝食を食べ終えると、お父さんと利玖は、食器を片付けるためにキッチンへ向かい、私とお母さんは洗面所で歯を磨き終えてから、私の部屋に戻った。


 制服の着付けに特別な手順があるわけではないけど、今日は初めてこの姿で外に出る日。姿鏡の前に立つ私の背後で、お母さんが静かに手を貸してくれる。


 絹のワイシャツは、肌にすっと馴染むオフホワイト。膝下まで届くダークグレーのタイトスカートには、動きやすいよう左側に1つスリットが入っている。


 そして、最後に袖を通すのは、漆黒の羽織。羽織はしっかりとした仕立てで、身を包んだ瞬間に背筋が自然と伸びるような感覚があった。


 だけど不思議と、重さは感じない。


 布は肩に馴染み、動きを妨げることなく軽やかに寄り添ってくれる。その着心地は、まるで守られているようでありながら、自由でもある。


 袖丈は長く、まるで振袖のように優美な形をしている。


 これは、高等部を卒業後も着続ける正式な装いで、大人への第一歩でもある。


「この羽織はね、成年登証試験に受かって成人と認められたら、袖を落として仕立て直すのよ。働く時や、町の行事の時に着る衣装になるの。」


 お母さんの手が、羽織の袖を整えながら続ける。


「触覚魔法で特殊加工されていてね。職種によって色や模様が変わるの。12の寮に選別されると、衿と袖に、その寮の色の蔓模様が浮かび上がるのよ。」


「へぇ〜。」


 鏡越しに頷くと、まだ真新しい羽織が、少しだけ大人びた重みを纏っている気がした。


「お父さんとお母さんは、どの寮だったの?」


 制服の衿を整えてもらいながら問いかけると、お母さんは少し懐かしそうに微笑んだ。


「お父さんは長月寮で、お母さんは水無月寮だったのよ。お父さんは橙色と白銀色、お母さんは藤紫色と朱色だったの。」


 そう言いながら、お母さんは羽織の袖口と衿を指し示し、蔓模様が浮かび上がる場所を教えてくれる。

 そこに模様が浮かぶなんて、まだ実感はないけれど、少し楽しみでもあった。


 すると、部屋のドアをノックする音がした。


「どうぞっ!」


 声をかけると、利玖が姿を見せた。私と同じ羽織を着ているけど、利玖の羽織にはすでに、蔓模様が描かれていた。


「おっ!かっこいいな。模様がないの、懐かしいな〜。」


 そう言いながら、利玖は私の袖口をのぞき込む。


「そういえば、利玖はどの寮なの?」


 問いかけると、利玖は私を見て答えてくれた。


「俺?俺は睦月寮だよ。松と牡鹿がモチーフ。」


「モチーフ?」


 首を傾げると、利玖は頷いた。


「12の寮にはそれぞれ、2つのモチーフがあるんだ。それによって模様の色が決まって、睦月寮は、松葉色と焦茶色。松の葉っぱの色と、牡鹿の色。」


 利玖の説明に、私は思わず小さく「へぇ〜」と感嘆の息をもらした。知らなかった知識が、静かに胸に落ちてくる感覚が心地よい。


 ふと利玖の胸元、ちょうど胸下あたりに、私の羽織にはない何かが着いているのに気づく。


「それ、なぁに?」


 私は思わず、声をかけた。利玖の羽織には、左右の衿を繋いでる紐が着いていた。その中心には、淡い緑色の小さな石がきらりと光っている。


「これ? これは羽織紐。中等部から着けるものでね、羽織が広がらないように留めておくんだよ。今日、卒業のお祝いにリョク様から頂くはずだよ。」


「へぇ〜……じゃあ、ここに付いてる石は何?魔法石?」


 私が羽織紐に顔を近付けて尋ねると、利玖は頷いた。


「そう、天然魔法石。教会から授けられるものだから、それぞれの町によって色が違うんだよ。」


 光を受けて、淡く透き通るように輝くその緑は、どこか落ち着いた優しさを持っていた。


 私たちが暮らす町——常盤町。利玖の胸元で揺れているのは、その常盤の名の通り、常盤の緑を宿した淡い緑色だった。


「へぇ〜、楽しみっ!」


 胸の奥にふわりと灯る期待を隠しきれず、私は自然と笑みが溢れた。


この物語に触れてくださり、ありがとうございます。

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