壊れない関係(真耶・司視点)——やわらぐ境界
真耶を背負った司は、
カナタたちの教室を出て、
静まり返った廊下を歩いていた。
午後の光が窓から差し込み、
淡く照らされた床の上を、
司の足音と真耶の短い呼吸が重なる。
「西陽、眩しいね〜。真耶、大丈夫?」
「うん、平気」
中性的な声が、静かに落ちる。
色素の薄い真耶は、
日中は遮光コンタクトを着用し、
触覚魔法で肌を守っている。
そうして、
他の生徒と変わらない日常を送っていた。
黒曜石のような瞳が、
窓から差し込む光を細めて受け止める。
「今日のやつ、さすがに俺でも分かったね〜」
「そりゃそうでしょ。あんなお粗末」
真耶は鼻を鳴らした。
言葉は辛辣なのに、
声の奥には疲れが滲んでいる。
「カナタも、全部分かってただろうね。でも、ああいうのって“分かってるだけ”じゃどうにもならないから」
「だから俺たちを呼んだんでしょ? 嬉しいね〜」
司が軽く笑う。
その明るさに、
真耶もふっと力を抜いた。
司の頭に頬を預ける。
癖っ毛の柔らかい髪と体温が、
じんわりと真耶に伝わる。
「……あいつ、どうなるんだろうね〜」
何気ない声。
でも、その向きははっきりしている。
「カウンセリング室登校か、最悪退学。……どっちにしろ、あのクラスには戻らないでしょ」
淡々とした声。
そこにあるのは、
冷静な判断と――静かな安堵。
「だといいね」
司はぽつりと呟いた。
心配しているのは、犯人じゃない。
カナタだ。
緑の教会で一緒に育った、大切な家族。
これ以上、彼が傷つかないように。
足音が、静かな廊下に響く。
長く伸びた影が、ゆっくり揺れていた。
「……そういえばさ〜」
「ん?」
「タオルとハンカチ、“捨てた”って言ってたけど……あれ、ほんとかな?」
真耶は一瞬だけ目を細めた。
「……いや、持ってるよ」
「やっぱり?」
「ナットを肌身離さず持ってたやつだよ? あれだけで分かる」
――手放すはずがない。
あれは証拠じゃない。
“戦利品”だ。
「何で言わなかったの?」
司が上を見上げるように尋ねる。
真耶は少しだけ息を吐いた。
「……言わない方がいいでしょ」
「なんで〜?」
しばらく沈黙。
西陽が、紫に煌めく白髪を透かす。
「……莉愛が、自分を責めるから」
短く、それだけ。
「自分のせいでカナタに迷惑かけたって、絶対思う」
少しだけ声が低くなる。
「自分の物が“道具”にされて、それが手元に戻って、まともに向き合えると思う?」
「……無理だね」
司が静かに頷いた。
沈黙が落ちる。
風だけが、窓の外を流れていた。
「あとさ〜」
司がぽつりと続ける。
「動機」
「あぁ……」
真耶が溜息を吐いた。
「莉愛に惚れて、カナタに嫉妬」
「みんなは見逃しても、俺の“観察力”は見逃さないよ〜」
司が小さく笑う。
「それに加えて――」
真耶の声が、少しだけ冷える。
「“普通”から外れてるやつが、自分より上にいるのが許せなかった」
「……あぁ」
司が納得したように息を吐く。
「なるほどね〜」
真耶は窓の外へ顔を向けたまま、
前髪を摘み、ぽつりと呟いた。
「……うちも、昔よく言われたな〜」
軽い口調。
だけど、
ほんの少しだけ温度が低い。
司は少し眉を下げた。
「綺麗なのにな〜」
あっさりと返された言葉に、
真耶が小さく笑う。
「……そういうとこだよ、司」
その声は、
さっきより少しだけ柔らかかった。
「見た目も、声も、やり方も違う。なのに評価されてる。信頼されてる」
真耶は淡々と続ける。
「それを耐えられないやつって、いるんだよ」
「だから壊そうとしたんだ。カナタを」
一拍置いて、
「“評価ごと”ね」
「うわぁ……」
司が顔をしかめた。
「気持ち悪い話だけど、珍しくもない」
真耶は肩をすくめた。
「自分より下だと思ってたやつが上にいると、“壊したくなる”やつ」
「しかも、莉愛がいるから余計にか〜」
「そういうこと」
「……カナタ、変なのに目つけられたね〜」
「莉愛も罪な女だ」
「何も悪くないけどね〜」
司がくすっと笑う。
真耶も、少しだけ口元をゆるめた。
「まぁでも――」
司がぽつりと言う。
「勝ち目なかったよね、あいつ」
「最初からね」
真耶が即答する。
「だってさ〜」
司が軽く笑う。
「カナタが“被疑者”で、莉愛が“被害者”でしょ?」
「「その時点で詰み」」
二人の声が、重なる。
「“忠犬”が“飼い主”に噛みつくわけないじゃん」
「忠犬って、カナタのこと〜?」
「言い得て妙でしょ?」
真耶が笑う。
「うちにはもう、あの二人はそういう関係にしか見えない」
「それってあれ? “難事件”を相談しに行ったときのやつ?」
「そうそう。カナタ、めんどくさそうにするくせに」
少しだけ楽しそうに、
「莉愛が“お願い”した瞬間、やる気出すんだよ」
「ははっ、あれは本当分かりやすかったね〜!」
司が笑う。
真耶も目を細めた。
理屈じゃない。
本能みたいに。
カナタは、莉愛のために動く。
“忠犬”。
それは皮肉でも、侮蔑でもない。
ただ――
壊れそうで壊れない、
あの二人の関係を、
真耶なりの言葉で言い表しただけだ。
司も、それを分かっていた。
「……でも――」
真耶がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「“忠犬”だろうと“飼い主”だろうと……」
一拍。
「うちらはみんな、“機械仕掛けの魔法使い”だよ」
静かな声だった。
司は少しだけ笑って、頷く。
「……うん、そうだね」
笑い声が、ゆっくりと小さくなる。
黄昏の光に溶けていく。
長い一日の終わり。
その余韻だけが、静かに残っていた。
お読みくださり、ありがとうございます。
クラスのみんながまだ知らないこと。
莉愛が知らないこと。
そして、カナタ自身も気づいていないこと。
“見えている人たち”から見ると、
あの教室は少し違って見えています。
それでも最後に真耶が口にしたように、
彼らはみんな——“機械仕掛けの魔法使い”です。
この言葉が、
少しずつ色んな意味を持ち始める章でもあります。
引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。




