17
実技試験の双輪試走まで、後一週間に迫った。
詩乃ちゃんは無事、魔械創駆を完成させた。前と後ろに小さなタイヤの付いた、細身でくびれのあるフォルムは、まるでスリムなスケートボードみたいだった。
運動神経のいい詩乃ちゃんは、迷いもなく乗るとスッと走らせてしまう。風を切るように前へ進む姿は、とってもカッコよかった。
私も少し乗らせてもらったけど、結果は散々だった。立ち上がろうとしただけで体がグラつき、重心が定まらず、足がフワフワと浮いたように頼りない。とてもじゃないけど進めなかった。
(詩乃ちゃん、すごいなぁ……)
今日も様々なコースの予行演習が続いている。今、詩乃ちゃんは迷路コースを迷いなく走り抜け、私は別室の上空図を前にして、操縦者に進むべき道を教える役目を担っていた。
「詩乃ちゃんっ、次は右っ! ……あっ!ごめんっ! 戻ってーっ!」
「はーいっ!」
体操着を着て魔械創駆に乗り、颯爽と走る詩乃ちゃんの返事は、いつも明るくて軽い。それが逆に、私の胸にチクリとした痛みを走らせる。
私は必死に地図を目で追っているのに、思わぬ分かれ道に焦って声が裏返ってしまう。詩乃ちゃんの走りを乱してしまったんじゃないか、そんな不安が喉元に詰まった。
迷路はゴールに近付けば近付くほど、複雑になっていく。分かれ道がどんどん増えて、焦って先を読むのが難しくなる。冷や汗が背中を伝う。
頭の中で線を引いても、目の前のルート図がすぐにぐしゃぐしゃに絡まって見えた。
──私が間違えたら、詩乃ちゃんはどうなるんだろう。
そんな考えが一瞬過る度、声を出すのが怖くなる。だけど迷っている暇なんてない。詩乃ちゃんは今も私の言葉を信じて走っているんだから。
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予行演習が終わり、別室のベンチに並んで腰を下ろす。息を整えながら結果を振り返れば、ゴールに辿り着くのに予定よりも大分時間がかかってしまっていた。
「え〜ん。詩乃ちゃん、ごめんね……」
情けない声が勝手に漏れて、思わず目元を手で覆った。自分のせいで足を引っ張ったんだと思うと、涙が込み上げてくる。
「こればっかりは仕方ないよっ! 魔法でどうこうできるものじゃないからさっ!」
すぐ隣で、詩乃ちゃんが明るく笑ってくれる。その声が、少しだけ胸の痛みを和らげた。でも──
“仕方ない”と言ってもらえても、本当はそうじゃない。それをどうにかするのが、操導者の役目だ。
迷路のコースでは魔法を使う場面はない。それでも私は指導で詰まってしまった。声をかけるのが遅れて、迷わせてしまった。
操導者は、“魔法を操り、指導する”人のこと。
(それなのに、どっちもできていないじゃない……)
ベンチに座り込んだまま視線を落とす。悔しさで胸が重くなり、唇を噛んだ。
笑って励ましてくれる詩乃ちゃんの笑顔が、余計に眩しく見えて、同時に自分が小さく思えてしまう。
「ハァ……」
胸の奥に溜まった息が、またひとつ漏れていく。溜息を重ねる度、自分がどんどん嫌なやつに思えてくる。
隣で詩乃ちゃんが心配そうに眉を寄せて、そっと名前を呼んでくれた。こんな時まで気を使わせてしまうなんて……情けない。
すると——
『莉愛? どうしたの?』
不意に声をかけられて顔を上げると、体操着姿のカナタと、制服姿の拓斗がこちらへ歩いて来ていた。詩乃ちゃんがパッと笑顔になり、軽く手を振る。
「あっ、二人共。練習、もう終わり?」
「いや、俺は個人的にもうちょっと練習しようと思って」
『僕は創駆を少しいじろうかなって』
迷いなく自分のやるべきことを口にする二人。その姿が眩しくて、胸がさらに沈んだ。
ちゃんと前を見ているみんなと比べて、自分だけが欠けている気がして——ますます情けなくなる。
『……莉愛、大丈夫? 具合悪いの?』
カナタが眉尻を下げて、真剣に覗き込んでくる。心配する声が優し過ぎて、胸がチクリと痛んだ。
「ん……大丈夫。ちょっと、自信がなくなっちゃっただけ」
口元を引き上げて笑おうとしたけど、きっとぎこちなくて変な顔になっていただろう。強がるほど、みんなとの差がはっきりしてしまう気がして、余計に苦しかった。
(私も……自主練にしようかな)
そんな考えが胸の奥で膨らんでいく。そうすれば、詩乃ちゃんも思い切り走れるし、私も足を引っ張らずに済む。それがきっと、お互いのため。
意を決して、詩乃ちゃんに言おうと顔を上げると、そこにいたのは、カナタだけだった。
『それじゃあ、莉愛。ちょっと待っててね』
「……へっ?」
思わず間抜けな声が漏れる。慌てて辺りを見回すと、詩乃ちゃんと拓斗の背中が少し離れたところにあった。
詩乃ちゃんは振り返って、私に笑って手を振ってくれている。
「あれっ……あの二人はどこ行くの?」
戸惑う私に、カナタは淡々と答えた。
『少しだけ莉愛を借りたくて、詩乃ちゃんには自主練に行ってもらったよ。拓斗は元々、自主練の予定だったし』
「か、借りる……?」
自分が“借りられた”ことに頭が追いつかず、口の中で言葉を繰り返す。どういう意味なのか。何をされるのか。分からずに胸がざわつく。
『それじゃあ、着替えてくるから、ここで待っててね』
そう言ってカナタはくるりと背を向け、更衣室へ歩いて行った。その背中が見えなくなるまで、私はただ呆然と見送っていた。
——どうしてだろう。置いていかれたようで少し心細いのに、呼ばれた嬉しさがじんわりと残っている。
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『お待たせ。行こうか』
長い袖を揺らしながら、制服に着替えたカナタが静かに戻ってきた。落ち着いた足取りと、機械混じりの声。
その姿を見た途端、待っていたはずの私の胸が、なぜか一瞬ドキッと跳ねた。慌てて立ち上がり、余計な間を作らないように口を開く。
「あの、カナタ……創駆はいいの?」
問いかけながら、心の奥では小さな不安が疼いていた。もしも私のせいで大事な時間を奪ってしまっていたら——
『うん、大丈夫。拓斗が自主練するって言うから、創駆を改良しようと思ってただけだから』
「そっか……」
その言葉に胸がふっと軽くなる。思っていたよりもずっと優しい答えで、心臓に絡みついていた緊張が解けていく。私のせいでカナタの邪魔をしたわけじゃなかったんだ。
安堵を噛みしめながらも、次に浮かぶのは別の疑問。私はおずおずと視線を向け、少し声を落として尋ねた。
「えっと……それで、どこに行くの?」
すると、カナタの瞳が淡々とした光を宿したまま、短く告げる。
『図書棟だよ』
「図書棟?」
思わず復唱してしまう。練習場でも、作業場でもなく、どうして図書棟? そんな疑問が頭の中をグルグルと回る。
それと同時に、カナタに何か考えがあるのかもと言う期待感が、心の奥で小さく膨らんでいくのを感じていた。
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鏡を抜けると、そこは静かな別館だった。私とカナタは並んで長い渡り廊下を歩き、その先に聳える建物の前に立つ。
首が痛くなるくらい上を仰がなければ、てっぺんが見えないほど高い図書棟。まるで空へ届こうとしているみたいに、厳かにそこに存在していた。
「カナタは、ここには来たことある?」
私が少し緊張気味に問いかけると、カナタは当たり前のように頷いた。
『うん、何回かね』
(さすがだなぁ……)
胸の奥で小さく感嘆の声が漏れる。緑の教会の図書室の本をほとんど読み尽くしたと聞いたことがあるカナタ。知識への渇きが、カナタをこんな場所へも自然と向かわせるのかな。私には到底真似できない。
だからこそ、そんなカナタが隣にいることが、少し誇らしく思えてしまう。
「私、実は初めてなんだ。ずっと行ってみたかったの」
口にした瞬間、心がふっと軽くなる。ずっと来てみたいと憧れていたけど、目紛しい学園生活の中で果たせずにいた願い。
まさかこんな形で訪れることになるなんて思わなかったけれど、それでも胸の奥が少し温かくなっていく。
「だから、こんな形だけど、ちょっと嬉しいんだっ」
気付けば言葉が弾んでいた。カナタに伝えたいという気持ちが、自然と笑顔を引き出していた。
『そうなんだ。それなら、連れて来れてよかったよ。……やっと笑った』
カナタの言葉に、胸がキュッとなる。私の笑顔を見て、安心したみたいに目元がふんわりと和らいで——その表情は、いつもの冷静さとは違う、どこか温かかった。




