16 (拓斗side)
「……はいっ、ここに座ってっ」
操導者の魔法の練習が終わった後、俺と莉愛は完全にバテていた。晶が気をきかせて、それぞれのペアのとこまで送ってくれた。
莉愛は休んでいるうちに大分回復したらしく、もう普通に歩けてた。だけど、俺はまだ頭がズキズキして、足がフラついて、一人で歩くのは正直キツかった。
そんな俺を見た詩乃が、心配そうに眉を寄せて声をかけてくる。その顔を見た瞬間、なぜだか急に弱音を吐きたくなって、素直に言うことを聞いてしまった。
作業机の椅子に腰かけた瞬間、身体の力が抜けて、思わず溜息が漏れた。
情けないなんて思いながらも、詩乃がそばにいることにちょっと安心してる自分がいた。
「……ありがとう」
「どういたしましてっ」
俺がゆっくり腰を下ろすのを確認すると、詩乃は気を張らせないように、いつもの明るい笑顔で返してくれた。
その笑顔が、まだ目が回って頭が痛いことさえ、忘れさせてくれる気がした。
「あれ、カナタくんが作ってるんだよねっ! すごーい……」
詩乃の視線は、俺たちのチームで組み立てている制作途中の魔械創駆へと向かう。
目を輝かせている詩乃を横目で見て、胸の奥がくすぐったくなる。自分が褒められているわけじゃないのに、どうしてか嬉しかった。
俺も詩乃の視線を追って、俺のチームの魔械創駆に目を移す。
バイクと呼ぶには、まだあまりに未完成だ。どちらかと言えば“ミニバイク”に近い。無駄な装飾は一切なく、ただ最低限の部品が組み付けられているだけ。
小さなフレームに取り付けられた前後の太いタイヤ。前輪を支えるフロントフォークは意外としっかりしていて、試作のハンドルバーも差し込まれている。
後輪にはシートフレームが据え付けられ、まだ薄いクッションを仮留めしただけの簡易シートがポツンと乗っていた。右脇には小さなマフラー管が伸びていて、溶接跡が剥き出しのまま残っている。
フレーム中央はぽっかりと空いたまま。そこに魔械歯車や人工魔法石を組み込まなければ、この鉄の塊はただの「未完成品」のままだ。
それでも——目の前にあるその形を見ていると、不思議と胸の奥が騒いだ。未完成でも、俺たちが作り上げる魔械創駆には違いない。
その事実だけで、鼓動が速くなっていく。期待と緊張とが入り混じり、手の平が少しだけ汗ばんでくる。
「……俺はほとんど手ぇ出してないから、よく分かんねぇけど」
思わず卑屈に口をついて出た言葉。だが、それをすぐに詩乃が遮った。
「操導者はしょうがないよ〜。それに、乗る人が作った方が、魔械の構成や操作とかを理解するのが早いからいいんだよっ!」
詩乃はまるで当然のことのように言う。その声が妙に真っ直ぐで、言葉以上に強い温かさが胸に響いた。自分の役割を、ほんの少しだけ誇ってもいいのかもしれない。
「……詩乃の魔械創駆も、こんなふうにバイクなのか?」
「ううんっ、私はねぇ、こんな大きいのは無理だなって思って、もっと小さいのにしたんだぁ! あのねっ——」
そこから先は、専門用語だらけで俺にはちんぷんかんぷんだった。だけど、詩乃の瞳が楽しそうに輝いて、手振りまで交えて熱く語る姿を前にすると、不思議と退屈にはならなかった。
寧ろ、夢中で話している詩乃を見ていたくて、頬杖をついて、ただ相槌を打ちながら耳を傾けていた。
暫くすると、詩乃がハッとしたように目を丸くした。
「って、ごめんねっ! すごく話し込んじゃったっ!」
口に手を当てて、慌てて謝るその姿が、何だか可笑しくて、思わず口元が緩んだ。俺は、なるべく何でもないように言葉を返す。
「いや、大丈夫だよ。……好きなんだな、魔械」
そう告げると、詩乃は一瞬キョトンとした後、ふわっと笑った。その笑顔は、まるで太陽に照らされたみたいに明るくて、胸の奥が一瞬ざわめいた。
「うんっ!」
迷いのない返事。その屈託のなさが、少しだけ眩しかった。俺は、そんな自分の心の揺れを隠すように、視線をフレームの方へ落とす。
「えへへ。じゃあ、莉愛ちゃんのところに戻るねっ。」
詩乃はそう言って、羽織の長い袖を揺らしながら小走りに駆けて行った。手を振る背中を目で追いながら、俺も自然と手を振り返す。
その姿が見えなくなるまで、不思議と目を離せなかった。
しばらくすると、カナタが戻って来た。
『……大丈夫?』
機械混じりの声が、俺の耳に届く。無機質なのに、どこか人の温度を帯びた響きだった。
莉愛を気遣うのは分かる。でも、俺のことまで心配してくれるなんて思ってもみなかった。
さっき、驚いて変な顔をしてしまったのを思い出し、途端に気恥ずかしさが込み上げてきて、思わず顔を背けた。
「……おう」
短く返すしかできなかった。だけど、カナタはそれ以上は追及せず、何事もなかったように魔械創駆の作業に戻った。
その背中を眺めているうちに、出来上がっていくものが見覚えのある形だと気付いて、ふと俺は口を開いた。
「……これって、莉愛の兄貴が乗ってたやつに似てるな」
カナタは手を止めず、チラリと目線だけこちらに向けて答えた。
『うん。だって、そう作ったから』
「そう作ったって……設計図でも貰ったのか?」
『いや? 映像で見ただけだよ』
あまりにさらりと言うものだから、一瞬返す言葉を失った。
こいつは昔からそうだ。普通なら「無理だろ」と笑い飛ばすようなことを、何でもない顔でやってのける。
俺らには到底できないようなことを、当然のように。
——それが、不気味で……羨ましい。
胸の奥で小さなざわめきが起きたが、それを表に出すわけにもいかない。ただ黙って続きを待つ。
『ただ、去年だか一昨年に授業中に事故があったらしくて、タイヤの大きさがグッと縮まったから少し玩具っぽいよね』
「あー……うん」
何気ない会話のはずなのに、妙に心がざわつく。カナタの一言一言に、自分との差を思い知らされているようで。
だけどその背中に、どうしようもなく目が吸い寄せられるのを止められなかった。
———自分との差。
その感覚は、ここに来る前にも感じた。
晶。俺と莉愛がバテて立っていられなくなったのに、あいつだけは平然としていた。
息も乱さず、フラつきもしない。その姿に、焦りと羨ましさが胸に引っかかる。
そしてここへ来る途中、ふと思ったことがあった。疑問が心の端でくすぶり続けていた。
「……なぁ」
『ん?』
俺に呼ばれたことにすぐ気付いたようで、カナタは目だけ俺に向ける。その一瞬の視線に、俺は少しだけ緊張した。
「晶とお前って、どこで知り合ったの?」
『寮が同室なんだ』
(あいつ如月寮だったのか)
そう言えば聞いてなかったなと、今さら思い出した。でも晶を知った今、あいつが如月寮なのが何となく納得できた。
「……もしかして晶ってさ……家が金持ちだったりする?」
口に出すのは少し躊躇した。さっき見たあの余裕ある態度。体力だけじゃない、心も余裕があるように見えたあいつの背景を、つい想像してしまった。
もしかしたら、カナタは知っているかもしれない。だから、聞かずにはいられなかった。
カナタは顔をこちらに向けて一度瞬きをすると、静かに答えた。
『え……さぁ? そう言う話はしないから知らないな』
「……そっか」
カナタの答えに、俺はひとつ息を落とした。
まぁ、例え本当に家が金持ちだったとしても、晶は、そういうことを鼻にかけて言いふらすようなやつじゃない。あいつを見ていると、何となくそう思えた。
『……でも、言動から育ちの良さは感じるよ。……どうしてそう思ったの?』
カナタは宙を見上げながら、頭の中で晶の姿を思い描いているようだった。その問いに、俺は少し口籠りながら答える。
「あー……あいつの誕生日に、俺の両親が演奏しに行ったらしくて……」
俺の両親は、そこそこ名前の知れたピアニストとバイオリニストだ。普通はソロコンサートか、大きなイベントや公共機関からの依頼くらいでしか演奏なんかしない。
それなのに、晶の誕生日には、わざわざデュオで演奏した。ただの祝い事に過ぎないはずなのに。その事実を知った時、俺は素直に驚いた。
晶は、やっぱりただものじゃない。そう思わされるには十分だった。
カナタは俺の家柄を知っているからか、ふっと何かに合点がいったような顔をして、静かに頷いた。
『……確かに、それはただの家じゃなさそうだね』
カナタがあっさりと同意した。その響きは淡々としていたのに、不思議と胸の奥をくすぐられる。
不気味で、羨ましい——そう思っていた相手が、自分と同じ感覚を抱いている。その事実が、妙にくすぐったくて、こそばゆい。
自分とは違う世界に立つやつだと勝手に思っていたのに、もしかしたらそうでもないのかもしれない。そんなふうに考えたら、ほんの少しだけ距離が縮まった気がした。
カナタはそれ以上余計なことを言わず、また作業へ戻った。工具の先で魔械創駆のパーツを慎重に整える姿を、俺は黙って見続ける。
金属の擦れる乾いた音と、時折漏れるカナタのチョーカーから漏れる、小さな息使いが耳に届く。
気付けば——体の怠さも少し和らいでいて、もう立ち上がれるくらいには回復していた。
俺はフラつかないようにゆっくりと足を運び、カナタの隣にしゃがみ込む。そして未完成の魔械創駆の大きなパーツに手を添え、支えるために力を込めた。
その瞬間、カナタの手が一瞬止まる。驚いたように目を僅かに見開き、俺を見た。
『……休んでていいんだよ?』
機械混じりの声には、静かな優しさを帯びていた。
「これくらいできる。安心しな、口出しはしねぇから」
肩の力を抜いたような口調で返したけど、胸の奥では妙な緊張感が走っていた。
俺が支えたところで、大して役には立たないかもしれない。だけど、ただ黙って見ているだけなのが居心地悪かった。
さっき詩乃が言っていた言葉を思い出す。
“乗る人が作った方が、構成や操作とかを理解するのが早い”
……あいつは、意外と的を射ているのかもしれない。俺はその言葉に倣って、せめて邪魔にならないようサポートに徹することにした。
カナタは少し視線を留めた後、何も言わずに作業へ戻った。
ただ、俺の手を拒むこともなかった。それだけで、言葉にならない高揚が静かに満ちていく。




