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晶くんに片付けを任せてしばらく壁にもたれながら休ませてもらったお陰で、完璧に治ったわけではないけどどうにか歩ける程度には回復できた。
横に座る拓斗は、まだ目元を両手で覆ったまま。吐息の荒さが残っていて、回復にはもう少し時間が必要そうだった。
「片付け終わったよ。二人共、具合はどうかな?」
軽やかな声と共に振り向いた晶くんは、変わらぬ柔らかな笑みを浮かべていた。
汗ひとつ滲んでいないその顔は、私たちのグッタリした姿とあまりに対照的で、胸の奥に小さなざらつきを残す。
「私はもう大丈夫っ。拓斗は……まだ目が回ってる?」
「……いや、大丈夫。行こう」
拓斗は意地を張るように立ち上がったけど、その身体はすぐにフラりと傾く。咄嗟に私は拓斗の腕を支えた。
「無理しちゃダメだよっ」
支えられることに慣れていないのか、拓斗の頬が赤くなる。だけど、すぐに晶くんの声がそれを追い抜いた。
「……拓斗くん、俺の肩に掴まりなよ。莉愛ちゃんは、さっきまでフラついてたからさ、二人共倒れちゃうよ」
「……悪い」
短く答えた拓斗は、観念したように晶くんの右肩へ左手を置いた。
「……はい、莉愛ちゃんはこっち」
「へっ?」
晶くんは、当然のように自分の左手の義手を差し出してきた。
「わ、私はもう大丈夫だよっ!」
慌てて手を振って断る。だけど、晶くんは揺るがない笑顔で私を見つめ、低い声で諭すように言った。
「……いや、まだ目がフラフラしてる。歩いてる途中に倒れられても、今は支えられないからさ。俺のために、手、繋いでよ」
その言葉に、心臓が一際強く跳ねた。私のため、じゃなくて「俺のために」。そう言われると断る理由が見つからなくなるし、お願いすることに躊躇がなくなる。
「えっと……それじゃあ……失礼します」
小さな声でそう言って、私は晶くんの義手に自分の右手を重ねた。冷たさを覚悟していたのに、思いのほか馴染む温度にまた動揺する。
晶くんが歩き出す。やっぱりまだ目の奥が揺れているのか、すぐに足元がフラついて私は思わず掴んでいる義手を握りしめた。
私たちは三人並んで魔械訓練館を出て、鏡へ向かって歩く。晶くんは私たちに合わせてゆっくりと、まるで子供を導くような歩調を崩さない。
「莉愛ちゃんと俺、義肢の場所が同じだからさ、意見交換しやすくて助かったよ。莉愛ちゃんとご一緒できてよかった」
まただ。晶くんは、軽やかに感謝と称賛を口にする。その度に胸の奥に小さなざわめきが積もっていく。
「……あの、晶くん」
「ん? 何?」
「えっと……そんなに気を遣わなくていいんだよ? 少なくとも、私には大丈夫だよ」
気付けば、心の中でくすぶっていたものを言葉にしていた。
晶くんは驚いたように目を見開き、私の顔をジッと見つめる。
「……俺にもいらん。やめてくれ」
拓斗が低い声で言葉を重ねた。右手で目元を覆ったまま、それでも確かな響きだった。
(やっぱり拓斗も感じていたんだ。この違和感に)
途端に、胸がホッと温かくなった。
「…………」
晶くんは拓斗をチラッと見た後、笑みを失ったまま固まっていた。その目に初めて、感情の揺らぎが浮かんだ気がした。
「……俺の言葉、そんなに気に入らなかった?」
晶くんは立ち止まらないまま、チラリと私に視線を移した。探るような声音に、僅かな不安が混じっている。
「えっと、そうじゃなくて……そんなことしなくていいんだよっ。本心で話してないなって、分かるよ?」
私の返事に、晶くんは表情を動かさなかった。笑って誤魔化すことも軽口を叩くこともせず、ただ歩みを進めている。その横顔からは、言葉の切っ先を恐れているような気配すら漂っていた。
隣を歩く拓斗が、少し視線を伏せて口を開く。
「……俺たちの苦手な感覚魔法を自然と練習に選んだり、ダウンした俺たちの代わりに率先して片付けしたり、転びそうになった莉愛を心配したり……。お前が人に気を遣うのは、全部計算でやってるわけじゃないだろ」
晶くんは思わず拓斗を振り返る。瞳が僅かに揺れ、何かを隠そうとする反射のように伏せる。
「初対面でも、それくらい分かる」
拓斗は淡々と付け足した。
「本心でやってる部分もあるんだと思う。それを別に……変な言葉で誤魔化す必要はないだろ」
その言葉は鋭いのに、どこか温度があった。まるで強張った心をほぐそうとするような響き。
私は横目で見ながら、拓斗なりのやり方で晶くんの「根っこ」に手を伸ばそうとしているのを感じていた。
「そうだよ、晶くんの手を繋ぐ時、温かかったもん。義手、温めてくれたんでしょ?」
その記憶を口にした瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。あの温もりは偶然じゃなかった。晶くんはそんな小さな気配りを、自然にできる人。
きっとカナタも同じことを知っていた。だから晶くんを紹介する時、言葉に詰まっていたんだ。本心を隠すけど、決して悪い人ではない。
そのことを、カナタはもう分かっていたんだ。
「そんな取り繕わないでさ、私たちの前では普通の晶くんでいてよっ」
思い切って言った私の言葉に、晶くんは少し間を置いてからふっと笑った。諦めたような影を含みながらも、どこか救われたような不思議に柔らかい笑みだった。
「……カナタにも似たようなこと言われたなぁ。あぁいう言葉って、嬉しくない?」
「……少なくとも、俺は気味が悪かった」
拓斗は即座に返した。その直球の反応に、晶くんの口元が僅かに引きつる。
「うぅーんと……」
私は上手く言葉にまとめられなくて、それでも伝えたくて喉の奥から必死に搾り出した。
「何て言うか……言葉は優しいのに、心が込もっていないような……。寒い時に、温かいミルクティーをくれたけど、飲んでみたら冷えてぬるかったみたいな……」
言ってから自分で顔が熱くなる。変な例えだ、と自覚している。きっと伝わらない。
そう思うと胸の奥がギュッと縮んで、言ったこと自体が恥ずかしくなって心の中で泣いた。
その沈黙を、拓斗の声が柔らかく埋めてくれる。
「……ピアノの調律が、ちゃんとできてない……みたいな」
低く落ち着いた声だった。拓斗は少し視線を落としながら、ゆっくりと例えを続ける。
「和音も、旋律も崩れてない。でも……全部の音の調律が、ほんの少しずつ狂ってる。だから一見ちゃんとした曲なのに……聴いてると背筋がざわつく」
拓斗の言葉は、私の稚拙な例えをスッと引き取って、別の形に整えてくれた。それはピアノを弾けない私でも分かる、分かりやすくて鋭い比喩だった。
思わず、胸の奥で感嘆が溢れる。
「拓斗すごいね。音楽家さんみたい」
正直な感想が口から出ると、拓斗は一瞬だけ小さく笑った。
「一応、そう言う家柄なもんで」
(あ、そうだった)
拓斗が音楽一家の出だということを思い出した。普段の拓斗の無骨な態度に隠されているものが、今こうして自然に滲み出ている気がして、胸が少しだけ温かくなる。
「……素敵な演奏をするおふたりだよね」
晶くんが、ふと思い返すように言った。その声音はさっきまでの取り繕った柔らかさではなく、本当に懐かしさを含んだ響きだった。
「えっ、晶くん、拓斗のお父さんとお母さんの演奏、聞いたことあるの?」
私は思わず身を乗り出してしまった。拓斗のお母さんがバイオリニストだと聞いたことはある。
慰者であるお母さんの仕事を通じて、人の心を癒すために演奏してくれた、と聞いた日のことを思い出す。
「うん、誕生日の時にね。ピアノとバイオリンのデュオで演奏してくれたんだ」
晶くんの目が少し遠くを見ている。誕生日の光景を心の中に映しているのかもしれない。
その横顔は、今まで見てきた「人を安心させるための笑顔」じゃない。思い出を大事に抱きしめるような、無防備で自然な微笑みだった。
「へぇっ! お誕生日の時にっ? いいなぁっ」
思わず声が弾んだ。心の奥から出てきた感情のままに話していると、晶くんも同じように少し照れ臭そうに笑った。
(あ、今の笑顔、すごく自然だ)
胸の奥が温かくなる。さっきまで感じていた「わざとらしさ」は影も形もなく、ただそこにいる一人の同級生として、晶くんが笑っていた。
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