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消された記憶と、匂いのトリック——繋がる記憶

「タオルがないっ!!」


 思わず声が張った。


 胸の奥から突き上げるように出たその言葉に、

 教室の空気が一瞬で止まる。


 誰もが言葉を失い、

 目を瞬かせたままこちらを見ている。


 時間が止まったみたいに、

 沈黙だけが広がった。


「……タオル?」


 張りつめた静寂を、

 司が首を傾げながら破る。


 その呑気な声に、

 ようやく息を吐くことができた。


「うんっ、そう! 体育の後、椅子にかけてたやつっ!」


 言葉にした瞬間、記憶が鮮明に蘇る。


 汗を拭いたタオルを椅子の背にかけて、

 窓から入る風で乾かしていた。


 ――それを、今まで思い出せなかった。


 まるで、

 誰かに記憶のスイッチを切られていたみたいに。


「……なるほど、それでか」


 真耶の声が、静かに空気を震わせた。


 顎に手を添えたまま、

 どこか遠くを見ている。


 その目はもう

 “答え”に辿り着いているみたいだった。


「……タオルが、何か意味あるのかよ?」


 拓斗が眉をひそめる。


 真耶は腰に手を当て、

 口角を吊り上げた。


「うん、ものすごく。莉愛、よく思い出してくれたね」


 その笑みには、確信があった。


 真実に手が届いたときの――探偵の顔。


 私は何が良かったのかわからないまま、

 それでも理解した。


 ――“何か”が、繋がった。


 真耶は教室を見渡し、

 軽い口調で話し始める。


「この間さ、面白い推理小説読んでたら朝になっててさ。徹夜で学校に来たことがあるんだけど、そのときに――」


「何の話だよっ!!」


 怒鳴り声が遮る。


 例の男子だった。


 顔を赤くして、

 苛立ちを隠せていない。


 でも真耶は、気にも留めずに笑う。


「まぁまぁ、そう焦んないで。早死にするよ?」


 軽いのに、冷たい。


 男子の表情が引きつる。


 真耶はそのまま続けた。


「で、その日めちゃくちゃ眠くてさ。大あくびしながらロッカーの取っ手を引っ張ったら――」


「開いたんだよ。ロッカー」


「……普通じゃない?」


 優ちゃんが片眉を上げ、首を傾げる。


「ここだけ聞くとね。でもうちその時、義足、鳴らしてなかったんだ」


「えっ……」


 空気が止まる。


 誰かの喉が鳴る音だけが、

 やけに大きく響いた。


 この学校のロッカーは、

 魔械(マギア)義肢を鳴らして

 個人の魔力を認証して開く仕組みだ。


 なのに――


 それをせずに開いた。


「それでさ、魔械(マギア)工学棟で聞き込みしたんだけど、面白いこと分かってね」


 真耶の声が、すっと冷える。


 もうこれは、全体への説明じゃない。


 ――犯人への宣告だ。


「このロッカー、“二重ロック”なんだよ」


「……二重ロック?」


「義肢での魔力認証の後に、“嗅覚魔法”で匂いを識別する」


 真耶が右手を軽く掲げる。


「取っ手は、生身の手で触るでしょ?」


 誰もが、無意識に納得する。


 当たり前すぎて、

 今まで考えたこともなかった。


「じゃあ……タオルの匂いで……?」


 詩乃ちゃんが震える声で言う。


 真耶は、ゆっくり頷いた。


 その瞬間――


 背筋に冷たいものが走った。


 嗅がれたわけじゃない――わかってる。


 匂い。


 自分の一部を、勝手に利用された。


 それだけで、吐き気みたいな不快感が広がる。


 気づけば、手を強く握っていた。


 義手が、軋む。


『……莉愛、大丈夫?』


 囁くような、カナタの声。


 機械音を含ませた、

 優しくて安心する音。


 私は顔を上げられないまま、

 小さく頷いた。


「じゃあ魔力は?」


 玲央くんが冷静に問う。


 空気が少し戻る。


 匂いだけじゃ足りない。


 ――もう一つ必要だ。


「それは――カナタ」


 真耶がパチンと指を鳴らす。


「魔力の物質化、説明して」


 命令口調だけど、雑ではない。


 今、真耶が本当に頼れるのは、

 カナタの言葉だから――


 それがわかる。


『魔力の物質化は主に二つ。一つは“人工魔法石”。意図して自分の魔力を結晶化させたもの』


『もう一つは“漏出魔力”。人の魔力は、生きているだけで常に微量に流れ出ている』


 カナタのチョーカーから、ふぅと息が漏れる。


『それは主に、呼気と唾液と皮脂と――』


 カナタは言葉を止めた。


『……汗』


「「「!?!?」」」


「っ!?」


 ざわめきが爆発する。


 私も思わず後ずさった。


(……気持ち悪いっ)


 さっきまでよりも、はっきりした嫌悪。


 身体にまとわりつくような不快感。


 そのとき。


『莉愛、ごめん』


 カナタの声が、痛いくらい優しい。


 その顔は、苦しそうだった。


 違うのに。


 カナタは、何も悪くないのに。


 それでも、胸が苦しくて――


 私は首を振った。


「つまり」


 真耶が静かにまとめる。


「犯人は、莉愛の体育後のタオルを使うために、忘却魔法が彫られた人工魔法石を莉愛のポケットに忍び込ませた」


「それによって莉愛は、ほんの身近で気をつけていたことを忘れた――認識できなくなった」


「それが椅子にかけたタオルと、ロッカーの菊理だった」


 真耶は静かに、

 しかし確信に満ちた声で推理を語った。


 教室のざわめきが、すっと引いていく。


「でも、莉愛の菊理がロッカーにあるなんて、犯人は何で知ってたのかしら?」


 優ちゃんが、眉を僅かに寄せながら言う。


 真耶はあっさり答えた。


「偶然だね。ロッカーの中にある物なら何でもよかった」


「どうしてそう思うの?」


 真耶は私の方を見て、

 私を安心させるかのように微笑んだ。


「菊理ってね、無くしても放課後に学園長が見つけてくれるんだよ」


「へぇ……よく知ってるね」


 思わず感心の声を漏らす。


 だけど真耶は、

 一瞬の間の後、

 へらっと笑った。


 その仕草がちょっと怪しい。


『……真耶、何回無くしたの?』


 カナタのチョーカーから、

 ため息のような息遣いが聞こえた。


 その響きには呆れと優しさが混ざっていた。


「ん〜と、五回くらいかな?」


 顎に手を当てて、

 考えるそぶりをしつつ、

 とぼけるように言う真耶。


 すかさず司が笑顔で突っ込んだ。


「十五回だね〜」


「えぇぇ!?」


 空気が、一気にゆるんだ。


 張りつめていたものが、ふっとほどける。


 ――そう、真耶は推理力は天才的だけど、

 現実的な「探す力」はまるでダメなのだ。


 私は、小さく笑った。


 ――この状況で、笑えたことが。


 少しだけ、救われた。


 でも。


 胸の奥に残る“違和感”は――


 まだ、消えていなかった。


お読みくださり、ありがとうございました。


思い出せなかった記憶。

使われていた匂い。


見えないところで、

確かに何かが動いていました。


そしてまだ、

違和感は残っています。


本当に怖いのは——ここからです。

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