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学園初日の授業がようやく終わり、張りつめていた緊張の糸がプツリと切れた。日向先生が教室を出て行った瞬間、教室中に一気にざわめきが広がり笑い声や椅子を動かす音があちこちから弾ける。
私はその賑やかな空気の中で、後ろの席にいる玲央くんへ声をかけた。
「……それで玲央くんは、どの委員会で迷ってどの委員会にしたの?」
振り返ると玲央くんは、椅子の背もたれにぐったりもたれ掛かり、脱力した表情で天井を仰いでいた。だけど私の声に反応して、ゆっくりと顔を上げる。
「えっと〜、風紀委員と保健委員と交流委員に誘われててぇ……んで、一番付き合い長い奴と同じ風紀委員にした。あとさ、何かカッコいいじゃん? 風紀委員」
指を一本ずつ上げながら答えた後、口角を上げてニッと笑う。
「確かにカッコいいねっ。保健委員だったら、カナタと同じだったよ」
「あ、そうだったんだ? 保健委員なぁ……俺には似合わないな〜」
椅子の背にもたれ掛かりながら、ヘラっと笑って言うその姿に、私はつい小さく吹き出してしまった。
「あとは、芽依ちゃんがどの委員会になったかだね。同じだといいね」
そう振ると、玲央くんは一瞬で顔色を変え、机に肘を突いて頭を抱え込んだ。
「しまったっ! 全く考えてなかったっ!」
その声に、私は口元に手を当て思わずクスッと笑いながら、机越しに玲央くんを見つめた。
「ふふっ……寮に帰ったら聞いとくね」
「……あと、俺の印象もよかったら聞いといてください」
「はーいっ。自然にねっ」
軽く笑いながら返事をしてから、私は帰りの支度に取りかかった。といっても筆記用具を片付けるくらい。
どうせ帰っても時間はあるし、明日の授業の予習でもしておこうと思い、私はロッカーの方へ向かった。
自分のロッカーの取手に手をかけて左手の義手を鳴らすと、微かな共鳴音と共に扉が解錠される。中から国語と数学の教科書を取り出した。
扉を閉めたその時———
『莉愛』
呼びかける声に顔を上げると、すぐ近くにカナタが立っていた。
「ん? どうしたの?」
『……部活、やるの?』
機械交じりの低く落ち着いた声。目はどこか沈んでいて、妙に深刻な雰囲気を帯びていた。
「えっ……うん。やってみようかなって思ってるよ」
『そっ……か……』
「……? どうしたの、心配?」
『えっと……まぁ、そんな感じ……』
歯切れの悪い返事。だけどわざわざ「心配してる」と言ってくれること自体が、私には嬉しかった。だから安心させるように、笑顔を作って答える。
「ありがとう。大丈夫だよ。もし続けるのが難しそうだったら、ちゃんと辞めるからっ!」
『……うん。そうだね』
それでもカナタの表情は、どこか釈然としないままだった。胸の奥でまだ言葉にならない不安を抱えているみたいで、私はその重さを少しでも和らげたくて話題を変えることにした。
「あのねっ、明日の授業の予習しようと思ったんだっ。数学って、算数と何が違うんだろうね?」
その一言にカナタの目元がふっと和らぐ。いつもの優しい表情が戻ってきて私はホッと胸を撫でおろした。
『そうだね。僕も予習しとこうかな』
「うんっ、いいと思うよっ」
柔らかく微笑み合うと、カナタは自分のロッカーから教科書を取り出して、私たちは教室に戻った。
教室に戻り自分の席へ腰を下ろす。持ってきた教科書を学生鞄に収めると、ふと視線が窓の外へ向かった。
空に薄らと金色が混ざり始めて放課後の中庭は少しずつ影が長く伸びていった。校舎の窓ガラスが光を跳ね返して、レンガの道には淡い夕暮れ色が滲んでいく。
ベンチの影も木々の枝の影も、まるで背伸びをするみたいにゆっくりと伸びて、朝見た風景を少しだけ違うものに変えていた。
クラスメイト全員が席に座っていると、終業のチャイムが校舎に響き渡る。それと同時に日向先生が教室へ入ってきた。手にはいつものように魔械板を携えている。
先生は軽く周囲を見渡し全員が揃っているのを確かめると、穏やかな声で話し始めた。
「はい、それでは今日の最後の連絡です。明日からは通常授業の時間割になります。皆さん、配布した時間割表をきちんと確認して、必要な教科書を持ってきてください」
教室のあちこちから、微かな溜息やざわめきが漏れる。今日の特別な説明や行事めいた一日から一転、いよいよ“本物の学園生活”が始まるのだ。
「それと、来週は身体測定が予定されています。体操着を忘れないように用意してください。以上です」
そう言うと先生は魔械板を指でトントンと軽く叩き、淡い光を落とした。その仕草に合わせるように、張りつめていた空気が僅かに引き締まり、そして同時に放課後の安堵が教室中に広がっていく。
「明日からは、出席番号順に号令をしてもらいます。よろしくお願いしますね」
先生の目が、廊下側の一番前の席の子に優しく向けられる。
そして改めて声を張った。
「では、今日はこれで終わりです。——起立っ」
先生の合図で一斉に椅子が引かれ、クラス全員が立ち上がる。その動きはまだぎこちないけれど、不思議と揃っていた。
「気をつけっ、——礼っ」
「「「ありがとうございましたっ」」」
少し辿々しい声が重なり合う。先生は静かに頷き、そのまま教室を後にした。
その瞬間、抑え込まれていた熱が一気に解き放たれる。椅子の音、鞄を持つ音、友達同士の声、笑い声が波のように広がった。
私は鞄を手に持ち、深く息を吐く。胸の奥に、ほんの少しの高鳴りが芽生えていた。明日から始まる、“本当の授業”への期待と不安が入り混じった鼓動だった。
後ろの席の玲央くんに手を振って別れを告げて、私は詩乃ちゃんたちの席へ歩いていった。
ちょうど席に着いたところで、優ちゃんが鞄を手にして立ち上がる。
「それじゃ、あたしは失礼するわね。瑛梨香お姉様とお茶してくるわ」
「いいなぁっ! カフェ、どんな感じだったか、あとで教えてねっ!」
羨ましさを隠さない詩乃ちゃんに、優ちゃんは軽く笑みを浮かべる。
「りょーかい。じゃっ、また寮でね」
軽やかに手を振りながら、優ちゃんは颯爽と教室を後にした。その姿を見送ると、詩乃ちゃんがパンッと手を叩く。
「さてっ、それじゃあ帰ろっかっ!」
「うんっ」
鞄を持ち上げた詩乃ちゃんが、明るい声で下校を促す。
「拓斗くんは? もう帰る?」
「ん? あ〜……んじゃ帰るわ」
少し考え込んだ後、拓斗も肩をすくめながら同意する。その隣で控えめに待っていたカナタへ、私は声を掛けた。
「カナタは、まだ何かやることある?」
『ううん、ないよ』
「そっかっ! じゃあ、帰ろっか」
『……うん、帰ろう』
“ 一緒に帰る”——それが特別でも何でもないみたいに自然で、初等部の時とは違う普通さが、ただそれだけのことが胸の奥がふわっと温かくさせる。
それが何だか嬉しくて、気付いたら頬が緩んでいた。私たち四人は揃って教室を後にした。
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校舎を抜けると、夕陽はさっきよりもさらに強く輝いていて私たちの影を長く地面に落とす。金色に染まる光の中、思わず眩しさに目を細めながら私たちは並んでバス乗り場へと歩いて行った。
私と詩乃ちゃんが真ん中に並び、その隣には自然とカナタと拓斗が収まった。
特別な話題があるわけじゃない。ただ今日の学園案内のこととか委員会と部活のこと、くだらない冗談とか。取りとめのない言葉が次々と飛び交って、歩く度に笑い声が混ざる。
拓斗もちゃんと向き合って話してみると、ぶっきらぼうな話し方だけど、思っていた以上に会話が弾むんだと、今日になってようやく気付いた。
カナタは卒業式の時に「中等部でもよろしく」って声を掛けていたらしいけど……。
(その時にはもう拓斗がこういう人だって分かっていたのかな?)
そんなことを考える自分に、ちょっとだけ驚く。でも、その意外さが妙に心地よくて、気付けば胸の奥にふわりと温かい予感が芽生えていた。
———きっとこの学園生活、この四人で過ごす時間が、増えていくんじゃないかな。
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