君に届いた影——知らない魔法
影とじゃれ合うみたいに、
指先でつついたり、
そっと声をかけたりしているうちに――
少しずつ、仲良くなれている気がした。
さっきまで逃げ腰だったのに、
今は手を伸ばせばちゃんと応えてくれる。
秘密の友達ができたみたいで、
胸がくすぐったい。
影と私だけの時間が、
こっそり積み重なっていく。
そんなひとときを楽しんでいた、
そときだった。
――ゴウン。
巨大迷路の向こう側から、
重々しい音が響いた。
直後、低く唸るような
魔械創駆の起動音が広がり、
迷路全体の空気を震わせる。
「……っ」
私ははっとして、
音のした方を振り向いた。
その瞬間、
手元にまとわりついていた影が
ふわりと散って消える。
(誰か、練習に来たのかな?)
胸の奥に、小さな緊張が走る。
交代の時間だったっけ、と身構えた
次の瞬間――
迷路の外側から、
滑り込むように現れたのは小さなバイク。
それには羽織を脱ぎ、
ワイシャツの袖を肘まで無造作に捲った、
カナタが跨っていた。
「……え」
思わず、声が漏れる。
小ぶりなバイクが、
私の目の前で軽やかに止まる。
カナタがヘルメットを外して軽く頭を振ると、
額にかかった髪がさらりと揺れた。
その何気ない仕草が、
やけに大人っぽく見えて――
胸が、変に跳ねる。
『どう? 練習は』
いつもと同じ、機械混じりの声。
それなのに、
バイクに跨ったままのカナタは、
いつもより少しだけ遠く見えた。
頼もしくて、眩しくて。
私の知っているカナタなのに、
なんだか違って見えてしまう。
「……あっ、うんっ! すごく順調だよっ!」
慌てて返事をしながら、
私は胸の前で両手をきゅっと結んだ。
「……これ、カナタが作ったの?」
『ん……拓斗も一緒に作ったよ。まぁ、利玖が乗ってたやつを真似て作っただけだけど』
「あっ、やっぱり? 何か見たことあるなって思ったんだっ」
映像で見た利玖のバイクによく似ている。
でも、
こうして実際に目の前で見ると全然違う。
それに跨っているのがカナタだと思うだけで、
胸の奥が妙にそわそわした。
『色々規約が変わって、小さめにはなっちゃったけど……まぁ、よくできた方だと思う』
「うんっ、すごいよっ! 売り物みたい!」
本心からそう言うと、
チョーカー越しに、
ふっと笑うような息が返ってきた。
その音だけで、
胸の奥がくすぐったくなる。
「……ところで、どうしてバイクを持ってきたの? 見せに来てくれたの?」
私が首を傾げると、
カナタは小さく首を振った。
『いや。莉愛の練習、手伝おうと思って』
「えっ――」
思わず声が大きくなる。
「も、もう充分手伝ってくれたよっ!」
気づきをくれて、
やり方を見つけてくれた。
それだけでもう胸がいっぱいなのに、
まだ私のために動いてくれるなんて。
嬉しいのに。
それと同じくらい、
申し訳なさも胸に広がっていく。
『でも、あそこからの練習はしてないでしょ?』
カナタが操導者の部屋の方を指差した。
……そうだ。
本番は、
上から創駆越しに魔法を展開しなきゃいけない。
影を動かせても、
それを実戦で使えなきゃ意味がない。
「あ……そっか」
私は小さく息を呑む。
「えっと……それじゃあ、お願いしてもいい?」
『もちろん』
カナタは、
なんでもないことみたいにそう言った。
じとっとした目元が、
柔らかく細められている。
「ありがとう! それじゃあ、用意するねっ!」
私は駆け足で階段を登った。
操導者の部屋に入って、
窓の外を見下ろす。
そこには、
スタート地点へと創駆を運ぶ
カナタの姿があった。
跨ったまま静かに移動し、
定位置に着くと
ヘルメットを被る。
顎紐を留める動作さえ妙に様になっていて、
私は思わず息を止めて見入ってしまった。
(……かっこいい)
思った瞬間、
自分で自分にびっくりして、
慌てて視線を逸らす。
私は操導者の位置に着き、
義手を鳴らしてからプレート状の魔械機器に
手を乗せた。
「……カナタっ、聞こえる?」
『聞こえるよ』
スピーカー越しに、
機械混じりの声が返ってくる。
その瞬間、
胸の奥の緊張が少しだけやわらいだ。
ちゃんと繋がってる。
それだけで、ひとりじゃない気がした。
「うんっ、それじゃあやってみるから……ゆっくりめで走ってくださいっ!」
『了解』
低く返る声。
その直後、
創駆の唸りが立ち上がる。
窓の外でバイクが動き出した瞬間、
心臓がドクンと大きく跳ねた。
詩乃ちゃんとの練習では感じなかった迫力。
だけど、不思議と怖くはなかった。
(よろしくお願いします)
心の中でそう呟いて、
私は深く息を吸い込む。
義手を通して魔力を流し込み、
視覚魔法を展開する。
迷路の影を探す。
そこへ、道の形を重ねる。
「いくよっ!」
気合いを込めて声を出した瞬間――
影が、煙みたいに集まった。
迷路の頭上に、
漆黒の線が一本、
するすると浮かび上がる。
「……っ」
私は思わず息を呑む。
その線は、
矢印みたいに前へ伸びて、
迷路の先を指し示していた。
そしてカナタは、
迷いなくその影に沿って創駆を進めていく。
私の影を、
当たり前みたいに信じて。
その姿を見た瞬間、
胸の奥が熱くなった。
(……進んでくれてる)
私の影を見て。
私の示した道を、
ちゃんと辿ってくれている。
それが嬉しくて、
視線に自然と力がこもる。
だけど――
影の線は、
長く伸ばしすぎると
途中でぷつりと途切れてしまった。
「っ」
(創駆から離れすぎると、届かないんだっ)
気づいた瞬間、
頭の中が一気に冴える。
私は慌てて次の影へ意識を移し、
カナタの進むスピードに合わせて、
道標を繋げていった。
ひとつ置いて。
また次を繋いで。
影が、ちゃんと応えてくれる。
失敗したくない。
でも、それ以上に――
楽しい。
「カナタっ! 今、迷路の真ん中辺りだよっ!」
『うん、分かった』
落ち着いた声が返ってくる。
それだけで、
不思議なくらい心が落ち着いた。
さっきまでの私は、
迷わせないように必死で、
言葉を出すことすら怖かったのに。
今は違う。
カナタが信じて進んでくれるから、
私は前を示すことに集中できる。
「……あと少しっ。次の角を抜けたら、出口が見えるよっ!」
黒い線を追うように、
創駆が迷路を抜けていく。
そのスピードに合わせて、
私の影もするすると道を描き足していく。
影は煙みたいに揺らめきながら、
それでも確かに前を指していた。
――見えた。
ゴールの光が視界に飛び込んできた瞬間、
喉の奥が熱くなる。
「カナタっ! もうすぐゴールだよ!」
創駆が最後の直線を駆け抜ける。
カナタが少しだけスピードを上げる。
風を切る音。
唸るエンジン音。
そして影の線が
真っ直ぐゴールへ吸い込まれていく。
そのまま――
カナタの創駆が、ゴールを抜けた。
「……っ」
タイムを測っていなかったから、
辺りはやけに静かだった。
聞こえるのは、
創駆の余韻と、
自分の心臓の音だけ。
でも、その静けさの中で、
胸の奥から熱いものが一気に込み上げてきた。
できた。
自分には苦手だと思っていたことを。
無理だと思っていたことを。
ちゃんと、できた。
「……やった……!」
呟いた瞬間、
道を示していた影がふっと消える。
残ったのは、
全身に広がる達成感と――
カナタと一緒に、
ちゃんとゴールまで辿り着けたという実感だった。
呆然と立ち尽くしていると、
迷路の外側から創駆の音が近づいてきた。
カナタが、
階段の下へ滑り込むように
バイクを寄せてくる。
私は慌てて部屋を飛び出し、
階段を駆け下りた。
「カナタっ! どうだったっ!?」
興奮のまま声が弾む。
頬が熱いのが、
自分でもわかった。
そんな私を見て、
カナタはヘルメットを外し、
短く頷く。
それから、
目を少しだけ細めた。
『うん。何も問題なかったよ』
その一言だけでも充分嬉しいのに――
続いた言葉に、私は息を止めた。
『……すごく、綺麗な影だった』
「っ……」
胸が、どくんと大きく鳴る。
影を、“綺麗”だなんて。
そんなふうに言ってもらえるなんて、
思ってもいなかった。
嬉しさと、照れと、
くすぐったさが一気に押し寄せてきて、
私は誤魔化すみたいに笑ってしまう。
するとカナタは、
迷路の壁際に落ちる影へ視線を向けた。
『……すごいね。影を動かせるんだ……』
小さな呟き。
でもその声音は、
ただ驚いているだけじゃなかった。
何かを確かめるみたいに。
あるいは、
思い出そうとしているみたいに。
カナタはじっと影を見つめていた。
「そうなのっ!」
私は嬉しくなって、
つい声を弾ませる。
「手伝ってもらったんだっ」
『……手伝う?』
カナタが小さく首を傾げる。
その仕草が少しだけ幼く見えて、
私は思わず笑いそうになった。
「うんっ。見ててね」
私は左の義手を軽く鳴らしてから、
右手をそっと差し出す。
「……おいで」
すると。
壁際で揺れていた影が
するりとほどけて、
私の右手へまとわりついてきた。
『……っ』
カナタの目が、
はっきりと見開かれる。
黒い煙みたいな質感なのに、
不思議と怖くない。
それどころか
なんだか可愛くて、
私は思わず指先でそっと撫でてしまった。
「ふふっ、可愛いでしょ?」
『……かわいい……?』
眉を寄せて戸惑うカナタが、
少しだけおかしい。
「うんっ。ほら、見てて――」
両手で空気を混ぜるみたいに、
ふわりと動かす。
すると影が形を変えて、
今度はふわりと立ち上がった。
「……っ」
影は、猫になった。
黒い輪郭だけでできた、
小さな影猫。
その影猫は、
軽やかに床を跳ねると、
カナタの周りをくるりと一周して――
最後に、私の肩へひょいと乗る。
私は指先を伸ばして、
そっと首元を撫でた。
すると影猫は、
擦り寄るみたいに体を揺らす。
「ふふっ、こんなこともできるんだよっ」
『へぇ……』
カナタは、
少しだけ言葉を失ったみたいに
影猫を見つめていた。
普段落ち着いているカナタが
こんなふうに驚くのが、
なんだか嬉しい。
「あとねぇ……こんなのも」
私はもう一度、
両手をふわりと動かした。
影猫がするりとほどけて、
今度は鋭い翼を持つ小さな鳥へと形を変える。
影の鳥は勢いよく羽ばたき、
壁際の高みへ飛び上がると、
そのまま弧を描いてカナタの目の前へ舞い降りた。
カナタは目を瞬かせる。
『……これは……ツバメ?』
「うんっ!」
私は嬉しくなって頷く。
「ちゃんと似てるかな?」
『……どうして、ツバメ?』
「えっ。だって、如月寮のシンボルの子でしょ?」
『……!』
その瞬間、
カナタの肩がほんの僅かに揺れた。
目が少しだけ見開かれる。
私は少し誇らしい気持ちで続ける。
「本物は本でしか見たことないけど……昔はね、ツバメが巣を作る家には幸せが来るって言われてたんだって」
ふと、如月寮のことを思い出す。
優しくて、温かくて、
そっと寄り添ってくれる人たち。
あの寮の空気に、
ツバメはすごく似合う気がした。
「だから、如月寮にぴったりだなって思ってたの」
カナタはしばらく何も言わなかった。
ただ静かに、
影燕を見つめている。
それから――
そっと、左手を差し出した。
「……っ」
私は思わず息を呑む。
影燕は素早く羽ばたいてから、
吸い寄せられるようにその手へ舞い降りた。
黒い小さなツバメが、
カナタの指に静かに留まる。
その光景が、
あまりにも自然で。
まるで最初から、
そこにいるべきみたいで。
胸の奥が、ふわりと温かくなった。
読んでいただきありがとうございます。
影はただ動かすものではなく、
応えてくれる存在として描いています。
そしてそれは、
人と人の関係にも少し似ているのかもしれません。
引き続き、よろしくお願いします。




