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私たちが他愛もないお喋りに夢中になっていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが教室に鳴り響いた。慌ただしく席に戻る生徒たちの気配の中、私と玲央くんも立ち上がる。
カナタの机に寄りかかっていた私は、そっと横を振り向くと、カナタと目が合った。
(バイバイっ)
心の中で呟きながら小さく手を振ると、カナタもほんの一瞬だけ目を軽く見開いた後、小さく手を振り返してくれた。その控えめな仕草にほんのり胸が温かくなる。
自分の席へ戻った私は、窓を背にして椅子に横座りして玲央くんに体を向ける。もう少しだけ昼休みのあの空気を楽しみたかった。
「次、体育館だよな? 委員会と部活かぁ、絶対入らないといけないのかなぁ」
玲央くんが、少し気怠そうに呟く。
「どうだろうね? もしそうだったら、何に入ろうかなぁ」
私も同じように空を仰ぐ気持ちで答えた。昼休みの余韻と、これから始まる午後の時間。その狭間で、ちょっとだけ時間が止まったみたいに感じた。
教室はどんどんクラスメイトが戻って来て、日向先生が来るのを待つ。
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扉の開く音がすると、教室の視線が一斉にそちらへ向く。日向先生が手に資料を抱えて入って来た。
「皆さん、もう席に着いていますね。助かります」
にこやかな笑みを浮かべながら、先生は教壇に立つ。
「では、五時間目からは体育館に移動してもらいます。委員会と部活動と、ちょっとした説明がありますので、案内に従って着席してくださいね」
(あれっ、出席番号順じゃないのかな?)
ほんの少し胸の奥に期待が芽生え、自然と笑みが溢れた。
先生は続ける。
「体育館では席は出席番号順ではありません。委員会はともかく、部活動は交流の場でもありますから、相談するために友達とまとまって座っても構いません。その代わり、はしゃぎすぎないこと。私たち教員がしっかり見ていますからね」
日向先生の声が教室に響くと、ふわりとした安堵の空気が広がった。それと同時に、どこか背筋が伸びるような緊張感も漂う。
「よかったなっ」
後ろの席から玲央くんが小声で囁きかけてきた。振り返らなくても、ニッと笑っている顔をしているのが目に浮かぶ。私は思わず小さく頷いてしまった。
「では、これから配る資料を持って廊下に並んでください。ただし——騒いだら、出席番号順に並んでもらいますからね」
先生が手にした束を一番前の席に渡すと、紙の擦れる音が列を伝っていった。パラパラとページを捲る音、紙を受け取る手の気配。全員に行き渡ると、椅子が引かれる音が一斉に鳴り響く。
「……玲央くんはどうするの?」
何気なく問いかけると、玲央くんはわざとらしく顎に手を当てて芝居がかった仕草で考え込む。
「うーん、莉愛ちゃんと一緒に行けば芽依ちゃんに会えそうだけど……今回は友達と行くわ」
少し残念そうで、それでも楽しげな響きを含んだ声。その様子に、私は思わずクスッと笑った。
「うんっ、分かった」
笑みを浮かべたまま手を振り、玲央くんと別れて詩乃ちゃんたちの元へ足を向ける。
私の姿に気付いた詩乃ちゃんは、パッと表情を明るくして勢いよく席を立った。
「莉愛ちゃんっ、一緒に行こっ!」
「うんっ!」
その無邪気な笑顔に引き込まれるように、私も自然と頬が緩む。胸の奥に温かさが広がった。
「優ちゃんとぉ、カナタくんとぉ、拓斗くんも行こっ!」
詩乃ちゃんが両手を広げて声を弾ませると、立ち上がろうとしていた拓斗がギョッとした顔で「俺もっ!?」と詩乃ちゃんを見た。
だけど詩乃ちゃんは、そんな反応などお構いなし。有無を言わさず、優ちゃんと拓斗の腕を掴んで、そのまま楽しげに廊下へ引っ張って行く。
その光景に思わずふふっと笑いながら、私はカナタの方へ向かった。
「一緒に行こっ」
『……うん』
カナタは小さく頷いて椅子から立ち上がり、私と並んで歩き出す。その横顔は伏せ目がちだったけど、穏やかだった。
列を作るために少しざわめく廊下。足音と笑い声が混じり合う中、私の胸の内では不思議とワクワクする気持ちが膨らんでいった。
ただ並んで歩くだけの時間なのに、それがまるで新しい冒険の幕開けみたいに思えて仕方がなかった。
広々とした廊下の窓際に優ちゃんと詩乃ちゃん、そして拓斗が並んで立っていた。真ん中に立つ詩乃ちゃんが、日向先生から受け取ったばかりの資料を手にしている。
「……へぇ、委員会と部活動って両方やってもいいけど、委員会は必ず入らなきゃいけないんだってっ!」
そう言う詩乃ちゃんの声は、ちょっとした発見をしたみたいに明るかった。
「そうみたいね」
優ちゃんも興味深そうに、手に持つ同じ資料に目を走らせる。
拓斗は隣で、詩乃ちゃんの持つ紙を覗き込んでいた。詩乃ちゃんはそれに気付くと、自然に資料を少し傾けて拓斗が見やすいようにする。その仕草が何だか微笑ましい。
私とカナタは、そんな三人のすぐ後ろに並んで、それぞれ手にした資料を開いた。窓から差し込む柔らかな陽射しが、紙の上を白く照らしている。
「……カナタはどうするか決めてる?」
カナタは資料に視線を落としたまま、小さく答えた。
「……保健委員」
「……えっ! もう決めてたのっ?」
思わず声が上ずる。てっきり私と同じようにこれから悩むのかと思っていたから。カナタのチョーカーから小さな溜息が聞こえると、淡々と話し出した。
「いや……リョク様が、三人のうち誰かは保健委員をやれって。……連携しやすいから」
学園の委員会には、七賢者と結びついた七つの委員会が存在する。
その中で、緑の賢者リョク様は保健委員会と深く結びついていて、薬草や医療の知識を分かち合っていた。
「あ〜、そういうことね。……確かに、あのふたりはやらなそうだね」
口にしながら頭に浮かんだのは、緑の教会の養護施設で育った三人——カナタと、真耶と司の姿だった。
真耶と司は、私とカナタが打ち解けるよりずっと前から仲が良かった。ふたりでよく“探偵ごっこ”と称して遊んでいて、何でもない出来事を無理やり事件に仕立て上げ、適当なものを犯人扱いして解決する。子供らしい、だけどどこか楽しげな遊びだった。
そんな事件じゃない事件でも難事件に当たることもあったみたいで、そんな時真耶と司は図書室にいるカナタに知恵を借りに来ていた。
とは言ってもふたりの中での難事件だから、カナタもよく困った様子で助言をしていたのを、私はその隣でよく見ていた。
その光景を思い出すと、懐かしさと同時に胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていく。
(あのふたりなら広報委員会とか、きっとお似合いだな)
司が足で事件の「証拠」を探し回って、真耶が冷静に推理を重ねていく姿が、頭の中に浮かんでくる。そんな情景を想像しただけで、自然と笑みが溢れた。
『……莉愛は、どうするの?』
隣から聞こえたカナタの声は、控えめだけど真っ直ぐだった。私は少し考えてから肩をすくめるように答えた。
「ん〜……図書委員と、環境整備委員? どっちも気になるなぁ」
カナタの影響で、本がどんどん好きになっている。古い紙とインクの匂いを感じる度に、大昔の誰かが残してくれた知恵や物語に触れられる気がして、胸がほんのりと高鳴る。
それに、環境整備委員っていうのも、初めて聞く委員会で。どんな活動をしているんだろう……そう思うと、心が小さく躍るようにワクワクした。
そんなことを考えていると、学園案内の時のように列がゆっくりと前へ動き出した。私たちはその流れに身を任せて、体育館へと向かった。
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