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鏡を抜けた瞬間、空気が冷んやりと変わった。そこはさっきまでの明るい雰囲気とはまるで別世界で、夜を思わせる空間だった。だけど真っ暗ではなく、星や月のような和らかく光が廊下を照らし、壁付近には星型の魔械灯が浮かんで私たちの足元を導いてくれる。
(わぁっ!)
思わず息を呑んで天井を仰ぐ。高く広がる天井一面には春の星座が鮮やかに瞬いていた。まるで本物の夜空を切り取って持ってきたみたいで、今の時期の空と同じ景色が広がっているのだと分かる。
「ここは“時空観測棟”。天体、気象、時空、未来予測、自然と時間の流れを読む力を磨く場所です。選択授業『藍』を選んだ場合は、ここで学ぶことになります」
先生の声が静かに響く。
(ここが、藍の賢者の授業を受ける場所かぁ)
京香副寮長が言っていた“天文時相学”が学べる場所。過去や未来を見つめ、時空を読み解く力。もしかしたら私は得意なのかもしれない。
幻想的な光に包まれながら歩みを進めると、天体観測ドームや時の魔法の研究室が現れる。巨大な天球儀は静かに回転し、宙に浮かぶ天文鏡が視線を誘う。壁際にはそれぞれ違う時刻を刻む時計が並び、さらに進んだ先には揺らめく時空断層を観測するための部屋が広がっていた。
心臓が僅かに速まる。胸の奥で密やかに鐘が鳴るような高鳴り。
それと同時に、底の見えない闇を覗き込んでいるような怖さもあった。
未来を覗くことは、まだ見ぬ自分に触れること。
時を渡る観察は、失われるはずの瞬間を抱きしめること。
どちらも抗い難いほどに魅力的で、そして取り返しがつかないような危うさを感じた。
心は高揚しているのに、足元だけが不安に震えているような……そんな、名付け難い感覚。
そんな取りとめのない思考に沈んでいるうちに、また巨大な鏡の前にやってきた。胸のざわめきを払拭するために、私は少し足早に鏡へ飛び込んだ。
飛び込んだその先に広がっていたのは、息を呑むほど幻想的な光景だった。
大きな紫水晶でできた柱は、淡く煌めく光を宿している。その間を縫うように木材で組まれた回廊が連なり、まるで杜と鉱石が調和して築き上げた神殿のようだった。柱に触れれば冷たく透き通る気配が返り、足下の板張りからは温もりが伝わる。
頭上には高く組まれた梁が伸びて、黒光りする木目が静かに縦横へと走っている。その合間に吊るされた魔械灯が、淡い光を揺らめかせ、影を壁や柱へ和らかく踊らせていた。
香炉から立ち登る白い煙は、緩やかな曲線を描きながら昇り、甘くもほろ苦い香りが鼻をくすぐる。
回廊の外には、静謐な和風の庭園が広がっていた。砂紋を描く白砂と、苔むした石灯籠。小さなせせらぎの音が耳に届き、安らぎを胸に落とし込んでくる。
庭に面した教室の戸口が開かれると、畳が一面に敷き詰められていて藺草の青い香りがふわりと漂った。
どこか荘厳で、どこか懐かしい。そんな二つの感覚が重なり合う場所だった。
「ここは“霊魂幽苑” 。魂・記憶・死に関する魔法体系を学び、精神と存在の深層を探ります。選択授業『紫』を選んだ場合は、ここで学ぶことになります」
続けて『魂の魔力的特性』『記憶の抽出・再生技術』『死者との対話魔法』『霊的存在の分類と対処』『死と再生に関する哲学・倫理』と、難しそうな言葉を並べた。
「さっぱり分かんねぇ……」
後ろからそんな声がボソッと聞こえてきた。玲央くんの声だ。
(うん、分かる)
私は心の中で、そっと同意した。
“魂”とか“死”とか、普段あんまり考えたことがないことをいきなり正面から出されると、心がぞわぞわした。
難しい言葉が並んでいても、結局のところ「人が死ぬ」とか「記憶を取り出す」とか、そういうことを勉強するんだろう。
分からないけど、分からなくても怖い。
(死者との対話って、本当にやるのかな)
そんなことを考えたら、背筋がヒヤッとした。
もし本当に“死んだ人”が目の前に現れたら、私はちゃんと向き合えるんだろうか。恐怖を感じずに冷静でいられるんだろうか。
だけど同時に……誰かにとってはきっと、大事なことなんだろうとも思う。
会いたくてももう会えない人にもしもう一度会えるのなら。
その気持ちは少し分かる気がした。胸の奥がキュッと締め付けられるように痛む。
(でも、私はまだそこまで考えられないや)
そう思って、私はそっと目を伏せた。
そのまま前の人に続いて回廊を歩いて行くと、死者記録の保管庫、魂結晶の解析室、冥界通信実験室があった。
そして突き当たりに、またあの大きな鏡があった。横では先生が生徒を一人ずつ誘導している。
「専門棟の案内はここで最後です。次は中等部の校舎内を回ります」
その声を聞いた瞬間、胸の奥にホッとした感覚が広がった。長かった専門棟の見学も、ようやく終わりらしい。ふと時計を見れば、もう少しで二時間目が終わる頃。
(一時間も歩いてたんだ)
驚いていると、後ろから玲央くんの声が届いた。
「専門棟ってさ、意外とシンプルな構造だったな」
「そうだねっ。あれくらいなら迷わないで行けそうだよ」
私がそう返すと、玲央くんは気楽そうに肩をすくめた。
「助かるわぁ。俺さ、迷路とかマジ苦手なんだよ」
その言い方が妙におかしくて、ふふっと小さな笑いが溢れた。
緊張していたはずなのに、気が付けば心が軽くなっている。玲央くんの人懐っこさが、怖さや不安を薄れさせてくれる。
心が軽くなるのを感じて、私はまた新しい場所へ行くために鏡へ飛び込んだ。
・
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鏡を抜け、ゆっくりと目を開ける。
そこは見覚えのある廊下。最初に案内された教室の並びのはず……だった。
だけどよく見ると、扉の上に刻まれた文字が違う。見慣れた文字ではなく、別のクラス名が並んでいる。
(ここ、別の刻名の区画?)
するとまた、先生の説明が聞こえてきた。
「天律学園の学年クラスは、まず“十の刻名”で区切られます。『有明』『黎明』『暁』『曙』『朝明』『白昼』『黄昏』『夕闇』『宵』『真夜』。それぞれ時間帯を表す名前が冠されていて、さらにその下に“一から二〇組”が振り分けられています」
プレートに刻まれた“有明一組”の文字を見つめながら、改めてこの学園の規模を思い知らされる。
廊下を抜け、階段の踊り場に着くと、そこには必ず鏡が待っていて、先生の案内に従ってまた別の刻名の区画へと移って行った。
だけど、結局やっていることは見慣れた造りの廊下を歩いて回っているだけ。掲げられた刻名のプレートこそ違えど、教室の並びなんかはほとんど変わらない。
真夜を終えたところで、先生からの説明が響いてきた。
「以上で、中等部一年生の校舎の案内は終わりです。この次は、別館の案内になります」
(何だか、あっという間に終わっちゃったな)
十の刻名をひと巡りし終えた時には、妙に拍子抜けしたような気持ちになっていた。
「ここの校舎は、俺らの教室しかねぇんだな」
玲央くんが続けて「でけー」感心したように呟いた。
「そうみたいだね」
私は小さく頷きながら返す。
中等部の校舎も高等部の校舎もそれぞれが一つの巨大な建物になっていて、学年ごとに区切られた大きな建物が渡り廊下で連なっていた。
だけど別館だけは少し事情が違う。そこへ渡る廊下はどこにもなく、一つの堂々たる校舎として聳えているのだった。
(こんなに広いと、歩いて移動するだけでひと苦労だな)
思わず内心でため息を吐きながら、まだ見ぬ別館にどんな施設があるのか、少しだけ胸が高鳴った。
先生の案内に従って、私たちは別館へ向かうためにまた鏡へ飛び込んだ。
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