弥生の夜——歓迎会
どこか大人びていて、
いつも優しくて、
困っていると、
さりげなく手を貸してくれる。
でも――
誰かに褒められると、
少しだけ目を逸らして照れる。
その切れ長の瞳が笑うと、
ふわっと柔らかくなる。
……思い出すほど、
胸の奥がざわついてくる。
(……これくらいにしておこう)
これ以上考えたら、
余計に照れくさくなりそうだった。
私は小さく息を吸って、
そっと口を開く。
「……カナタ」
思っていたよりも小さな声だった。
少しだけ震えている。
名前を口にした途端、
頬が熱くなる。
……なんでだろう。
ただ名前を呼んだだけなのに。
胸が高鳴って、
落ち着かない。
静けさの中で待ったけど、
カナタの声は一向に聞こえてこなかった。
自分の鼓動だけが
やけに大きく響いている。
(やっぱり、まだ忙しいのかも……)
私は、そっと菊理の魔法石をタップした。
トントン、と触れると
淡い光が揺れて、静かに消えていく。
「……はぁ」
大きく息を吐いて、
私はそのままベッドへ倒れ込んだ。
腕を広げて、天井を見上げる。
出なかった。
少し残念。
でもどこか、ほっとしている。
(……なにこれ、変なの)
さっき生まれた胸の高鳴りが、
まだ少し残っていた。
私はそのまま、そっと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
――カチャッ、キーッ。
鍵の回る音と、
ドアがゆっくり開く音で、
ぼんやりと意識が浮かび上がる。
「じゃあ、また後でねーっ!」
聞こえてきた明るい声は、
間違いなく詩乃ちゃんのものだった。
(……寝てた?)
空にはほんのり茜色が混ざっていて、
夕暮れが近いことを教えていた。
詩乃ちゃんが
にこにこしながら部屋に入ってくる。
「ちょっと寮の中、探検してきちゃったっ! 莉愛ちゃんは……寝てた?」
寝起きはすぐバレるみたいで、
私は目を擦りながら苦笑した。
「……寝ちゃってたみたい。今、何時かな?」
詩乃ちゃんは、
壁の時計を見上げる。
「今ねぇ……わっ、もう十六時だって!」
(ってことは、一時間ちょっと寝てたんだ)
朝から新しいことばかりだったから、
ちょうどよかったのかもしれない。
「探索、楽しかった?」
そう聞くと、
詩乃ちゃんはぱっと顔を輝かせた。
「楽しかったよー! 大浴場がね、すっごく広そうだったの!」
嬉しそうに話すその様子に、
聞いているこっちまで楽しくなる。
「夜、一緒に行こうねっ!」
「うんっ」
自然と頷く。
きっと今日の夜も、
楽しい時間になるんだろうな。
「莉愛ちゃんも、きっと仲良くなれるよっ! 莉愛ちゃんと話してみたいって言ってた子、いたもんっ!」
「えっ、そうなんだ……嬉しいな……」
思わず零れた言葉と一緒に、
胸の奥がぽっと温かくなる。
自分と話してみたいって
思ってくれる子がいる。
そのたった一言が、
こんなにも心を軽くしてくれるなんて
思わなかった。
◇ ◇ ◇
時間は、もうすぐ十七時。
空の色はすっかり茜色になっていて、
寮の魔械灯も、
ひとつずつ灯り始めていた。
そのとき、
胸元の菊理から澄んだ音が響く。
「あっ、楓先輩だねっ!」
詩乃ちゃんが、
自分の菊理を覗き込みながら言った。
同時に、魔法石を軽くタップした。
[もしもーし! 女子寮五班、班長の楓ですっ!]
[新入生のみんなの寮が全部決まったみたいなので、これから顔合わせと歓迎会の準備をしますっ]
[新入生は十八時に、大広間へ来てくださーいっ!]
昼間と同じ、明るく弾む声。
連絡が終わると、
菊理の光は静かに落ちていった。
「わぁーっ、もうすぐ始まるんだねっ!」
詩乃ちゃんは目を輝かせる。
私の胸の奥も、
少しだけそわそわと高鳴った。
「歓迎会ってどんな感じなんだろうね?」
私は部屋に案内されたときにもらった
プリントを広げる。
「えっと……弥生寮の創環祭でやる演劇を、少し見せてくれるみたい」
「演劇っ! 楽しそう〜!」
詩乃ちゃんの声は弾んでいた。
「さっき一緒に回った子たちも、そのとき紹介するねっ!」
「……うんっ」
ぽっと、胸の中に小さな光が灯る。
不安よりも、
楽しみの方が少しだけ大きくなった気がした。
身だしなみを整えて、
明日の準備を軽く済ませた頃には、
歓迎会の時間が近づいていた。
部屋の明かりを消して、
鍵をかける。
他の部屋の扉も次々と開いた。
私たちはエレベーターホールへ向かった。
「演劇って、歌とかもあるのかな?」
「どうだろうねぇ」
そんな話をしていると、
不意に明るい声が飛んできた。
「あっ、詩乃ちゃーん!」
「ん? あっ!」
振り向いた詩乃ちゃんの声が、ぱっと弾む。
そこには、さっき話していた子たちが
手を振りながらこちらへ歩いてきていた。
「一緒に行こっ!」
「うんっ、行こ行こーっ!」
賑やかな声が重なって、
エレベーターホールの空気が
一気に明るくなる。
すると、
詩乃ちゃんが私へ手を差し伸ばす。
「あっ、同じ部屋の莉愛ちゃんだよっ。話してみたいって言ってたよねっ」
その瞬間、胸が小さく跳ねた。
“話してみたい”。
その言葉がくすぐったくて、
少しだけ頬が熱くなる。
ひとりの女の子が、
ぱっと目を輝かせて一歩前に出た。
「えっ、莉愛ちゃん? 初めましてっ、芽依です!」
「よかったら仲良くしたいなぁ」
芽依ちゃんは、
笑顔がとても柔らかくて、
目元がきらきらしていて、
なんだかおしゃれな子。
肩まで届くボブヘアは、
光に当たって藍色に煌めく。
その真っ直ぐな明るさに、
私の緊張も少しずつほどけていく。
「あっ……莉愛です。よろしくね」
声は少し上ずってしまったけど、
どうにか笑顔で返せた気がした。
芽依ちゃんはそれだけで
嬉しそうに笑ってくれて、
私も少しほっとする。
――キンッ。
エレベーターの到着音が響いた。
扉がゆっくり開き、
私たちは中へと乗り込んでいく。
続々と来る人たちに驚いて、
壁に映っていた影絵の猫たちは
さっと壁の奥へ引っ込んでしまった。
「わぁー、同じ寮で嬉しいなっ! 月縁の儀のときから話してみたかったんだっ!」
芽依ちゃんが、
胸の前で両手をぎゅっと結ぶ。
(月縁の儀のときから……?)
思ってもみなかった言葉に、
胸の奥がくすぐったくなる。
「そうなんだ……ありがとう……」
それだけ言うので精一杯だったけど、
芽依ちゃんは花が咲いたように笑ってくれた。
――キンッ。二階です。
扉が開くと、
みんな胸を弾ませた表情で降りていく。
そして、大広間の入口をくぐった瞬間――
「「……わぁっ!」」
自然と声が漏れた。
そこは、
まるで本物のパーティ会場みたいだった。
あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
クロスのかかった丸テーブルがいくつも並び、
華やかな飾りが空間を彩っていた。
見上げた先には、
和紙とクリスタルが組み合わさった
不思議なデザインのシャンデリア。
(ここで、歓迎会が始まるんだ)
胸の奥が少しずつ高鳴っていく。
緊張と、楽しみと、
まだ知らない何かへの期待。
私たちは
まだ誰もいないテーブルへ向かった。
すると、
大広間の奥にあるステージへ、
先輩たちが上がってくるのが見えた。
「……あっ、翔寮長じゃない?」
芽依ちゃんが、小声で言う。
「うんっ、隣は京香副寮長だねっ」
その後ろには、
班長らしき先輩たちが並んでいた。
すると、
翔寮長が義足で
床をコツンと鳴らす。
「新入生の皆さん、ようこそ弥生寮へ」
一言だけで、
会場の空気がぴんと引き締まった。
みんなの耳に、
翔寮長の声が届いたんだ。
「改めまして、私はこの弥生寮の寮長を務める翔と、こちらは副寮長の京香です」
翔寮長の落ち着いた声が、
広い大広間に静かに響いていく。
「皆さんにとってここでの暮らしが、安心できて、楽しくて、そして何より誇れるものになるよう、全力で支えていきます」
翔寮長と京香副寮長が
揃ってお辞儀をすると、
会場に大きな拍手が広がる。
拍手が落ち着いた後、
京香副寮長が後ろに並ぶ先輩たちへ
手を向けた。
「では続けて、班長を紹介していきます」
紹介の言葉に合わせて、
先輩たちが次々と軽く頭を下げていく。
「――男子寮、五班、班長、京司」
(……なんだか、誰かに似ているような……)
そんなことを思っていると、
再び翔寮長の声が響く。
「さて、今日の夕食は少し特別です。初日の夜、たくさんの出会いがあるように、今日は立食パーティ形式にしてみました」
その言葉に、
会場のあちこちが
ざわっと揺れた。
――キン、キン。
今度は京香副寮長が、
左の義手を二度鳴らした。
澄んだ音が会場に響いた瞬間、
テーブルの表面がうっすらと光り始める。
思わず、私は息を呑んだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
寮での交流と、歓迎会前の回でした。
次回は歓迎会本番になります。
引き続きよろしくお願いします。




