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丁度その時だった。
背後からリズムの早い足音が聞こえ、振り返ると羽織の裾と袖を揺らして利玖がこちらへ駆けてくるのが見えた。
「ハァー、間に合った! 待った?」
少し息を切らしながらも、利玖は笑顔を浮かべて立ち止まる。
前髪を掻き上げながら、肩で息をしている。
「おぉ、丁度いいタイミング。今、撮り終わったところだよ」
お父さんがそう言って笑うと、利玖はホッとしたように笑い膝に手をついて深く息を吐いた。
「いやー、話が弾んじゃって。雷斗先生、相変わらずなんだもん」
その表情は生き生きとしていて、どれだけ楽しい時間だったかが伝わってくる。
きっと懐かしい話や、くだらない冗談なんかで盛り上がっていたんだろうな。
「雷斗先生、話し出すと止まらないもんね」
私が笑いながらそう言うと、利玖も「うんうん」と何度も頷いた。
お母さんも、拓斗のお母さんたちとのお喋りが終わったみたいで、照れ笑いしながら私たちと合流した。
「お話盛り上がっちゃって、撮影全然見られなかったぁ。二人共、写真見せてちょうだい」
お母さんが笑って、私とカナタに話しかけてきた。私はカナタと顔を見合わせ、それぞれが持っていた写真をお母さんに手渡した。
「うんっ、二人共素敵に撮れてるじゃない! ……ふふっ、この莉愛は、ちょっと緊張してるかしら?」
お母さんがそう言って、カナタとのツーショットを見せながら笑った。
ちゃんと笑えたと思っていたけど、そう言われて写真を覗き込むと、確かに少し硬い顔をしている気もする。
「そんなにかなぁ?」
そう尋ねると、すかさず利玖が覗き込みながら、ニヤリと笑う。
「ん、緊張してるね。カナタとのツーショットだからか?」
揶揄うようなその言葉に、思わず心臓がひとつ跳ねた。そんなふうに意識していなかったつもりなのに、頬がじわりと熱くなる。
「え〜、そうかなぁ」
私は誤魔化すように笑いながら、お母さんの手から写真をそっと受け取った。
お母さんはそんな私の様子を、穏やかに見守るように微笑み、利玖はニヤリと笑いながら、カナタの肩にひょいと腕を乗せた。
「さて、この後どうする? カナタの用事って、今日じゃなきゃダメなのか?」
問いかけに、カナタは一瞬だけ目を泳がせ、それから小さく呟いた。
『あー、うん。……というか……もう済んだかな』
「えっ!? いつの間にっ!?」
私は驚いて思わず声を張ってしまった。あれからずっとカナタと一緒にいたのに、用事らしいことなんて——思い当たるとしたら、拓斗? 最後に何か言ってやりたかったのかな?
私の声に、利玖が「うぉっ、ビックリした」と驚いた声をあげる。
カナタは少し困ったように笑っていたけど、その目元はどこか柔らかくて、穏やかだった。
「……何だ、用事終わったんなら、一緒に飯食べに行くか? 一つくらいパック、持ってきてるだろ?」
『うん、非常用に一応』
利玖が言う“パック”とは、流動食のこと。口から食べられないカナタのために用意された、栄養がギュッと詰まった一食分の食事。
食べるというより“摂る”に近いけど、それでもカナタにとっては大切な食事だ。
「じゃあ、いいじゃん! 行こうよ。父さんも母さんもいいだろ?」
利玖が明るく振り返って問いかけると、お父さんとお母さんはすぐに頷いた。
「あぁ、もちろんだよ」
お父さんがカナタに向き直って、優しく声をかける。
「カナタ君は、教会の方で何か用事はないかい?」
カナタは静かに首を振った。
『いえ、特には……他の二人も、友達とどこかに行くって、朝に報告してましたから』
「そうかい。それなら、一緒に行こう」
お父さんは穏やかに笑みを浮かべながら、ふっと声の調子を和らげる。
「でも、一度帰って着替えてからにしないかい?」
「それもそうだねっ!」
私は思わず声を弾ませて、羽織の袖を揺らすように、その場でぴょんっと跳ねた。
胸の奥がほんのりと温かくて、顔が自然に綻ぶ。
卒業式という大きな節目が終わって、写真も撮り終えて、今度はみんなでご飯だなんて。まるで今日という日への小さなご褒美をもらった気分だった。
「カナタはその時に、教会の方に伝えて来いよ」
利玖がいつもの調子で、ポンッと肩を叩く。
『うん、分かった。その……ありがとうございます』
利玖がテキパキ決めていく。カナタは少し照れくさそうに目を伏せて、でもしっかりとお父さんたちにお礼を言った。
その声には、遠慮がちな静けさと、確かな感謝が込められていた。
流されるままじゃなく、自分の言葉で感謝を伝える。やっぱり、カナタはちゃんとしているなぁと、私は胸の中で密かに感心する。
「んじゃあ、このままみんなで車に乗って、カナタを送るだろう。カナタはパック忘れないようにな。それから——」
私たちは自然と、お世話になった学舎を背に、並んで歩き出す。
春の風がふわりと吹き抜けて、咲き始めた桜が、柔らかな光の中でチラリと揺れた。
私たちは、ひとつの節目を越えて、また新しい日々へ。柔らかな陽の光の下、新しい季節が、そっと背中を押してくれている気がした。
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