地上授業——地球は生きもの
鏡を抜けた先は、広いホールだった。
高い天井に木の梁が走り、
大勢の生徒たちの声が反響している。
班ごとに呼ばれながら、
私たちは出口へ向かった。
大きな扉が開く。
その瞬間——空気が変わった。
湿った風が頬を撫でる。
土と草の匂いが、
知らない世界みたいに流れ込んできた。
思わず足を止める。
そこは、空中大陸にはない、森の中だった。
「わぁぁぁっ!!」
隣から弾けるような声がして、
私は肩を揺らした。
詩乃ちゃんが両手を広げ、
きらきらした目で辺りを見回している。
「なんかすごいっ! 空気が生きてるみたいっ!」
「く、空気って生きてるの……?」
「生きてるよっ! ほらっ、もわってしてるっ!」
語彙はふわふわしている。
でも、言いたいことは少しわかった。
「新年祭は立派な会場だったもの。こんなに自然を感じるのは初めてね」
優ちゃんが周囲を見回す。
「そうだね。雨の匂いも、空中大陸より濃い気がする」
鼻をくすぐる、雨上がりの香り。
一歩踏み出した瞬間、
地面がぬるりと滑った。
「っ」
私の肩を、誰かが掴む。
『雨で土がぬかるんでるね。気をつけて』
機械混じりの声。
それだけで、肩の力がふっと抜けた。
「ありがとう、カナタ」
カナタは目を細める。
支えられながら立ち直り、
私はもう一度、辺りを見渡した。
(……ここが、地上)
地球を回復させるために、
人はこの場所を離れた。
今ここで暮らしているのは、
畑を耕し、
動物を育て、
海へ出る人たち。
作物を育てることも、
動物を育てることもまた、
地球を治す仕事なのだと聞いた。
あとは、宿泊施設で働く人たちくらい。
こんなに広いのに、
人の気配は思ったより少ない。
静かな森に、不意に元気な声が響いた。
「すごーいっ! 全部が植栽区画って感じっ!」
振り向くと、なれちょが辺りを見回していた。
「ねぇねぇっ! これ、道も土なの!?」
なれちょが興奮気味に騒いでいる。
「そう……みたいですね」
班に入れられた子が、小さな声で答えた。
「えーっ、靴汚れちゃうじゃーん」
そう言って靴裏を見る。
「うわっ、泥だらけ〜。サイアク〜」
「少しは静かにしろよ」
拓斗が眉間に皺を寄せた。
「わっ、拓斗くん朝から機嫌わるーい!」
騒がしい声の向こうから、風が吹き抜けた。
頬を撫で、髪を揺らしていく。
遠くで鳥の鳴き声がした。
私たちは、思わず空を見上げる。
本物の空が、広がっていた。
「大きい……」
自然と声が漏れる。
隣では詩乃ちゃんも、
同じように空を見上げていた。
「ねぇ、莉愛ちゃん」
「うん?」
「落ちてこないねっ」
「……空は落ちてこないよっ!?」
朝から詩乃ちゃんは詩乃ちゃんだった。
◇ ◇ ◇
——地上授業、一日目。
体操着に着替えた私たちは、
班ごとに集まった。
「——ではまず、“地脈力”を感知するところから始めましょう」
「両手、もしくは両足を地面につけて、地脈力を感じてみてください」
「感じ方は人それぞれです。班の人と共有してみましょう」
(両手、両足……)
詩乃ちゃんたち義足の子はしゃがみ込み、
私たち義手の子は靴を脱ぐ。
「カナタはどっちにするの?」
少し考えてから、
『……今回は足にしてみようかな』
(……今回は?)
思わず、首を傾げる。
引っかかったけど、
カナタも拓斗も裸足になっている。
私は慌てて靴下も脱いだ。
ぬかるんだ土に立つと、
ひんやりした冷たさが伝わる。
意識を地球へ向ける。
(……!)
足の裏を、何かが通り抜けた。
「わっ!」
考えるより先に、右隣へ手を伸ばした。
その手が、何かに包まれる。
『大丈夫?』
近くで聞こえた声に、顔を上げる。
カナタだった。
「うんっ。何か流れてるねっ!」
「流れてる……?」
拓斗が首を傾げた。
「拓斗は感じない?」
「流れじゃねぇな。鼓動みたいなのは分かる」
「へぇ……カナタは?」
カナタは足元を見て、そっと呟く。
『……風』
「ん?」
『風が吹いてるみたい』
「風かぁ……」
(少し似てるかも)
「鼓動よりはわかるっ」
「悪かったな、分かり辛くて」
不機嫌そうな声は、半分ふざけていた。
「ふふっ」
おかしくて、小さく笑ってしまう。
「おぉ〜」
両手を地面につけた玲央くんが
感動した声を出す。
「なんだ、流れ? いや……なんだこれ?」
何かは感じているらしい。
「何かしら。……流れが見える感じがする」
「優ちゃんは見えるんだ?」
「そうみたい。不思議……」
その隣で、
詩乃ちゃんが真剣な顔をして地面に触れていた。
「詩乃ちゃんは、どう?」
声をかけると、
詩乃ちゃんはゆっくり顔を上げ——
「……へへっ」
ふにゃりと笑った。
「詩乃、分かってねぇな」
「ギクッ!」
拓斗の言葉に、詩乃ちゃんの肩が跳ねる。
すると——
「えーっ、こんなの簡単だよ〜。詩乃ちゃん、わかんないの?」
なれちょがケラケラ笑う。
拓斗の空気が、すっと重くなった。
「すみちゃんは、わかる?」
(すみちゃん?)
なれちょが班に入れた子が、小さく頷く。
「うぇーん。私だけわからないよぅ……」
詩乃ちゃんがしょんぼり肩を落とした。
「詩乃ちゃん、簡単だよっ! 生き物を触ってると思ってごらん!」
「生き物?」
首を傾げながら、
詩乃ちゃんはもう一度地面に手をつけた。
「……っ!?」
目がまん丸に開く。
「わっ、わかった! わかったよっ!」
なれちょへ向かって叫ぶ。
「やったー!」
なれちょが嬉しそうに笑った。
詩乃ちゃんも嬉しそうで、
私までつられて笑ってしまう。
そのとき、ふと気づいた。
なれちょは義手なのに足で感知せずに、
右手だけで地面に触れていたことに。
(……こういうの、得意なのかな)
そんなことを思っていると——
詩乃ちゃんが目を輝かせたまま叫ぶ。
「すごいっ、なんだろう……血が流れてるみたいっ!」
「血っ!?」
思わず私の声が裏返った。
「リアルだな」
拓斗が苦笑いしながら肩をすくめる。
「詩乃、それ感動の表現じゃないわよ!?」
優ちゃんがすかさず突っ込んだ。
一拍遅れて、笑い声が零れる。
玲央くんは声を上げて笑い、
なれちょは「わかる〜!」と頷いていた。
すみちゃんまで、
口元を押さえて小さく笑っている。
さっきまで少しぎこちなかった空気が、
ほどけていくのが分かった。
そのとき、先生の声が響く。
「——では次に、畑へ移動します。夕食用の食材を収穫し、そのまま調理実習に入ります」
「うしっ、それじゃあ行くか」
玲央くんが手を払いながら立ち上がる。
詩乃ちゃんがぱっと顔を上げる。
「切るのは任せてっ!」
詩乃ちゃんが勢いよく手を上げる。
「さっき血って言ったやつが?」
拓斗が即座に返し、
また笑いが起こった。
「じゃあ、味付けはあたしに任せてー!」
なれちょの一言に、
拓斗が真顔になった。
……調理実習が、
少し不安になってきた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。




