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04

「莉愛は、どこの寮になるのかしら?入学式が楽しみねっ」


 お母さんの声が、背後からふわりと届く。お母さんが丁寧に私の髪を梳かしている。櫛が髪を通る度に、静かな音がして、その度に髪が整えられていく。鏡越しに目が合うと、お母さんはにこっと笑った。


「十二個も寮があったら、カナタとは離れちゃうかなぁ?」


 お母さんと利玖に問いかけてみると、部屋の勉強机に腕を組んで寄りかかっていた利玖がふっと笑った。


「いや〜、そもそもカナタと莉愛は別の寮だろ〜」


 利玖が肩をすくめて笑いながら口を挟む。あまりにも当然のように言うものだから、私は思わず頬を膨らませて、口を尖らせた。


「ん〜、カナタは卯月寮か文月寮とかじゃないかな? 莉愛は〜……如月寮か弥生寮か……水無月寮とかかな?」


 それぞれの寮に特徴があるのか、顎に手を当てて予想する利玖の声に、お母さんもクスッと笑う。


「お母さんも、如月寮じゃないかって思ってるのよねぇ」


 お母さんが、私の髪を整えながらそう言った。柔らかな声に、何だか胸がドキドキした。


 未来のことはまだ分からないけど、名前だけでこんなにも想像が膨らんで、楽しくなるのはきっと、これが「はじまり」の前だからだ。


「さぁ、出来ました。回って見せて」


 お母さんが少し後ろへ下がりながら、嬉しそうに手を叩いた。私はその場でくるりと二度、軽やかに回って見せる。長く仕立てられた袖が空気を含んで、ふわりと舞った。


「うんっ、素敵ね。」


 お母さんの頬が緩む。その笑顔を見て、胸の奥がふっとくすぐったくなった。嬉しくて、でも何だか照れくさくて、落ち着かないような——そんな、こそばゆい気持ちが心の中をクルクル回る。


「中等部の話もワクワクするけど……今日は初等部の卒業式だからね。最後の校舎に、きちんとお別れと感謝を伝えないと。」


 お母さんの言葉に、私は通い慣れた校舎を思い出してみる。歩き慣れた廊下。教室の景色。いつもと違う服を着た今、あの場所にもう一度立つことが、少しだけ特別に思えた。


「それじゃあ、お母さんも着替えて準備してくるから、二人共リビングで待っててくれる?」


「「はーい」」


 二人で返事をして部屋のドアへ向かうと、利玖もその後に続いた。


 二人で並んでリビングへ向かうと、そこにはフォーマルな黒色のスーツに身を包んだお父さんの姿。常盤色のネクタイを器用に結んでいる最中だった。


 ふとこちらに視線を向けたお父さんは、目を僅かに見開き、それから顔を綻ばせる。


「おぉ、莉愛、とっても似合っているね。遂に二人共、天律学園へ行くのかぁ……」


 その声音はどこか感慨深げで、胸の奥からじんわりと湧き上がるものを隠しきれないようだった。


「まだ泣くのは早いよ」


 利玖が軽口を叩いて、お父さんの言葉を茶化す。その一言に、お父さんも照れくさそうに笑った。


「そうだな」


 私は、さっきお母さんの前でしたように、くるりとその場で二回転してみせる。長い袖がふわりと揺れて、空気を撫でた。


「うん、一気に大人っぽくなったね。……昔のお母さんに、よく似てるよ」


 そう言われると、胸の奥がふわりと温かくなって、思わず笑顔が溢れた。嬉しいような、でもちょっと照れくさい。そんな気持ちが、優しく心を包み込んでいった。


「じゃあ俺も、昔の父さんに似てるの?」


 利玖が笑いながら問いかけると、お父さんはネクタイを整えながら、目尻を少し下げて返した。


「それは、お母さんに聞いてくれ」


「確かに」


 利玖は肩をすくめて軽く笑うが、その返しに、思わず苦笑いを浮かべる。今度は逆に、利玖がさらりと受け流されてしまった形だ。


 お父さんと利玖のこういうやりとり、私は何だか好き。冗談を交わしながらも、温かい空気がリビングに広がっていく。


 私たち三人は、リビングのソファに座ってお喋りをしながら、お母さんの支度が終わるのを待っていた。何気ない話をして笑っていた時、トントン、と階段を下りてくる足音が聞こえてきた。


 音のする方を見ると、お母さんがゆっくりとリビングへ入ってきた。お父さんと同じ黒色のフォーマルなロングワンピースを着ていて、首にはパールのネックレス。髪の毛もいつもよりしっかりまとめられていた。


「わあ……っ!」


 思わず声が出た。仕事の時とは違う化粧をしていて、本当に綺麗。


 いつもの優しいお母さんも好きだけど、今日のお母さんは、まるでお姫さまみたいに見えて、ちょっとだけドキドキしてしまった。


「お待たせしました」


 お母さんがにっこり笑って、私たちの方へ声をかける。


「お母さん、すごく綺麗!」


 私はパッと立ち上がって、お母さんの元へ駆け寄った。すぐ目の前に立ったお母さんは、さっきよりももっと素敵に見えた。


「いいね、母さん。似合ってるよ」


 利玖は、ソファに座ったまま、お母さんを見て褒める。


「ふふっ、ありがとう」


 お母さんはクスッと笑って、私の髪を優しく撫でた。その手の温かさに、嬉しくなって胸がキュッとなる。


「うん、とても素敵だよ。さあ、それじゃあ行こうか」


 立ち上がったお父さんが、背筋を伸ばして言うと、お母さんはスッと近付いて、お父さんのネクタイをそっと直した。


 その自然な仕草が何だか特別に見えて、私はドキドキしてしまう。


「うちの男性たちは、素直に人を褒められて偉いですねっ」


「育て方がいいからね」


「実力です」


 お父さんと利玖が、また軽口を言い合う。私もとうとう声を出して笑ってしまった。


 みんなで玄関へ向かう。私は、天律学園のために新しく買ってもらった赤褐色の編み上げショートブーツを履いた。


 新しい制服に、新しい靴を履いた時、まだ見ぬ“新しい自分”が、すぐそこまで来ている気がして、心が浮き立った。


 玄関扉を開けると、雲ひとつない青空——。


 私たちが暮らすのは、地上から10km以上も高いところに浮かんでいる、空中大陸。七賢者様たちの魔法で、丸ごと大きな魔力の球の中に包まれていて、その中ではちゃんと空気も作ってくれているから、空中大陸の中には木も花も生えていて、普通に生活できる。


 空の色も風の音も、地上の状態となるべく同じにしているらしい。時には雲ができて雨も降ってくるし、夜には星だって見える。全部、賢者たちが作ってくれてるのだと、お母さんが言っていた。


 毎日見ているはずなのに、今日は何だか、全部がちょっと特別に見えた。


 私と利玖は、車の後ろに乗り込んだ。運転席のお父さんが、みんなが乗ったことを確認すると、義足で一度タップをする。車のドアの鍵がかかる音がした後に、車が静かに動き出す。


 私の隣で、利玖が足を組みながらまた難しそうな本を読んでいる。いつもの、成年登証試験のための勉強だ。こんな時まで勉強してるなんて、やっぱり凄いなぁ。


「車の中で本読むと酔わない?」


「ん〜、きっと酔うだろうねぇ」


 まるで他人事みたいにさらっと言う利玖に、私は思わず吹き出しそうになる。


「だったら、読むのやめればいいのに」


「でも、今のうちに読んでおきたいんだよ。静かだし、時間もったいないし」


 利玖は本から目を離さずに言ったけど、口元が少し笑っているのが見えた。


(真面目なんだか、抜けてるんだか……)


 私は心の中でそう呟いて、窓の外に視線を向けた。和洋折衷の街並みの風景が流れていく。少し走っていくと、私と同じように天律学園の制服を着た同級生たちがチラホラ見えてきた。


(養護施設の人たちは、リョク様と来るのかな?)


 思い浮かんだのは、カナタのことだった。


 カナタの制服姿は、どんな感じだろうな。いつも無地のシャツとか、くたっとしたセーターとか、あまり飾り気のない服を着ていたから、かっちりした制服に身を包んだカナタの姿は、ちょっと想像がつかない。


 ——でも、似合いそう。他の子たちよりちょっと大人びてるカナタは、やっぱり制服が似合うんだろうな。そんな気がした。


 私は、不意に初等部でのカナタとのことや、初等部でのことを思い出したくなって、そっと目を閉じる。


 低学年の頃は、詩乃ちゃんとカナタと一緒に遊んだっけ。鬼ごっこも、かくれんぼも、草の笛も、全部楽しかった。詩乃ちゃんは、覚えた魔法をよく見せてくれて、いっぱい驚いたなぁ。


 カナタは、私が困っている時、何も言わずにそばにいてくれた。助けが必要な時は助けてくれて、慰めて欲しい時には優しい言葉をくれて、そう言うのがいらない時は——ただ一緒にいてくれた。あの距離感が、すごく落ち着いた。


 そういえば、初めてちゃんと手紙を書いたのも、カナタにだったなぁ。文字を間違えて何度も書き直したことも、今ではちょっとした思い出だ。


 ゆっくりと目を開けると、窓ガラスに映った自分の顔は笑っていた。あぁ、私の初等部での生活は、ちゃんと良いものだったんだ。


 そう思えたことが、何より嬉しかった。


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