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2-7 リタの英会話レッスンはすんなりOKが出て、

リタの英会話レッスンはすんなりOKが出て、打ち合わせの翌々日から実際に始まっていた。

合意した時間や内容を月見之介の目の前再確認するために、僕も初日の最初の15分だけ同席した。

ある程度条件の確認が終わった後、リタは月見之介との会話を英語に切り替えようと提案し、月見之介はその提案におとなしく従った。

つい数日前まで、何故香港では日本語が話されていないのかと愚痴を言っていたのと同じ人間だとは思えないほど素直だったのが気持ち悪かった。


リタは簡単な英文を月見之介に読ませるのと、短い質問を投げかけることで、リスニングと理解力と発音のすべてを簡単にチェックしていった。


「順調そうだし、横で見られてたら月見之介さんがやりにくいかもしれないんで、僕はこの辺で失礼します。

何かあったらLINEかWhatsAppで連絡ください。

何もなければ、とりあえず明後日のお昼、12時30分くらいにここに顔を出しますんで。」


月見之介もリタも軽く頷いた。

僕に返事をするのも、別れの挨拶をお愛想で口に出すのも、時間と注意力がもったいない、と言った風情だった。

こんなに意欲的な月見之介を見るのは、この9年で初めてかもしれなかった。

田舎の本家の当主が見たら、やっとドラ息子が本気を出したと涙ぐんでもおかしくなさそうな光景だった。



「たかがその程度でちょっと感動しかけてるって、おかしくない?」


九龍公園(カオルーンパーク)の芝生の上、僕の手元から緩やかな放物線を描いて飛んでいくバドミントンの羽をすくい上げながら、ジャニスが言う。

緑の芝生に羽の白がよく映えていて、

そのせいか、目線より高く打ち上げられた羽は、空の青の中に溶け込むと、目が追いついていかないのか、見失いがちになる。


「それで感動しそうになるくらい、今まで何にもしてこなかった男なんだよ。

ジャニス、あんまり月見之介と話してないだろう?

もうちょい話せばその辺の機微がよくわかるようになるよ。」

「別にわかんなくてもいいかなあ。

そんなに感動に飢えてないし。」

「今なら、月見之介と話すだけで安っぽい感動が手軽に味わえるのに。」


地面に落ちそうなところで羽をラケットですくい上げる。

ジャニスの頭を越えて飛んでいきそうになるところを、あまり背の高くない彼女が飛び上がって打ち返す。

僕の胸元に真っ直ぐ飛んできた羽を避けながら打ち上げようとしたら、当たりどころが悪くて羽を地面に墜落させてしまった。


「安っぽい感動なんていらないよ。

アメリカのオーディション番組風のリアリティショーだけで間に合ってる。」


4月の香港は既に夏で、少し動いただけで汗ばんでくる。

熱中症になる前にバドミントンを切り上げて、僕らは木陰に腰を下ろした。


「アメリカのリアリティショーとか見てるんだ? 意外だね。」

「たまにね。

暇つぶしのつもりで見始めたら、予想もしないタイミングですごいものに行きあたったりするのが面白くて。」

「最近見たので一番良かったのは?」

「うーん、イギリス人の女の子がジャズのスタンダードを歌うやつかなあ。

すっごい暗い雰囲気の曲を、スチームパンクの映画に出てくる悲劇のヒロインみたいに歌い上げてて、それがかっこよかった。」

「へえ。

それって、オーディション番組?

その子、オーディションに通ってプロのボーカリストになったりしたんだ?」

「それがそうでもなくってさ。

彼女、その1曲が、たまたまものすごくハマってただけだったみたいで、その他の曲を歌わせてもてんでダメだったんだよね。

ネットでいくつか動画を探してみたんだけど、どの曲もいまいち。

どうなんだろうね、SoundCloudとかにアップされてたりするのかもしれないけど、あれじゃ誰かすごく才能のある人のプロデュースがつかないと、ものにならなさそうだったよ。

難しいもんだよね。」


ジャニスは話しながら、ラケットでバドミントンの羽を弄ぶ。

テニスの選手がよくやるように、ラケットの表面でボールを転がすのとよく似た動きだった。


「本当、難しいよ。

起業とおんなじで。」

「あー、例の?」

「そう、例の。

東亀が聞きたがってた話。」

「嫌なら話さなくていいよ。」


苦笑しながら言った僕の言葉にジャニスは首を振って、話を続ける。


「もう過ぎたことだよ。

ここじゃ人の目や耳を気にしなくてもいいし、東亀にも聞いてもらいたいしね。

最初は友達の友達と、何かビジネスできたらいいねって、アイデア出しっぽく話してただけだったんだよね。

いつものノリの、よくあるご飯会的なやつで、まあ新しく知り合いが増えたら面白いかなって感じ。

でも、その日は妙に話が盛り上がって、いけそうなアイデアがどんどん出た。

去年の旧正月の前か、その後か、もう、忘れちゃったけど、そのくらいの時期の話だよ。

で、また連絡を取り合おうなんて言いながらお開きになって、案の定、誰も連絡を取りあったりしなかった。

お決まりのパターンだよね。」


ジャニスの手元のラケットの上でバドミントンの羽があらぬ方向に跳ねた。

ラケットのちょうど届かない草の上に着地する。

ジャニスはそれを拾い上げようと、ラケットを握る腕を伸ばすが、どうしてもあと少しだけ届かない。


「ちょうど、その頃働いてたアパレルメーカーが香港から引き上げることになって、仕事をクビになっちゃったんだよね。

で、むしゃくしゃして、誰かに話を聞いてもらいたくて、携帯に登録されてる連絡先に片っ端から連絡したら、その日のアイデア出しの現場にいた男から返事があったんだ。」

「なかなか香ばしい展開だね。」

「面白いでしょ?

失敗談って、聞いてる分には最高だよね。

で、何やかんやでやり取りしてるうちに会うことになって、女人街近くにある鰻が食べられる屋台で2人でご飯を食べた。」

「期待させられるね。

ロマンスの匂いがする。

楽しかった?」


ジャニスは僕の方を向いて嫌そうな顔をする。


「誰でもいいから話を聞いて欲しいと思ってる時に、結構好みの顔の男が隣で話を聞いてくれたら、大抵の女子は楽しいもんだと思わない?」

「まあ、そうだろうね。」

「で、ご飯を食べ終わった後、コンビニでデザート買ってどっかでゴロゴロしながら食べようって誘われた。

まあ、そういうことだよね。」

「彼の家に行ったってこと?」

「いや、そうじゃなくて、時間貸しのホテルというか。」

「あー、ラブホね。」

「うん、まあ。

こっちだと時鐘酒店って言うんだけど、旺角の駅の近くにもそういうのがあってね。

で、コンビニでアイスとお酒買って入ったんだけど、一番短い1時間のプランで入室してさ。」

「1時間?

それって、時間足りるの?」

「アイスもお酒も口にしなかったよ。

忙しくて。」

「そりゃ、何て言うか…、生産性が高いね。

効率的と言うか。」


僕が声を上げて笑うと、ジャニスは恥ずかしそうな表情で僕を睨み、肩の辺りを割と強い力で打った。


「香港人はね、何でも手早くやらないと気が済まないんだよ。

手を洗うみたいに早く。 」

「衛生的にはあんまり褒められたことじゃないね。」

「手を洗うってのは、仕事の例えだよ。

楽しみっていうより、しなきゃいけないタスクって感じ。」

「つまんないな。

ファストフードみたいだ。」

「ファストフードの方がまだいいよ。

何だかんだ言って美味しいから。

で、東亀はその辺どうなの?

ファストフード?

フランス料理のフルコース?

それとも日本式に懐石料理?

日本人って、塩味控え目で淡白だけどバリエーションが多そう。」

「何の動画見たんだよ。」


ついさっきまで僕を睨んでたジャニスは、いつの間にかすっかり笑っていた。

話の続きを促すのが躊躇われるくらいにいい笑顔だった。

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