2-6 マカオ行き云々はともかくとして
マカオ行き云々はともかくとして、2週間のプライベート密着英会話レッスンをリタに頼んでみることを、次の日の午後、「ザ・ロビー」でブランチを兼ねたアフタヌーンティーを楽しむ月見之介に相談したら、思いの外、好意的な反応が帰ってきた。
「リタちゃんなら間違いないだろう。
人柄も良かったし、講師としての人間性も申し分ない。
東亀よ、なかなかわかってきたじゃないか。」
申し分なかったのは彼女の胸のボリュームだったのではないかと思ったが、そこは黙っておいた。
フリーランスの語学の講師にしてみれば、肉体的魅力もまた月謝を払ってくれる生徒を獲得するための重要な手段にしていることは大いに有り得る。
自覚的にやっているのだとしたら、外野からその行為の可否についてとやかく言われたくはないだろう。
「ここで英語ができるようになれば、今後の旅のプランも随分可能性が広がりますしね。
多少お金がかかっても、先行投資する価値はあるかと。」
「いくらくらい払うとか、細かいことは任せる。
いつ、どこで彼女と合流したらいいのかだけ、決まったら言え。」
「そうさせてもらいます。
ところで、リタの連絡先ってわかります?
昨日結構話してたみたいだし、彼女から教えてもらってたら、僕が直接連絡を取ろうと思ったんですが。」
「そういえば、聞きそびれたな。」
そう言って、月見之介は、左手で顔を額から顎まで撫で下ろし、続けて顎髭に手をやってさすり、二度瞬きをした。
月見之介が嘘をつく時の、いつもの仕草。
聞きそびれたのではなくて、面と向かって聞く度胸がなかったのだろう。
ジャニスにリタの連絡先を教えてもらおうと思いスマホを取り出したら、突然手の中の機械が震え出した。
未登録の番号から電話がかかってきている。
国番号は+852、香港の番号だ。
電話に出てみると、どこか舌っ足らずな女の声がした。
「もしもし、東亀?」
「そうだけど、これ誰?」
「あたし、リタ。
昨日はパーティーに来てくれてどうもありがとう。」
電話口から聞こえてくるリタの声は、日本語を話してた時の、語尾を伸ばした話し方とは随分違った印象だった。
「こちらこそ、ご招待いただきどうもありがとう。
実はお願いしたいことがあって、今、ジャニスにリタの連絡先を聞こうとしてたところなんだ。」
「もしかして、英語のレッスンの話?」
「え?」
僕の驚いた様子が面白かったのか、彼女は笑う。
「今朝、知り合いから、月見之介に英語を教えてくれる人を探してるって連絡があったの。
話がまとまるまでは紹介料とかいいから、とりあえず連絡してみろって東亀の電話番号を教えてもらった。」
昨日、スミノフアイスを飲んだ後、エリックと連絡先を交換したことを思い出す。
商魂たくましい男だった。
さすが東南アジアを股に掛けるやり手の音楽プロモーターと言ったところか。
その日の夜には、旺角の朗豪坊で夕飯を食べながら、リタによる対月見之介・マンツーマン英会話短期集中コースの詳細を詰めていた。
アポイントメントの段階ではリタだけ来るものだとばかり思っていたが、待ち合わせの場所に着いた時にはエリックもそこにいた。
「儲かりそうな話だからな、交渉役として一枚噛むことにしたんだ。
それにしても、日本のビールは何頼んでも上手いピルスナーが出てくるよな。」
日本でも有名なチェーン店のラーメン屋で、キリン一番搾りの生を飲みながらエリックは言う。
注文を取りに来た店員に、リタが語尾を伸ばした日本語と広東語で注文をしてくれる。
ラーメンに餃子を付けたメニューを頼んでから、それほど待たずに出てきた。
日式サービスは、時に忙しなく感じることもあるが、こういうところがありがたい。
白、赤、透明度のある黒。
思い思いの色のスープからラーメンを啜りながら、エリックを中心に話が決まっていく。
期間、目標、内容、時間あたりの単価。
必要な教材、場所に交通費の精算。
「場所は、ペニンシュラでいいんじゃないのか?
リタは旺角東に住んでるから、電車でもバスでも行きやすいだろ。
ついでに中のイートインスペースで飯でも奢ってもらえよ。
どうせ経費で落ちるんだろ?」
「それはありがたいな。
経費で落ちるってことは、ここの食事代も?」
「そりゃそうだろ。
そうじゃなきゃこんなバカ高いビールなんか飲めたもんじゃない。」
「いや、2人で勝手に盛り上がってるところ悪いけど、僕、一言もそんなこと言ってないんだけど。」
「いやいや、イーストタートル。
俺にはわかる、おまえはどうせ払うだろうよ。」
「リタ、エリックって、いつもこんな強引なの?
正直この人と会うの3回目で、キャラがまだよくつかめてないんだけど。」
「エリックは押しの強さがとっても頼りになるエージェントとして、香港のインディーズシーン界隈では有名なんだよ。
そんなこと言ってる東亀もあたしと会うの2回目でしょ。」
あらかた話も決まり、僕の支払いでラーメン屋を出たところで、帰るルートを頭の中で組み立てていて、注意散漫になっていた僕を横目にエリックが言った。
「そういや、リタ。
前勤めてた語学学校では、レッスンの一環として、遠足っていうか、小旅行みたいなアクティビティもやってたよな?
生徒を引率してマカオに一泊するやつ。」
「レッスンの一環じゃないよ。
週末のアクティビティだね。
広東語も英語もできない日本人と韓国人の生徒さんしか頼まないやつね。」
「それそれ。
今回のクライアントもそれいけるよな?」
「経費そっち持ちならやってもいいかなあ。
もちろん、そのうえで特別料金をもらうことになっちゃうけど。」
「いいんじゃないか?
ついでにカジノのチップも奢ってもらえよ。
どうせ経費で落ちるんだろ?」
「いや、だからそんなことは一言も―」
否定の言葉を僕の口が言い切る前に、地下鉄の駅の入り口に着いた。
「あはは、まあ、その辺はリクエストベースで対応ってことで。
とりあえずは、明後日の朝10時に尖沙咀のペニンシュラね。
じゃ、そういうことで。
ごちそうさま、気をつけて帰ってね。」
そう言って、リタは旺角東の駅の方へ歩き去っていった。
エリックはリタを見送った後、僕の方を振り返ってドヤ顔で言った。
「ファインプレーだろ、俺。
褒めてくれてもいいんだぜ?」
僕はため息をついた。
「金がかかってしょうがなさそうなプランだね。」
「いいじゃないか、どうせおまえの金じゃないんだし。
それに、こうでもしないと、おまえの親戚の綺麗な仔豚ちゃん、絶対ここで女なんか捕まえられないぜ。」
「結局、金にモノを言わせただけみたいになっちゃってるけど。」
「それでも、金でどうにかしたわけじゃない。
ご本人さんの要望どおりだろ?
今日も俺、いい仕事しちゃったよ。
じゃ、俺帰るから。
おまえも気を付けて帰れよ。」
そう言って、リタが歩いて行ったのとは反対側に進むエリックを僕は呼び止めた。
「エリック」
人込みに紛れそうなエリックが振り返る。
染められた彼の前髪が、車のヘッドライトに照らされる。
「なんだ、イーストタートル?
別れを惜しむほど、俺の手腕に感動したか?」
「感動しちゃいないが、確かにあんた、やり手だな。
今度、マニラについていろいろと相談させてくれ。」
「相談料かかるぜ?」
「構わない。」
「やっぱり経費で落ちるんだな」
エリックはそう言って笑い、左手を上げて僕に手を振った。
ヘッドライトが眩しすぎなければ、極彩色の蝶のタトゥーが手の動きに合わせてひらひら揺れるのが見えただろう。




