第4話_傲慢な親族と踏みにじられた温室
午後の穏やかな陽光が差し込む旧温室で、クラリッサは机の上に並べた薬草の乾燥作業に精を出していた。
午前中にアルが届けてくれた北の森の野薔薇の実は、砂糖漬けにして竈の余熱でじっくりと水分を飛ばし、透き通るような飴色のハーブ糖へと仕上がっていた。明日、彼が朝食にやってきたら、熱い紅茶に浮かべて驚かせてあげよう――そんなささやかな喜びを胸に浮かべ、クラリッサは自然と口元を緩ませていた。
だが、その平穏な静寂は、乱暴な馬車の車輪の軋みと、下品な罵声によって無惨に引き裂かれた。
温室のガラス扉が外側から乱暴に蹴り開けられ、冷たい冬風とともに、何人もの足音が土足で煉瓦の床を踏み荒らしながらなだれ込んできたのだ。
「うっ……なんて埃っぽくてカビ臭い場所かしら! 泥と雑草の匂いが鼻について吐き気がするわ!」
甲高い嫌悪の声を上げたのは、派手な深紅の毛皮付きマントを羽織り、宝石をジャラジャラと鳴らした異母妹のセシリアだった。その隣には、傲慢な笑みを浮かべた継母のヴィクトリアと、不快そうに鼻をつまむ実父のアシュレイ伯爵が立っていた。
「お父様……? 継母様、セシリアも……なぜ、ここに」
クラリッサが作業台から立ち上がり、警戒を露わにして尋ねると、父伯爵は忌々しげに娘を一瞥した。
「相変わらず薄汚い格好をしおって。こんな日陰の豚小屋のような場所で、よくも平然と暮らしていられるものだ。……まあいい、クラリッサ。お前に朗報を持ってきてやったぞ」
伯爵は胸を張り、尊大な態度で一枚の書類を机の上へと放り投げた。
「ベルトン侯爵閣下への輿入れが決まった。来週には婚礼の儀を執り行うゆえ、今すぐ荷物をまとめて本邸へ戻る支度をしろ」
「ベルトン侯爵……!?」
クラリッサは息を呑んだ。
ベルトン侯爵といえば、還暦を過ぎた好色な老人で、過去に二人の前妻を過酷な虐待によって病死に追いやったと社交界で悪名高い男だった。
「お断りいたします。そのような残虐なお方の元へ嫁ぐことなど、絶対にいたしません」
クラリッサが即座に拒絶すると、伯爵の顔が怒気で赤黒く跳ね上がった。
「無礼者め! 父親の決定に口答えする気か! ベルトン侯爵は、お前のような魔力も持たぬ行き遅れの娘を、五万金貨という莫大な結納金で引き取ってくださるのだぞ! セシリアが王都の夜会で身につける新しいドレス代や、我が伯爵領の投資の補填のために、喉から手が出るほど必要な資金なのだ!」
「つまり、セシリアの贅沢のために、私を人身売買のように売り飛ばすというわけですのね」
クラリッサが冷ややかな視線を向けると、セシリアが怒りの形相で前に進み出た。
「なんですって!? 役立たずの分際で、このセシリア様に生意気な口を利くんじゃないわよ!」
セシリアが手を掲げると、指先から赤黒い炎魔法が吹き出した。
ボウッ、と火の粉が散り、作業棚の上に置かれていたクラリッサの乾燥ハーブの瓶や、今朝アルと一緒に水をやったばかりの冬咲きジャスミンの素焼き鉢を直撃した。
ガシャリ! という耳障りな破壊音とともに鉢が割れ、可憐な白い花びらが土とともに床に散らばり、黒い煙を上げて焦げ付いていく。
「やめて……! 私の植物に、何をするの!」
クラリッサが叫んで割って入ると、セシリアは嘲笑を浮かべて割れた鉢を靴底で踏み躙った。
「ふん、ただの雑草じゃないの! こんなもの、全部燃やし尽くしてやるわ! お父様、この女が言うことを聞かないなら、私兵を使って無理やり縛り上げて連れて行きましょう!」
伯爵が顎をしゃくると、後ろに控えていた四名の屈強な私兵たちが、縄を手にしてクラリッサへと歩み寄ってきた。
クラリッサは作業机の剪定鋏を握りしめ、竈の前に立ち塞がった。全身が怒りと悔しさで震えていたが、一歩も引く気はなかった。ここは、自分が自分の力で築き上げた尊厳ある場所であり、アルと心を通わせた大切な温室なのだ。
「近寄らないでください! この温室は、王立植物園の管轄地です! いかに実の親であろうとも、許可なき不法侵入と破壊行為は王国の法によって処罰されます!」
「法だと!? 伯爵である私に逆らえる者が、こんな吹き溜まりにいるはずが――」
伯爵が傲慢に怒鳴り散らそうとした、まさにその刹那だった。
ドォンッ! という雷鳴のような重低音が大気を震わせ、温室のガラス屋根全体がビリビリと激しく悲鳴を上げた。
「な、何事だ!?」
伯爵が驚いて振り返った瞬間、温室の入り口の扉が、凄まじい衝撃によって左右へと打ち破るように弾け飛んだ。
雪混じりの冷気がなだれ込む中、姿を現したのは、黒銀の鎧に身を包み、長槍とクロスボウを構えた数十名もの近衛騎士団の精鋭たちだった。完全武装の兵たちが一瞬にして温室を包囲し、アシュレイ伯爵の私兵たちに切っ先を突きつける。
そして、近衛兵たちが左右へと割れて道を空けたその中央から、一人の男が静かに歩み入ってきた。
夜色の式典用軍服の肩に白銀の飾緒を輝かせ、腰には国王親授の宝剣を佩いた姿。
彫りの深い端正な顔立ちに、絶対零度の冷徹な殺気を宿したその人物を目にした瞬間、アシュレイ伯爵と継母の顔から、完全に血の気が引いた。
「ア……アルスター公爵、閣下……!?」
伯爵の口から、引き攣った悲鳴が漏れ出た。
近衛軍の全権を握り、『冷徹な鉄血卿』として恐れられる最高位の貴公子。
その男が、なぜこのような森の片隅の旧温室に、近衛の精鋭を率いて現れたのか。
アルスターは震える伯爵一家を一瞥もせず、ただ真っ直ぐに、竈の前で剪定鋏を構えて立ち尽くすクラリッサの元へと歩み寄ってきた。そして、彼女の小さな身体をすっぽりと隠すように、その広い背中で立ちはだかった。
「……怪我はないか、クラリッサ」
低く、耳を疑うほど優しい声音で問いかけられたクラリッサは、息を呑んで見上げた。
「アル、様……? 貴方が、公爵閣下……?」
アルスターは優しく頷くと、再び踵を返し、床にへたり込んだアシュレイ伯爵一家へと視線を据えた。その琥珀色の瞳は、先ほどの優しさが嘘のように、万軍を屠ってきた氷の刃となって凍てついていた。
「私の大切な人の温室を土足で踏み荒らし、私の救い主を売り飛ばそうとした愚か者ども。貴様らのその薄汚い首が、まだ胴体に繋がっている理由を、今すぐ法廷で述べるがいい」
静かに告げられた死刑宣告のような言葉に、温室中の空気が完全に凍りついた。




