第三十九章:「もう…限界」
それは、背後から感じる違和感から始まった。
振り返っても誰もいない。
でも、足音のリズムが私に合わせて変わる気がして、怖くて立ち止まれなかった。
帰り道、コンビニに寄ったときだった。
お店から出た瞬間、誰かとすれ違った。
ぶつかるほどの距離だったのに、相手はこちらをまるで睨むように見たきり無言で去っていった。
その男の腕には、大きなタトゥー。
背筋が凍った。
なんで――そんな人が、私を見てるの?
その日の夜、ポストに封筒が入っていた。
名前も住所も、手書きで書かれている。
震える手で封を開けると、中には一枚の写真。
――私が会社を出るところを撮った、鮮明な写真だった。
吐き気がした。
カメラの向こうに、誰かが私を見ていた。
知らないうちに。
どれだけ気をつけても、どれだけ警戒しても、いつの間にか私は“狙われる側”になっていた。
携帯が震える。非通知の着信。
出る勇気なんてなかった。
その夜、家に帰ると、玄関前に何かが置かれていた。
最初は宅配かと思った。
でも、それは段ボールに無造作に詰められた生ゴミとネズミの死骸。
悪意しか感じない。
私の生活に、誰かが土足で踏み込んできている。
もう、“嫌がらせ”なんて言葉じゃ片づけられない。
それでも仁さんには言えなかった。
心配をかけたくない――そう思っていた。
でも、もうそんな段階じゃないのかもしれない。
杏奈には、最近の嫌がらせをそのまま相談した。
彼女の顔が一瞬で曇ったのが分かった。
「咲で間違い無いと思う。…あの人なら、お金で誰かを動かすくらい、簡単にできる」
その言葉に、心が凍った。
“誰かを雇った”――つまり、これはもうただの嫉妬や嫉みなんかじゃない。
誰かに“指示”して、私の生活を壊しにきている。
仁さんにとって私が“特別”になっているということに、咲は気づいていたのかもしれない。
そして、いずれその関係は壊れると思ったのかもしれない。
でも、本当に壊れるのは、私の心かもしれなかった。
このままじゃ、私はおかしくなる。
生活の中に“安心”がひとつもない。
鍵を閉めても、眠っていても、どこかで誰かが私を見ている気がして、息が詰まりそうになる。
それでも仁さんにだけは――まだ言えない。
私の中の“最後の砦”を、壊したくなかった。
でも、このままじゃ…きっと。私はすでに限界を超えていた。




