第二十九章:「彼女の成長」
「ひな~、また寝不足?」
カフェの隅、アイスティーをストローで混ぜながら私が聞くと、
ひなは「仕事忙しいし、少しだけね」と控えめに笑って答えた。
その笑顔は、確かに少しやつれて見えた。
仕事を理由にしているけれど、私にはわかる。
(まだ“あの人”のこと、忘れてないんだね)
仁さんの名前を出すのは、もうやめていた。
口にした瞬間、ひなの目が少し曇るから。
今はもう、その名前すら封印して、ただ時間が過ぎていくのを待ってるようにも見えた。
でも、そんな姿もまた、
“思い出にしようとしてる”ひななりのやり方なんだと思う。
ひなは強い。
誰よりも真っ直ぐで、愛情深くて、
私が知ってる中で一番、誰かを本気で好きになれる人だ。
そんなひなが、仁さんと離れる覚悟を決めてから今日まで。
私の見えないところでどれほど涙を流し、乗り越えようとしてきたのか、私にも想像ができなかった。
後輩と付き合うことになったと報告されたときも、ひなの目はどこか悲し気だった。
だからこそ、怖かった。
時間が経っても忘れられないなら仁さんと戻ってもいいんじゃないか、
そんな言葉を容易には伝えられない。
それが正しいかなんて、私にも分からなかった。
仁さんのことを話すときのひなは、いつもとても幸せそうだった。
仁さんの言葉一つひとつに一喜一憂する姿が、微笑ましくて、悔しくて、羨ましかった。
「後輩の彼とは順調なの?」
私はアイスティーの氷を軽くかき回してから、静かに続けた。
「自分の気持ちに嘘ついちゃだめだよ。」
友達だからこそ、私はひなに言わなければいけないと思った。
「杏奈、実はね…。」
その言葉を皮切りに、ひなはゆっくりと話した。
「彼とは別れたの、少し前に。報告が遅くなってごめんね。
いろいろと気持ちの整理をしたくて。
彼がくれる日々はとても穏やかで優しかった。
恋人同士ってこういうことなんだなあって感じさせてくれてね。」
ひなの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「でもやっぱり…やっぱり私の中にずっと仁さんがいるの。
優しい彼だからこそ、こんな気持ちで付き合っちゃいけないと思って。
その気持ちを伝えたら、彼も気づいてたみたいで…。
幸せになってほしいって、そう言われた。」
一粒の綺麗な涙が、ひなの目から零れ落ちた。
(どれほど1人で葛藤して、答えを出したんだろう)
自分と向き合い、彼とも向き合い、そして答えを出したひな。
そんなひなが誇らしくも、少し寂しかった。
私にできることなんて、結局限られている。
助けることも、癒すことも、代わりになることもできない。
でも、ずっと自分の本当の気持ちに嘘をついてきたひなが向き合った今。
彼女が選んだ気持ちを、道を、私は応援したい。
「そうだったんだ…。相談してもらえなかったのは少し寂しかったけど、
それでもひなの本音が聞けて嬉しいよ。
だから、もし――
もし、また仁さんに会いたくなったら、気持ちのままに会いに行ってほしい。」
私の素直な気持ちだった。
「私はずっと、ひなの味方だからね。」
そう言うと、ひなは涙を流しながら笑顔で、頷いてくれた。




