第十四章:「些細な変化」
「ありがとう。俺も、ひなを大切に思ってる。
気持ちはちゃんと伝わってるから。」
仁さんからのメッセージが画面に表示されてから、私はしばらくその言葉をじっと見つめていた。
「好き」という言葉は、予想していた通り、返ってこない。
どこかで分かってはいたけれど、それでも少しだけ期待していた自分がいた。
でも、すぐに自分に言い聞かせる。
(それでも、これで良いんだ)
仁さんは、自分の気持ちをきちんと受け止めてくれた。
そして何よりも、心の中で、彼が自分を特別に思ってくれていることを感じられた気がした。
数週間ぶりに仁さんのお店に行った。
久しぶりに顔を出した私に、仁さんはいつものように少し微笑み、迎えてくれた。
でも、いつもと違ったのは、私が席に座ると、彼が少しだけ優しく話しかけてくれたこと。
他のお客さんに対しては見せないような表情で、私に向ける視線には、わずかながらの温かみがあった。
「久しぶりだな、ひな。」
「うん、忙しくて。来たくても、なかなか時間が取れなかった。」
私たちはしばらく、いつも通りにお互いの近況を話していた。
でも、何となくその時、空気が少しだけ変わったような気がした。
仁さんの言葉や態度が、どこか心に触れるようになったからだ。
夜が深くなるにつれて、お店の照明が柔らかく照らされ、周囲のざわめきが少しずつ薄れていった。
その時、仁さんがふと私を見て、ぼそっとつぶやく。
「…今日はもう帰る?」
「うん。明日も仕事だし、遅くなる前に帰らないと。」
私が答えると、仁さんは少し考えるような表情を浮かべた。
「そっか。でも、ちょっとだけうちに寄って行かない?明日仕事早い?」
その一言に、私は驚いた。
仁さんが誰かを自分の家に招くなんて、ほとんどない。
「休みの日に人と会わない」のが仁さんであり、そしてあの告白をした後でもあったからだ。
「え?」
「どうした?帰るならもう帰ってもいいけど。」
仁さんはあくまで冷静に、でもどこか無理しているようにも感じた。
私は少しだけ間を置いて、答えた。
「いや、別に…。」
「…行ってもいいなら、少しだけ寄るね。明日早いから、あまり長居はできないけど。」
仁さんの言葉を考えると、それは単なるお誘いではなく、彼が少しだけ心を開いてくれている証拠のような気がした。
私にとっては、その小さな変化が嬉しくてたまらなかった。
「どこかで時間潰してて。また後で連絡する。」
そう言われてお店を後にした。
私は近くのバーで時間を潰しながら、仁さんからの連絡を待っていた。
――――――30分後、仁さんからの電話。
「遅くなってごめん。家についたからおいで。住所は…わかるよね?」
「…うん。」
「待ってるよ。」
タクシーに乗り、久しぶりの仁さんの家へと向かう。
タクシーの揺れと一緒に、胸の奥の何かも静かにざわついていた。
――――――ピンポーン。インターホンの音が響く。
家の中に入ると、仁さんは少しだけ微笑み、そしてギュッと私を抱きしめた。
「適当に座って。」
「…うん、ありがとう。」
以前より柔らかく感じるソファに、私は少し身を固くして座った。
これまでに何度か家に来たことはあったが、ハグをされたのは初めてだった。
何事もなく隣でテレビを眺める仁さんを横目に、私はドキドキが止まらない。
「何か飲みたいものある?」
「うーん、じゃあ、コーヒー。」
「了解。」
コーヒーの香りが部屋に漂い始め、静かな時間が過ぎていった。
普段のお店での距離感とは違って、ここでは2人だけの時間が流れている。
それが、今までの私たちの関係とは少し違うことに、心が動かされた。
「ひな、最近どう?」
「まあ、忙しいけど、なんとかやってるよ。」
少しだけ笑って、私は答えた。
その時、仁さんが少しだけ真剣な表情で私を見つめた。
「無理すんなよ。」
「…え?」
「お前が元気じゃないと、心配になる。」
その言葉に、私は少しだけ驚いた。
こんな風に言ってくれるなんて、思ってもみなかったから。
その夜、私たちはゆっくりと過ごした。
何も特別なことはなかったけれど、いつもよりも心が温かく感じた。
「今日はありがとう、じゃあね。」
「またな。」
お店では見せることのない柔らかな表情で、仁さんは私を見送ってくれた。
その夜、私の心はせわしなかった。
まるで、まだ見ぬ未来がすぐそこまで来ているように。




