554 僕らはいくらでも残酷になれる
エルフの魔法って、それこそ存在そのものに関与してそうなものだけど、ジェレンス先生の魔法とは違うよなぁ。すっごく、ぜんっぜん、まったく違う。
不思議だなと思いつつ、わたしは空気の冷たさに少しふるえた。
眼下には、起伏に富んだ地形とそれを覆う木々が見える。
トゥリアージェ領って、なんかこういう小山の密集地帯が多いんだろうな。前世でもっと地学を学んでいれば、気が遠くなるような大昔に噴火があって〜、みたいな仮説くらい立てられたのかもしれないけど……正直、なにが原因でこういう地形なのかは、さっぱりだ。
とにかく、でこぼこしてる。平たくない。木々はしっかり茂ってるから、表土が薄いってことはなさそう……わかるのは、こんな感じ。
パン屋の娘としては、穀倉地帯にはなりそうもないな、って感想。
少し移動すると、巨人が薙ぎ倒した木々や崩した地形が見えてきて、その向こうに竜巻も……いやでっか!
想像以上に、でっかー!
「……なんとかすべきでは、ありますね」
竜巻をではなく、ジェレンス先生を、って感じに聞こえて怖いよね。一回殺しておくべきかな、みたいな……。
な、なにか無難なコメントをしなければ!
「人里離れた土地で、よかったです」
それくらいしか、思いつけなかった。
でも実際、近くに民家があったら、ジェレンス先生だって手加減すると思うんだ。思うんだよ……その程度のまともさは、ちゃんとあると信じてるよ!
「そうですね……中はどうなっていることやら」
「この規模の竜巻に巻き込まれたら、ふつうは……」
竜巻の中ってこの……メリメリになった木とかも、ぶん回されてるわけですよ。ちょっと枝が〜、とかそういうレベルじゃないのよ。大木が! 幹ごと! 何本も! ぶんぶん回ってるのよ。塵や小石どころか、岩と呼べる大きさのものだって大量に巻き上げられてるから、はっきり視認はできないけども、中は大変なことになってるはずだよ。
ふつう死ぬわ。
問題は、相手が推定魔王であり、どう考えても「ふつう」じゃないってことだ。
これで終わってくれるなら、楽ではある……正直、今のところ変態じみてる以外に害をなしてないから、なんか微妙な気分でもあるけども。
でもまぁ……終わったりはしないんだろうなぁ。
ジェレンス先生自身、これで終わりとは微塵も考えていない気配がある。だって、終わったと思ったなら宣言するじゃん。そうじゃなく、休憩しにあの小屋に来たんだもん。
たぶん、決め手に欠けるって感じじゃないのかな。だから、とりあえず動き回れないように竜巻に突っ込んだ、念のためにデカくてヤバいやつ……って思った結果がコレでしょ。
「まぁ……魔王ですものね」
「そうですね。ジェレンスはまだ休憩中、か――」
いかに当代最強の〈無二〉であろうとも、魔王相手ではそう簡単にはいかないってことよね。
そしてたぶん、決め手っていうのは……聖属性の封印よねぇ……。
どうすんの、わたし。
ロスタルス陛下の真似をして、殴ってみる? 魔王を? まず、竜巻から出てきてもらわないと無理じゃない? ていうか、出てきても無理そうな気がするわ……。近寄ったら自動的に抱っこを敢行される予感しかない。
「――ルルベル、魔力は? かなり減っていそうですが」
「魔王に全力でぶつけたので……でも、それなりに時間が経ってますから、少しは回復してます」
「なるほど。まだ使わない方がいいですね」
では、とエルフ校長は降下し、わたしとナヴァト忍者を地面に下ろした。
下から見上げると、竜巻はそりゃもう……大変な迫力である。けっこう距離があるのに、音もすごい。バキッとかゴキッとかドゴッとかこう……不穏なアクセントがついた、ゴゴゴゴゴゴゴ、って振動。
そう、音っていうより振動だ。いや、音は波なんだから振動で間違ってないんだけど、なんていうかさぁ……もはや暴力なんだよな。
「君たちは、もう少し下がって」
「……校長先生、なにを?」
「あれが抜け出したらすぐ察知できるよう、網をかけます。僕も、無駄にできる魔力はありませんからね」
網、ってなんだ。網って。
ナヴァト忍者に腕を捕まれなければ、下がっていろという指示は忘れてたかもしれない。引っ張られるまま、わたしは少し後ずさった。
エルフ校長の後ろ姿は、少しだけ遠ざかっている。跪いて、地面に手を当てているようだ。
声が聞こえる――原初の、エルフの言葉。
この騒音の中でも聞こえるのだから、けっこう声を張り上げてるのかな? それでも途切れ途切れで、単語がいくつか聞き取れただけだ。たしかに、網っぽい言葉もあった。
名詞の網じゃなくて、動詞だから……編み上げる、みたいな?
語順的に、その前にあったのが「なにを」だと思うけど、そこは聞き取れなくて……なにを編んだんだろう?
首をかしげる暇もなく、大気が波打ち、そして光った。
ピカッという激しい光りかたじゃなくて、ただ、ふわっと。やわらかく発光し、あたりに複雑な紋様を描いて――一瞬で、消えた。
えっ、なに、今の。
眼をしばたたくわたしの後ろで、ナヴァト忍者も感嘆の息を吐く。
「一瞬ですが、巨大な呪符が描かれていたような」
「……やっぱりそう?」
「はい。俺では読みとけませんでした」
「わたしも。なんだか、座標指定っぽい記号がたくさん並んでたみたいな……でも、ただの呪符にしては、こう……華麗だったというか」
やたらと美しかったのである。
戻って来たエルフ校長は、なにごともなかったかのように、わたしの手をとった。
「行きましょうか」
「校長先生、今のは……呪符ですか?」
「そのようなもの、です。人間の呪符では精霊に届かないので」
「精霊……」
たくさんいるようですよ、とエルフ校長はなんでもないことのように告げた。
「かなり気が立っていますね。精霊は一般に、人間のいとなみには手を出しません。この世界と半分だけかさなった、別の世界にいるようなものですから。逆にいえば、半分は――かさなっている。大規模な破壊に、怒っています」
そういって、エルフ校長はあたりに視線を巡らせた。
浮き上がりながら、わたしも見回して――あらためて、惨状に恐れ入る。ほんと、人里離れたところでよかったよって話だけど、精霊にとっては別だったわけだ。
「じゃあ、ジェレンス先生の身が危険……?」
「精霊たちは、こちらの世界の動きを綿密には理解できません。僕は、あの竜巻からなにか抜け出て来たら知らせてもらえるよう、たのんだだけですよ。かれらがその『なにか』をどう判断するかまでは、わかりません」
網をかけたのは、その抜け出る範囲を精霊界からも明確に観測するためだそう。
異界に属する精霊にとって、どこからどこまで、みたいな距離感の把握において、こちらと共通認識を得るのは難しいらしい。
だから、エルフ校長が範囲を魔法的に指定したのだ。座標をあらわす呪符っぽいと思ったものは、実際、そういう役割を持っているみたい。
「それって……精霊たちは、あの魔王を敵視してるんですか?」
敵視してるというか、敵視させたというか? 竜巻に関しては、推定魔王は被害者なのに?
「そうなれば、好都合ですね。どこからどこまでという位置の特定が難しいことは、もう話しましたが――いつからいつまで、という時間についても、精霊たちは僕らとはズレた感覚を持っています」
「……つまり?」
「この先、魔王を見失うことがあったとしても、かれらが発見してくれることを期待しましょう。どこでも、いつでも、かれらの知覚は届くのですから」
……怖い! すごい陰謀が一瞬で成立している!
「なんか、魔王が……」
「魔王が?」
「冤罪をかけられて、ちょっと気の毒というか」
「ジェレンスをもっと懲らしめた方がよい、と?」
それはそう。
それはそうだけど、そういう意味ではなく。
「ルルベル」
「はい」
見上げると、エルフ校長はその碧緑の眼を困ったようにほそめていた。
「聖属性魔法使いは皆、やさしい。ですが、やさしさにも使いどころというものがあるのですよ」
「……すみません」
「謝ることはありません。君のやさしさは必要なものなのでしょう――でないと、僕らはいくらでも残酷になれる。あれもこの世界に属する生きものなのだということさえ、一顧だにせず虐げる。ただ排除しようと、そればかりを考える」
だから、とエルフ校長は言葉をつづけた。
「君はやさしく在っていい。ただ、そのやさしさが届かないときに、絶望しないでほしい。救えなかった命を数えるような人生を送らないでほしい……それが僕の願いです」
救えなかった命を数える人生……。
そんなの考えたこともなかったけど、気を抜くとそうなりかねないのは、なんとなくわかった。実際、わたしは悔いているし、恥じてもいる――もっと強い魔法使いでないことを、もどかしく思っている。すべてを救えない自分を責めて……ちょっと泣いちゃったことだってある。否定できない。
「心がけます」
そう答えながら、でも、とわたしは考えていた――でも、救えなかった命を数えるひとだって、いてもいいんじゃないの?




