539 ママ、抱っこしてあげるよ
先週は唐突に休んでしまい、すみません。
体調不良でございました。
「ママじゃないってば……」
ママ論争にはもう疲れたよ。
でも、受け入れたら負けな気がする。とりあえずママと呼ばせておくか、ってしたら、なし崩しにならない? ねぇ?
『とにかく、それが魔王で確定なら、さっさと封印すればいいだろう』
「どうすればいいか、わからないのよ」
『校長から、前回どうやって封印したかは聞いたはずだ。同じように、殴ればいいんじゃないか? 聖属性魔力を込めた拳で』
わたしは愕然とした。
この子を……殴るって? 無理じゃない? 無理! わたしには幼児虐待趣味はない!
……といって、「おっきくなった」状態に殴りかかるのは、それはそれで無謀な気がするよな。
いやでも、とにかく幼児に暴力は無理だ。
推定魔王を前になに甘っちょろいこといってんだ、と思わなくもないけど、無理。
それに、殴って封印は脳筋をもって知られる初代陛下だから成立したスタイルであって、そのまま踏襲することなんて不可能だろう。
エルフ校長も、いってたもん……封印は聖属性魔法使いそれぞれで違う、って。
……いってたよね?
わたしは自分の記憶力がイマイチ信じられないけど、たぶん、いってたはず!
『だからといって、とりあえず抱っこしてあげれば解決などと思っていないだろうな』
……ぎくぅ!
さっき、ちょっと思ったよ……白状はしないけど、しなくてもバレてそう。ああ、ほんもののリートだ!
『か弱い幼子と見せかけて警戒心を解いた上で、近づいて来たところを襲うくらいの予測は、君にもしてほしいものだがな』
いや、その可能性も考えたけど……考えたけど、なんか意識から遠のいてたっていうか?
弁明もしないがな、たぶん鼻で笑われるだけだから!
「ママァ……」
「ママじゃないよ」
反射的に返してしまったが、どうすればいいんだ、コレ……。
「ママだよ!」
「いや違うってば」
ぐすっ、と推定魔王はしゃくり上げた。ああ……目元が腫れてる……でも赤くなったところがまた可愛いじゃないか、くそぅ!
「ママじゃなかったら、なんなの?」
「えっ? えっと……お友だち?」
即座にリートの声がした。
『君は馬鹿か』
馬鹿で悪かったな!
「お友だち? なら、抱っこする?」
期待を込めた眼差しを、向けられましても。抱っこはダメ、ゼッタイ。
「いや、お友だちで抱っこはしないかな」
「じゃあ、お友だちじゃないよ――」
推定魔王の目元に、力がこもった。
「――それにママ、さっきから、だれとしゃべってるの」
ああそうか、ナヴァト忍者もリートも見えてないから! わたし、ずっと独り言つぶやきまくりの変な人だったわけね……イタタタタ。
……ここは涙を飲んで、変な人で通した方が、平和な気がする。
などと考えているあいだに、推定魔王の幼児は葉っぱの口になり――すごく可愛い――だん! と足を踏み鳴らした。
「だれ! ママは、ぼくのだよ!」
わたしの背後に控えていたナヴァト忍者が、ぐっ、と息を吐いた。ほとんど遅滞なく、失礼、と低い声がして腰に手が回り。
ぐいーん!
……人間ってこんなにジャンプできるんだね体験アゲイン。一気に魔王が遠くなる。
「ママァーッ! ママをとるなーッ!」
断じてママではない。
せめて、往年の名作アニメよろしく「ママになるかもしれなかった女性」くらいにしてくれ。それも無理だけど。
「隊長、聖女様を」
「ファランス、行け」
「了解」
男三人のあいだで爆速の意思疎通がなされたらしく、気がついたらわたしは放り投げられ、ふんわりと受け止められていた。もちろん、ファランス様の風魔法だ。ナヴァト忍者の筋力移動に比べると、たいへん優雅である。
「俺は残って食い止める。聖女様をお守りせよ」
「命に替えましても」
待って、命はちょっと……と思う暇もなく、わたしはファランス様に手をとられ、高空に舞い上がっていた。
た……高い! 高い高い! 今までの飛翔体験でも群を抜いて高い!
「急ぎます。苦しいときは、手を握って訴えてください」
いきなりの横方向加速。
風が! 痛い!
空気ってこんなに……痛いんだね……なるほど、声をあげるとか無謀だわ。こんなん、口を開けないもん。手を握るしかないわ。
苦しいけど、この程度は我慢しなきゃいけないんだろう……いやでも、あそこに置いてきちゃったリートは? ナヴァト忍者は? どうすんの?
わたしはファランス様の手をぎゅっと握った。
わずかに速度が落ちて、呼吸できる環境になる……いやもう無自覚にね、呼吸止めてたよね。やばいわ風属性魔法使い本気の高速飛行……。
「申しわけありません、お苦しいですよね。ある程度は距離がとれたので、少し速度を落としましょう」
「いえ、そうじゃ……なくて。あのふたりに、まかせて、危険だし」
急に呼吸を再開したせいというか、呼吸を止めていたせいで息切れがひどいし、なんなら脳にもちゃんと酸素が回ってない気がする。
わたしはなにを話しているのか。
「ええ、危険です。一刻も早く、本営に参りましょう」
「じゃなくて……ええと、つまり、戻りたいです」
ママ扱いはされたくない。されたくないけど、でも! ママのいうことなら聞くかもしれないじゃん、あの推定魔王幼児。実際、ある程度はこっちの話を受け入れてたし。
ママ呼びと抱っこに関しては、まぁ……たぶん別問題だ。
「あなたの願いであれば、どんなことでも叶えたい。ですが、それだけは聞き入れることはできません」
否定のしかたが、無駄になめらかじゃん。さすが東国男!
なんて考えてるあいだにも、わたしたちはびゅんびゅん進んでいく。今日はかなり移動して魔力も使っただろうに、まったく衰える気配がない。このひとも、規格外のひとりか……。
ていうか、これだけ距離が空いたらもう自力で戻るのは難しいっていうか、道迷いからの遭難待ったナシ! いや待て、この手を引き剥がして、大きくしたナクンバ様に乗せてもらえばよくない?
と、思いついたそのとき。
「逃がさない」
不意に、耳元で声がした。
えっ、と思う間もなく足元が――もともと空気しかなかったわけだが、その足元がグラグラしたような感覚に包まれる。
なんていうか……地震っぽい。すごく遠くで強い地震が発生したときみたいな、曖昧な揺れ。
飛んでるのに地震っぽいとか! 理不尽!
ぐいっと速度が上がった。
痛い痛い痛い、もはや空気が暴力! さっきはあれでも多少のガードがあったんだなと理解するレベル!
思わず、反射的に手を握る――でも、速度が落ちることはなかった。ただ、ファランス様の後ろに回されて、風から庇われただけ。
いやこれ、ファランス様も相当痛くない? たぶん、ノーガードで速度に全振りしてるんでしょ?
「おいで、この胸をめがけて」
すっごく渋い声なんですが……すっごく渋い声なんですが、これ、もしかして。
「さあ、ママ」
声と語彙のギャップ酷い!
ファランス様が息を飲み、背中が硬直する。
急制動をかけられて、ちょっとした吐き気が込み上げたが、我慢した。まさかファランス様の背中に吐くわけにもいかないだろ……頑張れわたし。聖女としての尊厳をキープせよ!
「ママ」
おそるおそる、わたしはファランス様の後ろから前方を窺った。
……いる。
すっかり美青年に育った、もとは推定魔王幼児だったっぽい存在が、こう……どす黒いオーラを纏って、宙に浮かんでいた。
わたしに気づくと、うっとりと蕩けるような笑みを浮かべる。
あの……いや……美形はもう間に合ってますが? 質も量も。間に合い過ぎですが?
「ママ、抱っこしてあげるよ」
……ブレてない!




