540 もしかして。……穿いてない?
さあ、と広げた腕はたくましく、はだけた胸は色気満点である。
あの赤ん坊が……幼児が……こんなに育っちゃってもう。
子どもが可愛らしい時間は、あっという間に過ぎるものだというけれど。それにしても、爆速過ぎません?
あと、総レースみたいな服着てんなと思ってよく見たら、だいたい髪だったときの衝撃を伝えたい。
もしかして、あの下はまだオムツなのでは? いやさすがにサイズが無理過ぎて弾け飛ぶだろ……としたら、もしかして。
……穿いてない?
とたん、前世日本で見た芸人の「安心してください、穿いてます」というギャグが思い浮かんでしまい……笑っていいのかよくないのか、自分でもわからない状況に陥ってしまった!
「ママ」
……このギャップよ。
色気むんむん美青年が両手を広げ、よくて魔法の伸びを見せたオムツ一丁、悪けりゃ穿いてない状態で吐く台詞が「ママ」であって良いわけがない。
誰が許しても、わたしが許さん!
「却下で」
我ながら謎のリアクションだとは思うが、それしか口にできなかったのである。
却下一択だろ、こんなの!
「ママ……」
「可愛かったらギリギリ許せたけど、そんなに育って『ママ』はないです。無理です。もうほんと、無理。却下で。あと、わたしと親しいひとたちを傷つけてたら、それも許せないです」
淡々と申し述べたところ、魔王っぽい美青年は傷ついたような表情になった。
いやごめん、まずなにか着てきてくれないかな……話はそれからだ。
「それなら、教えてほしい。あなたの名前を」
「聖女様」
警戒するように、ファランス様がわたしの手を握りしめた。
うんうん、わかってる。この世界の古い魔法体系のひとつに、名前の魔法っていうのがあるんだよね……ジェレンス先生に分厚い本を読まされたおかげで、ちゃんと知ってるよ!
もちろん、古い魔法の多くがそうであるように、大暗黒期に詳細は失われてしまったけど。
「ひとに名前を訊く前に、まず自分が名告るものじゃないの? そんなことも知らないの」
この推定魔王も知らないかもしれない――でも、知ってると考えて立ち回らなきゃ。頭の中でリートが睨む……いや用心してるんだから睨まれることなくない?
「名前……わからない。名づけてくれる?」
上目遣いでいわれたが、残念! わたしは必殺上目遣いには慣れているのである……ファビウス先輩、ありがとうございます。変なところで役に立ってます。
「それも駄目」
失われているといっても、名前の魔法の大まかな枠組みくらいはわかる。
まず、名前を本人の本質と見做して魔法をかけることができる――これが、大前提。
つまり、名告るのは自身を明け渡すことを意味し、たいへん危険。
では名づけてしまえば支配する側になれるんじゃないかと思うでしょ? なれるかなれないかでいえば、なれる。ただし、名告りと名づけは似て非なるもの。
名告りは、支配と被支配の関係性が築かれるだけ。ひたすら一方的。
名づけなら、まず両者に魔法的な繋がりが生じてしまう。雑に例えると、血縁関係。たとえば親子みたいなイメージかな? それはかなり強固な結びつきなんだけど、支配と被支配の関係は、魔力や意志の力の多寡で容易に逆転してしまうのだ。
かんたんにいえば、うっかり名付けたら支配される側になりかねないってこと。だって、相手が魔王だよ……まぁ、抵抗できる気がしないよね!
わたしの魔力量、べつに飛び抜けて多いわけじゃないし。
魔力量が化け物クラスの魔法使いなら、試してみる価値はあるのかもしれない。でも、リスキーだよなぁ。
だって考えてもみてよ。
たとえば、ジェレンス先生が魔王支配を試みて、無理でしたー! ってなった場合。ジェレンス先生が、魔王の配下になるわけよ。
戦力バランス大崩壊、待ったナシ! ……こっわ。
「ママは……僕を好きじゃないんだ」
そういわれるのも困る。
「何回もいってるけど、わたしはあなたのママじゃない。母親なら生まれた子どもを愛するものだというけれど、それだって絶対じゃない」
それが絶対なら、虐待案件なんて発生するはずないじゃん。
でも、前世では余裕で発生してたし、なんなら今回も実例を知ってるよ……下町の貧しい階層、子どもはただの働き手予備軍だもん。
予備軍を育てる余裕がなければ、見殺しにもする。むしろ、それが常識。
だから、子どもの側も急いで一軍昇格を目指すわけだが、まぁそれは別の話だ。
「他人のわたしに、なにを求めてるの? 好きじゃないっていうけど、あなたは好きになってもらう努力をしてる?」
問い詰めると、魔王の顔から表情が消えた。
あーもーほんと、乙女ゲームっぽい美形だらけの世界に転生したいですぅ、なんてほざいた自分に腹が立つわ。たとえ美形であっても、許せないことはある!
ママ呼びとかな!
「してないよね。それで、好きになってもらえないって……相手のせいにするの、おかしいでしょ。そんなの認めない。わたしに『ママ』を押しつけて、愛されたがって。あなた、ものすごく一方的よ? わたしはそんなの認めないから、却下っていってるの。人づきあいは、対等じゃなきゃ。誰かに好きになってもらいたいのだとしても、ぜんぜん知らない相手にいきなり全振りするのは変だよ」
「……ママは、僕を好きじゃないんだね」
「ママじゃないからね」
反射で返してしまったが、許してほしい。
もうほんと、ママ呼びはやめてくれ。わたしの乙女心が瀕死よ。
「ママじゃないなら……なに?」
おっと。いきなり変な方にブレたな……。
しかしだ。ママ呼びを回避したい場合、この質問は避けて通れないであろう。
「なに、っていわれても。ただの人間だけど」
「どう呼べばいいの? それだけでも教えてほしい」
名前はダメだ。論外、論外。
聖女……? でも聖女ってほぼ固有名詞じゃない? この時代の聖女、わたしひとりなわけだし?
「……名告るほどの者でもないから、気にしないで」
苦渋の選択である。
「気にするよ。だって、ママ……あなたは、僕の唯一だ」
……はい?
「あなただけ、いればいい。ほかは、なにもいらない」
「待った!」
なにその危険思想!
えっ待って、魔王ってこういうタイプなの? 溺愛監禁拘束ヤンデレなの?
ていうか、未来の展望が、女ひとり囲うことで終わっていいの?
眷属はなにを考えて魔王に従ってるの……いや、べつに従ってないのか。単に、魔王がいると魔力循環が捗るぜ、ヒャッハー! ってしてるだけなのか。
「もう、ずいぶん待った。長いあいだ、ずっと待っていたんだ」
心が絞られるような声だったけど、だからなによ。
相手が美青年なら、もう平気。幼児の殻を破るべきじゃなかったな、魔王よ!
「ほら一方的。わたしは待ってないけど? 待っていたとか、あなただけとか。急にそんなこといわれる気もち、わかる?」
必殺、話の方向性ズラシ!
こういうの、看板娘時代によくやったわ……個人的な話をしたがるお客さんって、いるのよね。あの粘着質な客とかさぁ。相手がお客さんだから強く出るのも最終手段って感じだったし、円満回避のために、話術の限りを尽くしたものだ。
「僕の気もちだって、あなたはわかろうとしていないじゃないか」
「それは誤解。わたしは、理解に努めてるつもりだよ。初対面でいきなり覚えのないママ扱いをされて、妙に追いかけ回されて、それでもちゃんと話をしてるって時点で、相互対話の意志があると思ってほしい」
「だけど……否定されてばっかりで」
そりゃ否定せざるを得ないことばっか主張するからじゃん!
……と思ったが、馬鹿正直にそのまま口にするのはヤバそうだ。自重、自重。
「それは悪いと思うけど、わたしだって、産んだ覚えのない相手にママなんて呼ばれつづけて、平気なはずないでしょ」
「……じゃあ、僕を産んだことにしてくれる?」
なにが「じゃあ」なんだよ!
「あなたもわたしも、落ち着く必要があると思う。まず、いくつか確認させて」
「僕は、ママを抱っこしたいだけなんだ」
自分の願望を押し付けんなって、いうとろーが!
ダメだこいつ、あんまり話が通じないぞ。
しかたない。まず、いちばん気になってることを訊こう。
「さっきの場所にいた、ふたり。無事なんでしょうね?」
「知らない」
「……ちゃんと答えて」
「僕以外の男のことを考えないで。ママ……」
病んでる病んでる! 病んでる!
ひぃ〜、予約し忘れてました!
最近あれこれ不甲斐なく、申しわけありません。




