537 ンマァー、よくお育ちで!
「……待って!」
後ずさりつつ、わたしは重大な事実に気がついた。
大声におどろいたのか、赤ちゃんも止まった……時間の猶予ができるの、助かる……。
「どうかなさいましたか」
「なさったけど、わたしじゃなくて……赤ちゃんが!」
「はい?」
「成長してると思わない?」
そうなのだ。
はじめに見たときは、生まれたてのシワシワっぽかったのに、あきらかにぷくぷく可愛い赤ちゃんに進化している! だって、はいはいしてるんだよ……? 月齢いくつだよ!
「……たしかに」
認めると、ナヴァト忍者は素早かった。
わたしの腰に手を回すと、
「失礼します。緊急退避をおこないます」
宣言が終わるか終わらないかのうちに、わたしはナヴァト忍者に抱えられて後方へジャンプ移動していた。
に……人間って、こんなに跳べるんだね? しかも他人を抱えたまま?
えっ、現実の認識がバグる……。このひと生属性じゃないよね? 身体強化魔法とか使ってないよね? そういうアイテムあるん? 周りにアイテム不要の生属性強者がいるから、あんまり考えたことなかったけど……。
「……前進速度が上がりましたね」
はいはい世界大会に出られそうな勢いで、推定魔王の赤子が突進してくる……速いよ!
「なんでこっち来るの」
「俺の勝手な考えですが――」
「なにか考えがあるなら教えて!」
「――保護してもらいたいのではないですか?」
はい?
えっなんなの、保護されたい系魔王って概念自体、ちょっと斬新過ぎるんだけど……。
いやまぁ、でも……そうか。そうかー!
赤ん坊の姿であらわれたのも、保護されたいからって考えると納得いくな!
「えっと……でも保護は無理だよね」
「無論です」
もう、ただの赤ちゃんじゃないのは確実だしな……。
相変わらず、ワールド・レコードを出せそうな勢いではいはいしていた赤ちゃんが、不意に止まった。
「あっ!」
思わず声が出たけど、当然だろう。
だって、立ったんだもん!
これは「クララが立った」以上の衝撃である……もともと立てないはずがなかった少女が立つのと、立てるはずねぇだろっていう生まれたての赤ちゃんが立つのとでは、話が違う。
ていうか……もうこれ見かけが乳児を突破してない?
幼児じゃない?
おむつ一丁の幼児は口を開き、腹の底から出したような大声で叫んだ。
「ママァ!」
誰?
わたし?
この場に女性はわたししかいないが、ワンチャン、ナヴァト忍者を呼んでいる……可能性も……。
「ママァ!」
ママじゃないよ!
産んだ覚えないですよ! やめてよ! 誤解されたらどうすんのよ……。
幼児はよちよち歩きをはじめた。さすがに、ワールド・レコードを出せるような雰囲気はない。はいはいの方が、速かった。
……そういえば弟の方のリートも、歩きはじめはそうだった……などと感慨に耽っている場合ではなく!
「あんまり現場を離れるのも、まずくない? あとで検証作業とか、望まれてそうな気がするし」
ファビウス先輩とかファビウス先輩とかが好きなやつだ。数値記録したり計算したりするやつ、絶対やりたがるに違いないと思うね! 次回に活かせるような研究に発展してほしいと思う。
「なるほど。出現した場所がわからなくならないように、ですね」
「そう。たぶん、このへんのキラキラした植物は、じきに消えちゃうと思うんだよね。このまま出現地点から遠ざかったら、戻ってくる頃には今と景色が変わってそうだし……すでに、あの子をはじめに見かけた場所が曖昧なんだけど……」
「おそらく、あの斜面のあたりかと……光る苔が生えている」
「ああ、そうかも」
「ママァー!」
「ママじゃないっていってるでしょ!」
「ママァー!」
カオス!
「わかりました、円を描くように移動しましょう。相手の速度も落ちてきましたから、凌げると思います」
「……このまま大人になる可能性もあるけど」
「それでも、俺より速く走るのは難しいと思いますので」
さすが忍者!
「わたしを抱えても?」
「はい。そうなったら口を開かないようにお願いします」
……舌を噛むってやつだな! わかった!
「そうならないことを祈るわ……」
「ママァーッ!」
ママじゃないよぅ……。
ていうか、よちよち歩きが徐々に安定してきてるよぅ!
ナヴァト忍者も、もちろんそこに気がついたらしい。キリッと宣言。
「動きます」
ぶはぁ! 人間って横にもこんなにジャンプできるんだね? 人体の不思議! Gがヤバい、Gが! 思いがけない方向からの思いがけない圧で、顔が変形しそうよ! てか、たぶんしてる!
「ママァー、ママァーッ!」
推定魔王の幼児も、ぐりっと向きを変えて歩いてくる……いやこれ走ってない?
もう走れるようになっちゃったの?
ンマァー、よくお育ちで!
「ママァー!」
「ママじゃない!」
叫び返したのは、そろそろ言葉が通じる年齢になったのではと思いついたからだ。
「ママだよ!」
ほら、返事が……ママだよ? 通じてなくない?
いやでも会話ではある……たぶん、言葉は通じるはず。
「ママじゃないけど、気をつけて! まだ歩けるようになったばかりなんだから、そんなに走ると危ないよ。転んじゃったら、お膝が痛い痛いだよ。ほら、立ち止まって!」
弟の方のリートを思いだしつつ、牽制してみる……と、なんということでしょう!
推定魔王の足が止まった!
ああ、言葉が通じるって偉大だ! 最高!
「ママァ……」
……ここは通じてないな。
いちばん通じてほしい部分だがな!
「それについては、真面目にお話をしなければなりませんね。でも、ちゃんと立ち止まれて良い子!」
褒めると、推定魔王の幼児は得意そうな顔をした。
……これさぁ、このままどんどん育っちゃうのかな? あっという間に老人になってご臨終……とかなったら、ものすごく複雑な心境になると思うんだけど!
わたしの考えが伝わったのか、なんなのか。
「おおきくなるのも、止める?」
成長、止められるの?
「そうだね、あんまり急ぐのはよくないと思うよ」
急いだからとて、老衰で終了してくれるはずはない……さっさと大人になった挙句、急にガチ切れされても困るのだ。
大いに不本意ではあるけど、ママ扱いを受けている方が、ずっと平和である。
「わかった。じゃあ、ちょっと止める」
「……ちょっと?」
思わず訊き返してしまったよ。なんでちょっとなのよ。
「早くおっきくなって、ママを抱っこしたい」
「なんて?」
思わず訊き返すターン、アゲイン! いやだって! だって、なにこれ?
「おっきくなって、ママを抱っこしたい」
「いや聞こえてるけど……ママに抱っこされるんじゃなくて、抱っこしたいの? あと、わたしはママじゃないからね?」
「ママ、抱っこしてくれるの?」
「ママじゃないし、抱っこはしないよ!」
ほらね、といわんばかりに推定魔王は顔をしかめる。
「抱っこしてくれないから、おっきくなって、抱っこする」
どういう理屈だよー!




