05-19 比留間結衣は五月の空を泳ぐ。
比留間結衣は五月の空を泳ぐ。
そこに余分な感傷や葛藤は存在しない。
学校のこともゲームのことも、その他の煩わしい日常な些末事を気にかける必要もなく。
自分の手足を動かし、風を切って空中を移動していく。
それだけのごく単純な行為が……比留間にとっては、ただひたすらに、気持ちがよい。
自分に与えられたこのスキル『エアリアルダイブ』は「あたり」だ、と比留間は思う。
それは、役に立つからでもゲームを有利に進められるからでもなく、ただひたすら、「このスキルを使用すると心地よい」からにすぎなかった。
比留間結衣とは、その程度の単純なことに、心の底から満足できる少女だった。
このスキルが使用可能になって以来、比留間は時間がありさえすれば、空中を泳いで過ごしていた。
学校の制服を着用する際にも、いつでも泳げるようにスカートの下にスパッツを着けることが習慣となってしまっている。
百メートルも真上に泳いでいけば、たいていの建物は見下ろせる高度となる。
そこまで上空にあがると、風も強いのだが……その分、人目を気にすることなく、存分に泳ぐことができた。
地上の雑事をすべて忘却して、自分の五体のみを使って、ただひたすらに泳ぎ続ける。
ただそれだけの行為が、ここまで心地よい行為になるとは、比留間にしてみても予想していなかったのだが。
比留間にしてみれば、リライターという存在によって押しつけられたゲームに関しては、思い入れというものがなかった。
誰が勝っても負けても興味がない、というか……。
もちろん、自分自身でさいごまで勝ち残っていく、という意欲にも欠けている。
ただ、ゲームが終わってしまえば、自動的にこのスキル『エアリアルダイブ』を使用することもできなくなるわけで。
そのことだけが、惜しいといえば惜しい。
惜しい、けど……ただ、空中を泳ぐだけのスキルでは、他のクラスメイトたちと互角以上に戦い抜くことは難しいだろうな、と、比留間は思う。
他のクラスメイトたちに与えられた、非現実的なスキルの数々。
それに加え、クラスメイトの中には、ゲームに関して妙に意欲的な者たちが、少なからず存在していた。
彼ら、彼女らの意欲と能力に競争して、自分が勝ち抜いていける……と思えるほどに、比留間は楽観的な性格をしていない。
このスキルが使用不能になるまでは、せいぜいこのスキルを楽しませて貰おう。
というのが、比留間のスタンスであった。
たとえば、たまたま上空を通りかかったときに、芦辺素直たちが渡来春樹を襲っている場面にいきあって、気まぐれを起こして声をかけたこともあったわけだが……。
そのときも、特に比留間に信念とかがあって誰かに干渉しようというわけでもなく、「これはどういう事態なのか」という好奇心を満たすために芦辺に声をかけただけに過ぎない。
仲裁しようとか、その場に居たどちらかに荷担しようといった気持ちは、当時も今も、比留間はまるで持ちあわせていなかった。
芦辺が比較的冷静な受け答えが可能な性格である、という事実を比留間が知っていたことも、大きかったわけだが。
たとえばそのときに諍いを起こしていたのがどことなく粗暴な印象がある田所位置などであったら、比留間は関わり合いになることを避け、声をかけることなどはなかっただろう。
結局のところ、この比留間にとっては自分の都合と感情がすべてであり、それ以外の事物に対する関心がひどく薄い。
この年頃の少女にとっては、ごくありきたりなことではあったが……。
比留間結衣は、自分を中心としたせいぜい半径二メートル以内の範囲が世界のほぼすべてであり、それ以外のことについては、「知ったことではない」のだった。
学校のことも、ゲームのことも、あるいは、自分自身の将来に対しても……まだ、比留間は真剣に考えたことがない。
比留間にとっては、現在感じられることがすべてなのである。
そして最近の比留間は、自分の五体を使用して空を泳ぐことに、極端な関心を寄せている。
そう遠くはない将来、比留間も他のプレイヤーであるクラスメイトたちよって、強引にゲームの世界に引き込まれる公算は極めて高いということは、比留間自身も理解してはいたのだが……そのときはでは、せいぜいこの自由を満喫していよう。
と、比留間はそう思っていた。
その日、そんな比留間がやけに意気消沈した様子で下校していく顔見知りの生徒に声をかけたのも、特になんらかの意図があったためではない。
ただ単に比留間が気まぐれを起こしたから、に過ぎなかった。
上空から見おろした場所に、たまたま通りかかった、見知ったクラスメイト。
丸っこい体型をして、いつもおどおどした態度の、木ノ下紬だった。
「木ノ下さん!」
比留間は、上空から声をかけてみた。
木ノ下は、忙しない挙動で首を左右に振って、声の主を捜している。
「違う、違う」
そう声をかけながら、比留間は木ノ下の頭上から、木ノ下の前方の地面に降りたった。
今では、こうして急降下をして意図した場所に降りたつことも、特に苦にすることもなくできるようになっていた。
突如、上空から降りたった比留間の姿を目の当たりにして、木ノ下はたいそう驚いた様子だった。
露骨に、動揺した表情をしせている。
「や」
比留間は、無邪気な調子で、軽く声をかけた。
「木ノ下さん、今、帰り?」
「え。
え、え……ええ」
木ノ下は、こくこくと頷く。
「あれ?
驚かせちゃったかな?」
妙におどおどした様子の木ノ下の挙動をみて、比留間はそんなことをいう。
「これ、わたしのスキルなんだよね。
空を泳ぐの」
木ノ下が落ち着かないのは、自分がいきなり姿を現して驚かせたせいだ……と、比留間は解釈して、そんな説明を続けた。
「木ノ下さんのは、どんなスキルだったけ?」
ゲームの勝敗について関心が薄い比留間は、必然的に他人が持っているスキルについても詳しく知ろうとしなかった。
「お……驚くと、爆発する……」
自分のスキルが、ときとして周囲に甚大な被害を与えるという事実に自覚的な木ノ下は、消え入りそうな声で答えた。
「ああ! あれか!」
木ノ下の気持ちに頓着する様子もなく、比留間は大きな声を出す。
その声に反応して、木ノ下はビクリと方を震わせたのだが、比留間はそのことに気づきさえしなかった。
「そういば今朝も、昇降口で大きな爆発を起こしたんだってねえ!」
比留間にしてみれば、
「ただ空中を泳ぐだけ」
の自分のスキルに比べ、大きな威力と影響力を持つ木ノ下のスキルに対して素直に関心をしているだけなのだが……。
根が小心な木ノ下は、なんだか自分のスキルについて責められているような気になって、その場で泣きだしたくなる衝動に駆られた。
「いやあ。
凄いよねえ、木ノ下さんのスキル!」
木ノ下の気持ちに気づかず、比留間は追い打ちをかけている。
「威力、凄いもん!」
「め……迷惑な、スキルだから」
おどおどとした口調で、木ノ下は答える。
「あまり、自分自身では、コントロールできないし……」
「そうかなあ?」
比留間は基本、自分の関心の外にある事物には大きな思い入れを持たないので、ごくごく軽い口調でそんなことをいう。
「それでも、凄いスキルだと思うけど。
自慢していいと思うよ、うん」
比留間と木ノ下が、そんな噛み合わない会話をしている最中に。
二人は、「内膳英知がスキル『見取り稽古』を獲得した」というアナウンスを受信した。




