04-15 昼休みの情景。
同時刻、視聴覚室での出来事である。
「あちゃ」
紙パックのジュースに刺していたストローから口を離し、睦月庵は舌打ちをした。
「どうしたん?」
一緒に昼食を食べていた比留間結衣が、睦月に確認をしてくる。
「いや、田所と矢尻くんが、食堂前の廊下でやりあったんだけどね……」
睦月は早口に説明をはじめた。
友人である比留間と加賀の二人には、睦月のスキル『フェイブセンス』の詳細について、それに、その『ファイブセンス』を使って、睦月が気になる人物の動向を探っていることも、知らせている。
そのスキル『ファイブセンス』を使用すれば、拡張された聴覚や視覚を通じて、多少離れた場所の出来事でも手に取るように把握できるのだ。
「……いやー。
あきれるくらいの泥仕合。
もはやスキルなんて関係ないじゃん、って感じのただの喧嘩に成り果ててた」
「それで、やはり田所くんが勝ったんですか?」
加賀が、おっとりとした口調で訊ねた。
「いや、それがねえ」
睦月は、視線をさまよわせながら、そんなことをいう。
「なんと、矢尻くんが田所をノックアウト。
いろいろな偶然が重なった結果だけどさ。
田所が気を失ったところで、たまたま通りかかった新堂くんが興奮している矢尻くんを取り押さえてた」
「……あれえ?」
「まあ」
睦月の説明を聞いて、比留間と加賀はそれぞれに感嘆の声を漏らす。
「普通に考えれば、逆の結果になると思うけど……」
「矢尻くんのスキルは、確か『バリヤー』とかいいましたっけ?」
「……あー。
田所の『ジャック・ザ・リッパー』では、相性が悪すぎるか……」
「でも、いつものアナウンス来てないね?
あの、スキルを譲渡しました、とかいう」
「……うーん。
田所が気を失ったから、じゃないかなあ」
睦月は、推測を口にした。
「徹底的にやられてゲームから脱退するしかない重傷になるか、それとも、スキルを持つ人が自分で放棄しない限り、勝手にスキルが別の人の物になるってことはないみたい」
「……なるほど、ねえ」
比留間は、なにかを考え込む表情になる。
「今までの例だと、瀬川と留河が自分の意志で譲渡。
今朝の眞鍋が強制リタイア……になるのか」
「今回の田所くんの場合は、たまたま気を失っただけでゲーム自体は続行可能だと判断された、ということなのでしょうか?」
加賀は、そういって首を傾げる。
「おそらくは、ね」
頷きながら、睦月はそういった。
「そこで新堂が通りかからず、矢尻くんが追い打ちをかけて田所にとどめを刺せば、スキルも移動したと思う」
「面倒くさい……というより、わたしら参加者に明かされていないルールが多すぎるよ」
比留間は、そうぼやいた。
「明かされていない、というよりは、あまり親切すぎることはない、といったほうが適切でしょうか?」
加賀は、推測した内容を述べた。
「スキルの説明にしても、ステータス画面の中には、最低限の内容しか表示されていませんし……」
「それは……他人のステータス画面を読むことができる、依衣ちゃんのスキルみたいなのがあるから、その対策も兼ねていると思うけど。
それに、ステータス画面に書かれていない詳細も、スキルの所持者になれば自然とわかるようにはなっているし……」
「スキルについてはともかく……」
睦月は、そう結論する。
「……最初に明示されていないルールの詳細、どこまでがセーフでどこからがアウトなのかを自力で探ることも、おそらくはゲームのうち……という考えなんじゃないかなあ」
ゲームマスターである、リライターの思惑としては。
同じく、視聴覚室の片隅で、なんの因果か蘭世明、津川問の二人と一緒に弁当を広げていた黒森永遠は、しばらく目を見開いて身を強ばらせた。
「どうかしましたか?」
黒森の異変を察知した津川が、柔らかい口調で声をかける。
「あの……」
黒森は、おどおどした態度で説明をはじめた。
「……今、『ジャック・ザ・リッパー』の田所と、それに矢尻っていう人が、食堂前の廊下で激突して……」
「……例の、ゲーム関係?」
蘭世が、確認してくる。
「ええ。はい」
黒森は、こくこくと頷いた。
「でも、田所ではなく矢尻っていう人が勝ちました。
今、その矢尻っていう人は、新堂くんに取り押さえられて、落ち着けとかいわれています」
そこまで説明を続けても、蘭世と津川の反応は芳しくない。
お世辞というか、社交辞令的に「へー」みたいな相づちを返してくれるものの、黒森の目には本気で関心がないように見受けられた。
いや、黒森の贔屓目ではなく、この二人はお互いのことしか関心がないようだった。
通常の恋愛とは若干、意味合いが違うようだが、津川は蘭世のことしか頭にないようだし、蘭世は津川が何事かやらかしやしないかという警戒心ばかり抱いている。
どちらにしろ、両者とも、ゲームのことまで気が回っていない状態だった。
そんな二人に、どうした加減か、黒森は昨夜から世話になっている。
今広げている弁当も、
「二人分でも三人分でも、作る手間はあまり変わらないから」
とかいいながら、津川が作ってくれたものだった。
蘭世が関わらない場面では、津川問という少女はかなり親切な性格をしているらしい。
それはともく、スキル『フェアリーテイル』の妖精越しとはいえ、間近に見た喧嘩沙汰は黒森に少なからず衝撃を与えている。
これまで、生々しい暴力を間近に見たことがない黒森にとって、自分が知っている人間が直に殴り合っている場面をみたのはもちろんこれが初体験である。
大柄で上背のある田所と体重だけはたっぷりとある矢尻とのどつきあいは、それなりに迫力があった。
今朝の眞鍋と叶のやり取りも歴とした流血沙汰であるのだが、大量の出血はあるものの、あっさりと勝敗が決まってしまったところもあって、どこか現実感を欠いた印象があった。
しかし、今回の件は、どうしようもない生々しさが伴う。
二人の感情の揺れや罵声などを、克明に感じたからだろうか。
黒森は、
「……ゲームを進めていくということは、ああいうことなんだ……」
という感慨を抱いた。
今さら、ではあるのだが。
ああした肉体的な苦痛、それに感情の爆発を経験することを覚悟している生徒は、さて、このクラスの中にどれくらいいるのだろうか?
肉うどんをきれいにたいらげて食器を返却し、食堂を出たところで、新堂零時は田所一と矢尻知道がもみ合っている場面に遭遇した。
たまたま通りかかった生徒たちが、二人の姿を遠巻きにして囲んでいる。
先生を呼びにいった者もいるようだったが、この諍いは通常の喧嘩沙汰とは違い、例のゲームの一環として扱われるだろう。
教員たちの働きには期待できないのではないか、と、新堂は思った。
そしてまた、新堂自身もこの諍いに介入するつもりはなかった。
新堂は、こうしたゲームを押しつけてきたリライターのやり口に対して憤りに近い感情を持っていたが、だからといって他のプレイヤーにあたるクラスメイトたちの動きを牽制しようとは思っていない。
「やりやいやつがやればいい」
という、一種の諦観、あるいは放置が、新堂の他のクラスメイトたちへの基本的なスタンスだった。
この田所と矢尻についても、本人が自分の意志で行っている以上、新堂は介入するつもりはなかった。
ずいぶんと長く感じたが、勝負はいがいと短い時間でついた。
田所が矢尻の腕を背中へねじりあげ、矢尻が無茶苦茶に暴れる。
そのとき、矢尻の振り回した足がたまたま田所の股間に直撃し、その場にうずくまった田所の側頭部に矢尻の膝頭があたった。
田所の体から力が抜けて、ぐったりとその場に寝そべった。
それでも興奮が醒めない様子の矢尻は、なにか聞き取れない罵声をあげながら田所の体を踏みつけにしようとする。
そのときになって、新堂ははじめて矢尻の背中に抱きつき、矢尻の両肩に腕を回して、矢尻の動きを止めようとした。
そのときは新堂自身も興奮状態にあったから、なにをいってのか記憶が定かではないのだが、
「もう勝負はついた」
とか、
「やめろ」
とか、そんなことを繰り返し叫んでいた気がする。
田所が意識を失っている以上、このまま矢尻を放置しておいたら、取り返しがつかないことになる……と、新堂は直感していた。
仮に、リライターがいう通り、「ゲームが終わればすべて元に戻る」としても、それはあくまで物質的な面だけの……の、はずだ。
致命傷、ないしは、重傷を負わせるようなことがあったら、加害者、被害者の双方に精神的な傷が残る。
深く考えたわけではないが、新堂は直感的にそう判断し、気がついたら矢尻に背後から抱きつき、懸命に制止していた。
しばらくして、いや、実際にはごく短い時間でしかなかったのだろう。
矢尻は動きを止めた。
荒い息もつきながらもなにもいわず、背後から羽交い締めにしていた新堂の腕を軽く叩く。
「保健室に行こう」
新堂は腕を解き、矢尻から離れ、そしていった。
「田所を運ぶのを、手伝ってくれ。
こいつ、デカいから、おれひとりで運ぶ自信がない」
矢尻は、無言のまま頷く。
「……なんだ!
なにがあった!」
そのときになって、渡来治樹が人混みをかきわけて現れた。
「矢尻くんが、田所を倒したところだよ」
投げやりに、新堂が教えてやる。
「田所を保健室に運ぶの、お前も手伝うか?」
渡来は、
「あ。
おれ、まだメシ食いかけだった!」
といって、すぐにまた人混みに紛れて姿を消した。




