04-14 田所一 VS 矢尻知道
保健室を出て学食にむかった矢尻知道は、不機嫌そうな顔をしている田所一をみかけた。
このとき、田所の機嫌が悪かったのは、路地遙に戦いを挑んでは振られ、有坂誠に同じように挑んだら軽くあしらわれたあとだったからである。
これまで、田所は自分のスキル『ジャック・ザ・リッパー』について、それなりに自身を持っていた。
三峰刹那のスキル『エアタンク』には及ばないものの高い攻撃力を持つ、それなりに優秀なスキルだという自負があり、それが立て続けに否定された形であった。
この田所は、大柄な体を持ち、普段からの言動が荒いのでよく誤解されるのであるが、決して素行そのものが悪いわけではない。
いわゆる、「不良」ではないのだ。そうであったとしたら、この倉石市立中央にも入学を許されるわけがない。
むしろ、周囲の誰かが看過できない悪行をしようとしていたら、率先して止めるような性格をしている。
特に正義感が強いから、というわけではなく、「そういうのを見ていると、ムカつく」という感性と生理を持っているためだが。
この田所は、いわゆる不良ではないものの、短気であり、粗暴な側面は確かにあった。
その田所が、今は、心中で「ムカつくムカつくムカつく……」と再現なく繰り返している。
自分のスキルが、というよりは、自分のスキルを十全に生かし切れていない自分自身の体たらくが、田所の不機嫌の原因だった。
そうした不機嫌そうな田所の姿を認め、矢尻はこう思った。
「最初の相手には、ちょうどいいか」
と。
矢尻知道のスキル『バリヤー』は、あらゆる攻撃を無効化するスキルである。
田所の『ジャック・ザ・リッパー』が相手なら、互角以上に戦える。
と、矢尻はそう判断する。
田所は昨夜、三峰からスキル『ファイブ・センス』も譲渡されているのだが、そちらのスキルはおそらく戦闘には直接役立たないものだと矢尻は予想していた。
自分のものになってからいくらも立っていないし、田所もまだスキル『ファイブ・センス』を使いこなせていないだろう。
そんなことを考えるのと同時に、
「本当に、そうなのだろうか?」
という疑問も浮かんだが。
田所は、体が大きいだけではなく、運動神経もいい。
普段の挙動や体育の時間の動きを見ていれば、その程度のことは判断できた。
少なくとも、矢尻自身よりはよっぽど体が動くはずだ。
スキルでは対抗できても、それ以外の部分では不利なのではないか?
様々な可能性を、矢尻は脳内で模索する。
しかし、結局は、「どんな攻撃でも無効化できる」スキル『バリヤー』を、信頼することにした。
スキル『バリヤー』の性能以外に、田所の大柄な体格や粗暴の性格が決め手になった。
ここであの田所を倒すことができれば……これまで矢尻を虐め、見下した連中へ復讐を行うことも十分に可能なはずだ。
矢尻は実際にそんな復讐を行うつもりはなかったが、心理的な意味で、この場でそれが可能であるということを自分自身に証明し、自分の過去を乗り越えることが必要であると感じている。
それも、かなり切実に。
矢尻にとっては、ゲームの先行きよりも自分自身の救済の方が大事だった。
これからの人生を、一生負け犬のまま終えたくはない。
そのためには、こんな自分でも十分に戦えるのだということを、矢尻は自分自身に証明したかった。
いや。
証明する、必要があった。
「……あ……あの」
意を決して、矢尻は田所に声をかける。
「……あん?」
田所は、振り返って矢尻の顔を見た。
「ああ。
同じクラスの、ええっと……」
田所は、矢尻の顔は見知っていても、名前がとっさに思い出せなかった。
普段親しくしているわけでもないクラスメイトなら、その程度のものだろう。
「それで、なんのようだ?」
そういう田所の声は、意外にも優しい。
もともと田所は、誰彼構わず喧嘩を売る性格でもない。
「ゲ……ゲームのことで……」
おどおどとした口調で、矢尻は言葉を紡いだ。
いきなり背後から襲いかかるのも気が引けるから声をかけてみたのはいいのだが、こうした場合、どういうことをいえばいいのかよくわからなかった。
そもそも矢尻は、これまで一方的にいじられ、虐められたことはあっても、対等の立場で喧嘩をした経験がない。
「ゲームがどうした?」
田所は真顔になり、矢尻の方にむき直った。
「おれの『ジャック・ザ・リッパー』のレベルは、今、五十を超えている。
この前試してみたら、コンクリートの塊もすっぱりと両断できたぞ。
まだ試したことはないが、生身の人間だって、おそらくはすっぱりと斬れる。
悪いことはいわない。
誰かとやり合いたいんなら、まずはもっと弱いやつからはじめるんだな」
てっきり喜び勇んで戦いに身を投じる……と、想像していた田所は、矢尻に対して懇々と諭しはじめた。
……あ。
この田所という少年は、普段の言動がアレなんで誤解されやすいが……意外と、まともでいい人だ。
と、矢尻は思う。
それはそれで、矢尻の心理的にはやりにくくなったわけだが、それ以上に重要な事実がもう一つ、明瞭になった。
この田所は、初日にクラス全員に配られたプリントを、目にしていない。
いや、ざっと目を通していたのかも知れなかったが、少なくとも、内容をろくに記憶してはいない。
もし記憶していたのなら、矢尻のスキル名が『バリヤー』だと知っていたのなら、こんな態度は取らないはずなのだ。
「で、でも……」
ほぼ一瞬でそんな思考をしてから、矢尻は口を開く。
「……ぼくのスキルは、田所くんの『ジャック・ザ・リッパー』には、負けない。
絶対に、負けることがない」
「勝てる」、とはいわない。いえない。
しかし、「負けない」ということは断言ができる。
スキルの性質とは、そういうものだ。
少なくとも矢尻の認識の中では、紛れもない事実だった。
「……あぁん?」
田所の顔が、醜く歪んだ。
「お前がどんなスキルを持っているのか知らねーが……。
お前!
おれの『ジャック・ザ・リッパー』をディスりてえのか!」
先ほどから田所を不機嫌にしている原因が、見事な逆鱗となっていた。
田所が大声を出したことで、廊下に居合わせていた生徒たちがざっと退いて、二人から距離を取る。
「……そ、そういうことじゃあなく……」
矢尻は、遠巻きにされた生徒たちから好機の視線を受けて、困ったような顔をして周囲を見渡した。
「と、とにかく、ゲームのために……」
気弱な態度と言葉遣いで、矢尻は続ける。
「いいだろう!
上等じゃねーか!」
叫んで、田所は右手を振りかぶった。
実のところ田所は、そこまで激昂してはいない。
この場で、少し痛めつけてやれば矢尻が諦めるだろうと……ある意味では、たかをくくっていた。
しかし、田所は、スキル『ジャック・ザ・リッパー』を発動した状態で振りあげた腕を振り下ろし……そこでようやく、自分の思い違いに気づいて愕然とした。
矢尻の肩口を薄く切り裂くはずだったスキル『ジャック・ザ・リッパー』の見えない刃は、やはり見えない障壁のようなものにぶち当たって、あっさりと弾かれたのだ。
「ぼ……ぼくのスキルは、『バリヤー』」
きちんと説明しておかないと、あとで後味が悪いかな。
と、そう判断した矢尻は、淡々と説明をする。
「あらゆる攻撃を、跳ね返すスキル」
そういったあと、矢尻は田所の方へと突進した。
本人的には、「弾かれたような動作で」というつもりであったが、客観的にみるなら、姿勢を低くした状態で、ドタドタと足音荒く田所の方にむかっていった。
これまで、喧嘩などしたことがない矢尻は、人の殴り方や蹴り方など、知らない。
なまじ知らない方法に頼るのなら……自分の体重を利用して体当たりをする方がまだしもマシに思えた。
いや、そんな方法しか、矢尻は思いつかなかった。
「お……おい」
うろたえながらも、田所は矢尻の体を難なく避ける。
別に田所でなくても、簡単に避けることができるほど、矢尻の突進は迫力がなかった。
「……今の、本当か?
攻撃を弾くスキル、っていうのは……」
またもや、スキル『ジャック・ザ・リッパー』が通用しない相手が現れた……という事実に、田所は動揺し、愕然としていた。
「信じられないのなら、試してみればいい!」
上擦った声で、矢尻は答える。
誰かに害意を持って襲いかかる……という経験を生涯ではじめて行った矢尻は、自分でも不思議に思うほどに興奮していた。
田所は、見えない刃で矢尻の腕に斬りつける。
続いて、肩に。
頭部に。
そのすべてが、弾かれた。
少しも、矢尻を傷つけることができなかった。
田所がそんなことをしている間に、矢尻は距離を詰めている。
体当たりは失敗したので……今度は、しがみつくつもりだった。
足を掬って床に倒せば、矢尻でもなんとかできるかも知れない。
マウントポジションとまではいわないが、自分の体重を生かして上からのしかかれば、いくら田所でも身動きが取れなくなるはずだった。
どうにか、矢尻は田所の下半身に抱きついた。
そのまま、両腕で田所の大腿部を抱えて高く掲げようとする。
「……この!」
田所は、流石に怒りを含んだ声でそういい、矢尻の側頭部を殴ろうとした。
しかし、その田所の拳も、矢尻の頭部に届く前に、見えない壁に遮られる。
しばらくもがいた末、田所の体が廊下の床に転がった。
少し遅れて、矢尻がその田所の体の上に覆い被さる。
「喧嘩か?」
「誰か先生を……」
「いや、例の一年D組の……」
遠巻きにして見守っていた生徒たちが、どうやらこれがパントマイムやパフォーマンスなどではなく、本気のぶつかり合いであることを二人の言動から察し、ようやく騒ぎはじめた。
「あの子、今朝、校庭にできた坂道で戦っていたし……」
「ど、どうすりゃいいんだよ、これ」
「とにかく、迂闊に近寄るな!
巻き添えを食らうぞ!」
「……ぐっ!」
田所が、そんな声をあげる。
矢尻の巨体が、田所の腹の上で弾んでいた。
「……うわぁぁぁぁっ!」
とか叫びながら、矢尻は田所の顔を叩きはじめた。
ぺしぺしという、なんとも締まらない、間の抜けた打撃音が周囲に響く。
ビンタだ。
人の殴り方を知らず、性格的に人を傷つけることを良しとしない矢尻は、平手で、両手を使って、田所の顔を左右から殴りつけはじめた。
「お、おい……」
田所は、自由になっていた矢尻の手首を捕らえて、その稚拙な攻撃を止めさせようとした。
何度か矢尻の手首を握ることができたが、その都度に興奮している矢尻は遮二無二腕を振り回し、難なく戒めを解いてしまう。
何度も、何十度も左右から頬を叩かれているうちにどこかが切れたのか、田所の口と鼻から出血をしはじめた。
それに、田所の頭も、次第にぼうっと霞がかかってくる。
一発一発の威力は失笑するほど低い攻撃だったが、こう何度も連続していると、それなりにダメージが蓄積してくるようだった。
……まいったなあ。
と、矢尻に叩かれながら、田所は思う。
こんな相手に、こんな泥仕合の結果で……おれは、負けるのか。
おれのゲームは、終わっちまうのか……。
そこまで考えて、田所は、ようやく自分が負けられない理由を思い出した。
「……うぉぉぉぉぉっ!」
と雄叫びをあげ、田所は背筋を弓なりに反らす。
ブリッジをするような姿勢で、腹の上に乗っていた矢尻を、弾き飛ばした。
「そのスキル、『バリヤー』とかいったな!」
素早く立ちあがり、田所は矢尻にむかっていう。
「正直にいおう。
あんたも、あんたのスキルのことも……おれは、舐めていた。
だが、これからは、違う。
これからは、全力でいかせて貰うぜ!」
荒い息をつきながら、一気にそういって……田所は、素早く矢尻に近づいて、その腕を取った。
「打撃が駄目なら……」
矢尻の腕を取った田所は、その腕を引いて体勢を崩してから、矢尻の軸足を払った。
柔道は中学のとき、授業で習った程度だったが、もともと要領がよい田所はその感覚を体でおぼえていた。
矢尻はあっさりと足を払われ、廊下に転がった。
しかし、すぐに跳ね起きようとする。
「投げ技も、駄目か」
投げることは可能でも、それによって与えられるはずのダメージも、スキル『バリヤー』は遮断してしまうらしい。
「なら……関節!」
田所は、再度、起きあがった矢尻の腕を取り、今度はそれを背後に回してねじり上げた。
「……あああ」
と、矢尻は苦痛の声をあげる。
しかし、次の瞬間、田所の悶絶してその場にしゃがみ込んでいた。
苦痛にまぎれて無茶苦茶に動かしていた矢尻の足が、田所の股間に直撃したのだ。
田所の束縛から解放された矢尻は、田所にむき直って、膝頭で田所の頭部を蹴りあげた。
意識して狙ったわけではないのだが、矢尻の膝頭は田所のこめかみにクリーンヒットする。
ただでさえ、股間の苦痛でなにも考えることができなくなっていた田所の意識が、すぅっと遠ざかる。
「……うわぁぁぁぁっ!」
叫びながら、矢尻は、脱力してその場に崩れ落ちた田所の体をさらに痛めつけようとしていた。
「お前が!
お前らが!
ぼくを虐めるから!」
矢尻は、興奮により錯乱していた。
実際には、田所一は、矢尻を虐めていた連中の一員ではない。
しかし、矢尻の中では、今戦っている相手は、過去に自分を酷い目にあわせた全員なのであった。
「もういい! やめろ!」
そんな矢尻の背中に、誰かがしがみついて来て、矢尻を羽交い締めにした。
「もう、この勝負はついたから!
君の勝ちだ! 矢尻くん!」
その声によって、ようやくと矢尻は我に返る。
荒い息をつきながら、周囲を見渡して……。
そして、矢尻は、ようやく現状を把握する。
その場に膝を折って崩れ落ち、なぜか……矢尻は、大声をあげて泣きはじめた。




