03-02 歪んだ関係。蘭世明、スキル『ブースト』と、津川問、スキル『ムードオルガン』。
制服姿の津川問はその朝も蘭世明の寝顔を見ながら彼が目ざめるの待っていた。
彼らの複雑な過去と関係を手短に説明するのは難しく、ここでは、「普段からお互いの家を気軽に行き来している関係である」と明示するのにとどめておく。いずれ機会があれば彼らについても詳細に説明することがあると思うが、それは今この時点ではない。
もう十年以上のつき合いになる彼らは、一日の大半の時間を一緒に過ごしている。
古くから彼らのことを知っている人たちは彼らがつき合っているものと思いこんでいるし、それに一方の当事者である津川問の方もそのように認識していた。
年頃の男女が四六時中べったりとくっついて行動をともにしていればそう判断されていてもしかたがないところではある。
が、当事者のもう一方である蘭世明にいわせれば、
「このままいくと共異存だよ」
ということになり、なんとか穏やかな形で津川問と距離を取りたいと願っていた。
その蘭世の願いは津川によって、やんわりと、しかし、強固に否定され続けているのが現在の状況である。
「このまま行くと、お互い、他に友達ができないと思うんだよね」
「別にそれでもいいじゃん」
「よくないよ。
そういうの、歪んでいると思うし」
津川の作った朝食を食べながら、蘭世は軽く顔をしかめる。
メニューは豆腐とワカメの味噌汁とハムエッグにサラダ。それに、わざわざ土鍋で炊いたご飯。
二年前に母親が病死した蘭世は父子家庭であり、父親は朝早くに出て夜遅くに帰宅する仕事中毒者だった。
幼少時から家族ぐるみでつき合いのあった津川は、明の父親が息子である明にあまり関心を持っていないことを幸いとして朝から晩まで一日のかなりの時間をこの蘭世家に入り浸っている。
そのことを知っていた中学時代の同級生たちは、そうした蘭世の環境を指して公然と「ラブコメ」とか「エロゲ」とか呼んでいた。
しかし、あまり表面化することがない津川の奥底に補そんでいる歪みに早い時期から気づいていた蘭世は、そのことを素直に喜ぶことができなかった。
「それに、問がおれに拘っているのは、子どもの頃におれの家に助けられたからだと思う。より正確にいうと、おれの母親に助けられたから。
おれの家族に、もっと端的にいってしまえば、おれの母親の娘になりたいからおれに近づいているわけで……なんというか、そういうのは恋愛感情とは少し違うんじゃないかな」
「わたしは、明さんのことは大好きですよ」
にこやかに笑いながら、津川は断言した。
「他の男の子なんか目に入らないくらいに」
「だからそれが、視野が狭くなっているせいだっていうんだよ」
もう何度も繰り返してきたやりとりだった。
声を大きくしようとして、蘭世は自分が実はそうする気がないことに気づく。
「あ。
問、お前、例のスキルってやつを使っているんだろう?」
「ええ、昨日からずっと」
津川はにこやかに肯定する。
「明さんがおだやかな気分でいられるように」
【
スキル名:
ムードオルガン Lv.48
◇特殊系
『周囲の者の気分を操作する。
威力と効果範囲はレベルに依存』
】
「……ムードオルガン、っていったっけ? お前のスキル」
蘭世は不気味なものを見る目つきで津川の顔をまじまじと見る。
「それって、どの程度影響があんの?」
「それは、これから実験して確かめてみないとわかりません」
津川は相変わらずにこやかな表情でいいきった。
「とりあえず、このスキルは明くんを傷つけようとするやつらを一掃するために使おうかと思っていますが……」
「一掃するな」
蘭世は即座にいった。
「せめて、危なそうなやつらを温和しくさせるとか、遠ざける程度にしておいてくれ」
本当に津川のスキルでそのようなことが可能なのかどうか。
そこまでは、蘭世にはわからなかった。
ただ、この津川が本気でなにかをやり出したら、おそらく誰にも止めれないのではないか、という諦観混じりの予感があった。
だから、口先だけであっても牽制しておくことにする。
蘭世は、一見して温厚な津川の過激な側面をこれまでの例から熟知しており、また、警戒もしていた。
津川は、自分が目的とするところを守ろうとする場合、あっさりととても過激な手段に訴えることがある。
つまり津川は、蘭世明自身の身の安全と、それに津川と蘭世の関係を損なう可能性があるものすべてについて排除するため、躊躇なく過剰な攻撃を行う性質があった。
たとえば、こんな実例がある。
中学を卒業間近に控えたある日、なんの間違いか蘭世を呼び出しえおし来た後輩の女生徒がいた。
いわゆる告白というやつだったが、電話でその呼び出しを受けたとき、蘭世がまっさきに考えたのは、
「このことを問に知られてはならない!」
ということだった。
蘭世の電話番号を調べたその後輩の行動力もなかなかのものだったが、津川の行動力は、蘭世が危惧しいてたとおり、その後輩を上回っていた。
津川はその後輩女子が蘭世に電話をかけたその日の夜、その女生徒を自宅から拉致して蘭世の自宅へと運び込んだ。
蘭世は、パジャマ姿のまま簀巻きになり猿ぐつわまでかまされたその女生徒が涙目になって自分を見あげてきたあのときの視線を一生忘れることができないだろう。
どこかの工事現場から調達してきたとおとぼしきトラロープでぐるぐる巻きにされて拘束されたその不幸な少女は、ここまで拉致してきた津川を見るのと同じような目で蘭世を見あげていた。
自分の理解を越えた怪物を見るような目つき、だった。
「ねえ、明くん」
そのときの津川は、いつものようににこやかな表情でそういい放った。
「この巫山戯た子、ここでなぶり殺しにしてもいいかな?」
「いいわけないだろ」
そのときの蘭世は、ひきつった顔で津川に命じた。
「今、ここに居るだけでもお前の目的は十分に果たせたと思う。
この子は、もう自分からおれたちには近づいてこないよ」
簀巻きになった少女は、ぶんぶんと勢いよく蘭世の言葉に頷いた。
誰だって、こんな狂人その仲間と好んでお近づきになりたいとは思わない。
「問。
一刻も早く、この子を無事にもとの家に送り返してくれ」
「あら、そう?」
ため息をつきながらであるが、津川は意外にもあっさりと頷いた。
「もっと楽しいことになるかと思ったのに」
蘭世はその後輩にあえて口止めはしなかった。
このときに津川が行った行為は明らかに犯罪であり、まだ未成年であるといってもしかるべき筋に被害届を出せばそれなりの処分がくだされるはずであったが、その後しばらく待ってもなんの音沙汰もなかった。
場合によっては、津川が当局によって捕らえられ、しかるべき治療行為を受けた方がよかったのかも知れない、と、蘭世自身は思っていたが。
当然、その少女から蘭世や津川に接触してくることもなかった。
これが、今からほんの二ヶ月ほど前の出来事であった。
今となっては、蘭世は、
「津川問とは、そういう存在である」
と、半ば諦めている。
その津川の性質と周囲の世間とにどうやって折り合いをつけ、波風を立てないで過ごしていくかということに腐心しながら、蘭世は生活をしていた。
津川問は、歪んでいる。
病んでいる、といってもいい。
そして、その病根は深い。
精神科かなにか、とにかくその手の医者にかかれば確実になんらかの病名がつくはずだと蘭世は確信していた。
そうなった原因についてもある程度は予想がついている。
しかし、蘭世がそういったまともな対処法を津川に勧めなかったのは、津川は蘭世がかかわること以外に関してはかなり正常な判断力を持った常識人として振る舞っているということ、それに、その病んでいる部分を除けば、蘭世はこの津川問という人間をなんだかんだいって嫌いになれず、それどころか部分的には信用しさえしているからだった。
こうした津川の病のこと知っているのは、津川問自身とそれに蘭世明の二人しかない。
ひょととしたら、津川の父親は問についてのなんらかの異変を感じ取っているのかも知れないが、あの男は明の父親が明に感心を持っていない以上に、問のことを気にかけていなかった。
仮に問の病巣に気づいていたとしても、なんの対処もしないつもりだろう。
そんな、明らかに病んでいる津川問は、表面的には健康で優等生な美少女であった。
地元では名門ということになっている倉石に入学を果たすほどには成績優秀であり、中学のときの部活では陸上の県大会でそこそこいい成績を残している。
容姿についていうのならば……具体的なことをいうのなら、二、三年前から定期的に告ってくる男が後を絶たない程度には、整っている。
幼い頃から兄弟同然に育ってきている蘭世には、いまいちピンと来ない部分ではあるのだが。
前述の通り、彼らを知るほとんどの人たちから、津川問と蘭世明がつき合っていると思われているわけだが、それでも定期的に告白してくる者が居るというのは、まあ、客観的に見て津川が魅力的な少女であるということなんだろう。
そうしていいよってきた男たちが津川にどのように遇されたのかは、ここではあえて述べない。
それに、家事に関しても、蘭世の母親の仕込みで一通りのことができた。
というか、今も現在進行形でお世話になっている。炊事から下着のまで含めて、一切合切。
何度か、
「蘭世家の家事をやって貰うわけには」
的なことはいっているのだが、津川は断固として「自分がやる」といっていうことを聞かなかった。
「……お袋がもう少し長生きしてくれたら、もう少しはマシになっていたのかも知れないな」
と思わないではないものの、今の時点では、蘭世はこの瀬川問という少女を持て余している。
母親に限らず、周囲に信頼して相談できる大人がいないことが、この蘭世明と津川問の不幸であった。
「ま。
そういうことはさておき」
そういって、蘭世明は自分のステータスをチェックした。
【
スキル名:
ブースト Lv.1
◇特殊系
『ユーザーの能力を一時的に上昇。
持続時間はレベルに依存』
】
特殊系、と表示されてはいるものの、実際には単独で使用してもあまり意味がないスキルだった。
事実上、支援しかできないスキルなのだから。
つまりは、他のスキルユーザーと組むか、それとも他のもっと直接的な攻撃力を持つスキルを奪取したうえで、はじめて意味を持つ。
現在、蘭世の懸念事項は大きく分けて二つあった。
ひとつは、今までと変わらず、津川を暴走させないこと。
もうひとつは、今回のゲームを大過なくやり過ごすこと。
そのどちらも、かなり難易度が高いんじゃないのか……と、蘭世は思いはじめている。
まず津川は、蘭世が津川以外の誰かと組むことは快く思わないだろう。
相手が男子生徒でも駄目だ。
独占欲が強い津川は、相手が男子であっても蘭世が他の誰かと必要以上に親密になることを好まない。
独占欲が強い……というよりは、蘭世の人間関係をできるだけ排除して、津川だけに感心がむくようにしたいという願望を津川は持っている。
不用意に誰かに近づけば、津川がその誰かを標的にしかねない。
そして、蘭世自身のスキルは単独では意味がない。
いや、津川のスキル『ムードオルガン』と合わせても、意味がない。
このゲームに関していえば、確実に詰んでいるんじゃないのか、おれ……と、蘭世は思った。




