06-26 乱入者、ふたり。
睦月庵ははぁはぁとあらい息をついていた。
睦月は、ひ弱というわけではないがとりたててて体を動かすのが好きというわけでもなく、体力や身体能力でいえば同年輩女子の平均か、それを少し下回るくらいだろう。
感情の赴くままに沼沢を足蹴にしていれば、息も切れるというものだった。
幸いなことに、ここには睦月とそれから凍えて縮こまっている男子二名しかいない。
現状で、すぐに睦月の身に危険が及ぶわけではないのだが……。
少し、気を取り直して……。
睦月は深呼吸をして、息を整えた。
そして、意識を集中して──スキル『ファイブセンス』を発動する。
五感を鋭敏にするスキル『ファイブセンス』は、その発動にあたって意識の集中を必要とする。
なにも意識しないでいたら通常の感覚、その感覚をより鋭敏にしたいと思いながら意識を集中すれば、その分だけ微細な違いまで近くできるようになる。
今回の場合は、睦月は嗅覚に意識を集中させていた。
もちろん、この場に近づいて来る一年D組の生徒が居ないのか、確認するためだ。
すぐに、睦月の嗅覚は一年D組の生徒の体臭をかぎ分ける。
意外と近くに、居た。
二階から階段を降りて、この廊下にまで移動してくるところだった。
この場から逃げようとしても、鉢合わせになるだけだったので、睦月はその生徒の到着を待つことにする。
その生徒がなんのためにこんな時間に、こんな場所まで移動してくるのかは見当がつかなかったが……その生徒が、攻撃系のスキルを持っていないことはわかっている。
そのため、睦月は安心してその生徒の到着を待つことができた。
「……なんだって、こんな時間まで残っているんだか……」
その生徒が目前に姿を現したとき、睦月はそう呟いた。
その生徒は、たしか部活には所蔵していないはずだった。
彼には、授業が終わったあとも、学校に居残るべき理由がない。
「ここ数日、野暮用があってね」
新堂零時は短く答える。
「結構遅くまで残っていたんだ。
それよりも、さ。
さっきのアナウンスを参考にすると、今のそこの二人はもうスキルを持たないんじゃないか?
睦月さんにしても、これ以上この場に残っている理由はないと思うけど……」
「ついさっきまではなかったんだけどね」
睦月は、芝居がかった挙動でおおげさに肩をすくめてみせた。
「今は、こうして新堂くんが来ちゃったからね。
他に人は居ないわけだし、ついでに新堂くんのスキルも貰っちゃおうかな、って」
そういいながら、睦月はスキル『アイスエイジ』を新堂にむかけて発動した。
スキル『アイスエイジ』は、その名の通り、物体を冷却するスキルである。
ただし、その対象は、「スキルの所持者が知覚できる範囲内のもの」に限定される。
この新堂は、確か、現在『ナイトシールド』と『トラップメイカー』の二種類のスキルを持っているはずだった。
どちらも、積極的に入手しようとまでは思わないが、こうして機会があるのならば奪取しておいても損はない。
そう考え、睦月は新堂から距離を取ったまま、スキル『アイスエイジ』を発動している。
「……うぉっ!」
途端に、新堂は大きな声をあげる。
「これ……体温を直接奪われているような……。
これは……そこの二人が、そうなわけだよ……」
「声が震えているよ、新堂くん」
睦月はそう指摘した。
「早めに降参して、スキル譲渡画面を出してくれた方が、お互いのためだと思うけど……」
「冷やされている」というより、やはり、「体温を奪われている」という方がしっくり来る状態だよな……と、新堂は自分の現状を冷静に分析した。
これが、『アイスエイジ』の力か。
「……その前に確認しておきたいことがあるんだけど……」
早いとこなんとかしないと、本格的に体を壊すな……と思いつつ、新堂は睦月にある指摘をする。
「睦月さんの方こそ、おれになんて構っていないで早めにこの場から移動した方がいいよ。
もうすぐ、何人かの好戦的な人たちがこっちにむかって来ると思うから」
「……好戦的」
睦月は、首を傾げた。
そして、『ファイブセンス』に意識を集中させて、こちらにむかって来る者がいないかどうかを確認する。
「そんな人……」
いないじゃない……と、続けようとして、途中で止める。
居た。
というか、一旦は下校したのに、なぜか戻ってきている。
なんで……。
「なんで、おれが来たのか。
そして、沼沢が来たのか。
このことについて、疑問には思わなかった?」
新堂はいった。
先ほど、スキル譲渡のアナウンスを聞いている新堂は、実際に目撃したわけではないが、この場に沼沢が居たという事実を知っていた。
「おれたちはね、フリーメールの妖精さんに呼ばれたんだよ。
その妖精さんは、おそらくは興味を持ちそうなやつらに片っ端からメールで報せているはずだ」
「誰よ、その妖精さんってのは!」
睦月は、大声を出す。
「知らない」
新堂は、簡潔に答えた。
「睦月がこれ以上に強力になることを好まない誰か──ということ以外はね。
おれなんかに構っているよりも、さっさとこの場から立ち去った方が得策なんじゃないかなあ?」
「……それで命乞いをしているつもり?」
睦月は、目を細める。
「スキル『アイスエイジ』を全力で使えば、あんたなんか……」
「いや、それは困る」
新堂はそういって、胸を張った。
「これ以上、体温を奪われたら、風邪を引いてしまうじゃないか。
……ということで、抵抗させて貰うな」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに……睦月の体は硬直する。
……え?
睦月は、自分自身の変調が信じられなかった。
体が、動かない。
それこそ、指一本、瞼ひとつ……まるで、動かない。
……なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? ……。
睦月の脳裏には、疑問符が乱れ飛んでいた。
「だから、ここ数日野暮用で遅くまで学校に残っているっていったのに……」
新堂は、のんびりとした口調でそういう。
「……おれはこのゲームには全然乗り気ではないけど、自衛の方策については手を抜くつもりではないんだ。
スキル『トラップメイカー』。
このスキルで作り出す罠はね、一定の条件が揃うと自動的に発動するものと、あらかじめ仕掛けておけばあとはスキル所持者の意志ひとつで任意の時間に発動できるものとがあるんだ。
それに種類もね、お馴染みの大小の爆発をさせるもの、体を麻痺させるもの、電気ショックを与えるもの、焼くもの……など、結構バラエティーに富んでいるし、レベルがあがるほど多種多様な罠が作れるようになっている。
おれはね、睦月さん。
この『トラップメイカー』を手に入れて以来、学校中に罠を仕掛けて回っていたんだ。
あ。
女子のトイレと更衣室以外にね。
それ、睦月さん……そろそろ、『アイスエイジ』を止めてくれないかな?」
……そうしないと、おれとしてはあまりやりたくないんだけど、自衛のためにやむを得ず、睦月さんに致命傷を与えなくちゃならなくなるんだけど……。
と、新堂零時は続ける。
睦月は、即座に『アイスエイジ』の使用を中断した。
それとほぼ同時に、体の自由を取り戻す。
睦月は深々と息を吐き出してから、
「……絡め手では、まだまだだなぁ……」
とぼやいた。
「おれと睦月さんは休戦、ということでいいのかな?」
そんな睦月に、新堂は声をかける。
「それと、そこの二人についても、これ以上痛めつける理由はないよね?」
「……わかったよ、もう!」
睦月は、叫んだ。
この校舎内に居る限り、新堂はいつでも睦月を攻撃できる状態にある。
あるいは、スキル『マックススピード』の力を使えば新堂に反撃することも可能かもしれなかったが……。
この場でそれを試すのには、リスクがあまりにも大きすぎた。
先ほどの『アイスエイジ』のときと同じく、「どちらが先に相手にとどめを刺せるのか?」という早さの勝負になるわけであり……それよりなにより、失敗したらすべてを失って挽回の手段がなくなるのだ。
今ここで、そんな勝負をしなければならない理由というのが、睦月にはなかった。
なにより、この新堂は、睦月を打倒することを目的としていない。
だったら、この場は取りあえず相手の手を緩めるだけでよしとしておく方が得策だと、睦月は判断した。
「……それで、新堂の用事は終わったのかな?」
新堂の背後から現れた少年が、睦月に声をかけてくる。
「だったら、睦月には今度は、ぼくを相手にして貰いたいんだけど……。
いやあ、おせっかいな妖精さんが、ここに来れば面白い体験ができるってメールで教えてくれてねえ……」
叶治郎が、そこに立っていた。




