閑話〈悪行が生み出すもの〉 (挿絵あり)
挿絵ありです
「極度の過労と栄養失調です」
慎重に診察を終えた医師が、重い口を開いた。
部屋には数人の使用人が集まり、息を詰めてその言葉を待っている。
「……一体、どのような生活を送れば、ここまで衰弱するのでしょうか」
医師は言葉を選ぶように視線を伏せた。
悪名高いレーベル家の屋敷であることを、よく理解しているのだろう。
「しばらくは絶対安静です。薬を処方しておきますので、決して飲み忘れないようにしてください」
「……ありがとうございました」
厳しい表情のまま医師は部屋を後にした。
残されたのは、重苦しい沈黙だけだった。
「……どうして、こんな酷いことができるの。この子が一体何をしたっていうのよ!」
沈黙を破ったのは、同期のマリだった。
親友の変わり果てた姿を前に、怒りを抑え切れないのだ。
それは私も同じだった。
けれど、ここで感情に任せるわけにはいかない。
もし誰かに聞かれでもしたら、それだけで私たちは終わりだ。
「マリ、落ち着いて。レーベル家の人に聞かれたら大変よ」
「分かってる……分かってるけど……! こんなの酷すぎるわ! この子、つい先月まで『アンジェリカ様の専属になれた』って嬉しそうに話してたのよ……!」
マリの瞳に涙が浮かぶ。
私は何も言えず、ただそっと肩を抱き寄せた。
私たち三人は、同じ孤児院で育った幼なじみだった。
レーベル家に奉公してからも支え合い、苦しい日々を共に乗り越えてきた。
だからこそ、目の前の現実が信じられなかった。
寝台に横たわるサラは、頬が痩せこけ、艶のあった髪も傷んでいる。
本来なら整った顔立ちのはずなのに、その面影は見る影もない。
診察の前に着替えを手伝ったが、メイド服の下の身体はさらに痛々しかった。
細く痩せた腕は、力を入れれば折れてしまいそうなほど弱々しい。
思い出すだけで胸が締め付けられる。
「このこと、旦那様は何て?」
「メイド長の話では……特に何も仰らなかったそうよ」
「はぁ!? 自分の娘がこんなことをしておいて、何とも思わないの!?」
「それどころか、また新しい専属を付けるつもりらしいわ」
「……悪魔ね」
悪魔。その一言が、レーベル家のすべてを表していた。
これまでにも、多くの使用人が屋敷を去っていった。
いや、正しくは去らざるを得なかった。
過酷な労働に、雀の涙ほどの賃金。
逆らえない立場を利用され、馬車馬のように働かされ続ける。
誰もが不満を抱いていた。
それでも声を上げられない。
逆らえば、自分だけでは済まない。
家族を盾に脅され、人生そのものを奪われる。
そんな人を、私は何人も見てきた。
「メイド長が新しい専属を探しているみたいだけど、誰も名乗り出ないらしいわ」
「当然よ。誰が好き好んで、あんな悪魔の子に仕えるものですか」
給金が多少増えたところで、命を差し出す理由にはならない。
けれど──私は違った。
「実は私、その役に立候補しようと思うの」
「はぁ!? あんた正気なの?」
「正気よ。でも、ただ仕えるつもりはないわ」
「……どういうこと?」
「アンジェリカを監視するの」
私は懐から、一振りの白刃を取り出した。
それを見たマリの顔色が変わる。
「……私は反対よ。もし見つかったら、あんたが……」
「その時はサラを連れて、三人で逃げましょう」
逃げ切れる保証はない。
孤児の私たちには帰る場所もない。
それでも、人気の少ない裏庭からなら、少しは時間を稼げるはずだ。
このまま屋敷に残っていても、待っているのは同じ結末なのだから。
「彼らにとって私たちは替えの利く道具よ。路傍の石一つ一つまで、気にかけることなんてしないでしょう」
マリはしばらく黙り込んだあと、小さく息を吐いた。
「……分かった。そこまで覚悟を決めてるなら、私も協力する」
彼女は力強く頷く。
「幸い、私たちは同じ部屋だもの。何かあればすぐ動けるわ」
私は白刃を懐へ戻し、親友に微笑んだ。
「ありがとう、マリ」
「でも、無茶だけはしないで。目的を果たす前に、あんたまで倒れたら意味がないんだから」
「分かってる」
私は静かに拳を握り締める。
「必ず……アンジェリカに、自分の罪を後悔させてみせる」
「頼んだわよ、レイミ」




