私は怒ったわ! (挿絵あり)
挿絵あります
「不味い!」
桃色で統一された乙女らしい部屋に、少女の甲高い怒声が響いた。
「申し訳ありません!」
「謝罪なんていいから、さっさと淹れ直しなさい!」
「は、はい!ただいま!」
サラは割れたティーカップの破片を手際よく拾い集め、零れた紅茶を素早く拭き取っていく。
本日、二つ目のカップだった。
一流の召使いと呼ぶに相応しい働きぶりだったが、それでも主人の機嫌は一向に良くならない。
「ああ、ムカつく! 本当にムカつく!」
アンジェリカは癇癪を爆発させる。
引き出しにしまってあった高価な宝石を投げつけ、お気に入りのぬいぐるみまで壁へ放り投げた。
まだ十歳の少女とはいえ、その荒れ狂う姿には貴族らしい気品の欠片もない。
「どうしたんだい、アンジェリカ!」
騒ぎを聞きつけ、部屋へ飛び込んできたのは若い夫婦だった。
父ウィリアムは短く整えた黒髪に、娘と同じ灰色の瞳を持つ端正な美丈夫。
母フレアは腰まで届く艶やかな金髪と、彫刻のように整った容姿を備えた絶世の美女だった。
アンジェリカは、二人の長所だけを受け継いだような美しい少女である。
「お父様、お母様!」
二人の姿を見つけるなり、アンジェリカは泣きついた。
もちろん、その原因は先ほど訪れた領地での出来事だ。
「ああ、私の可愛いアンジェリカ。そんなに取り乱して、何があったの?」
「聞いて、お母様! 領地の者たちったら酷いのよ! この私がわざわざ出向いてあげたのに、ろくに歓迎もしなかったの!」
「何ですって……?」
フレアの美しい顔に怒りが宿る。
その表情は、息を呑むほど冷たかった。
「私たちの宝物をそのように扱うとは……。レーベル家の庇護下にありながら、なんと無礼な者どもだ」
ウィリアムも静かな怒りを滲ませる。
「すぐに文官へ連絡しよう。厳しく処分しなければならない」
「徴税を強化するのはどうかしら? 誰のおかげで生きていられるのか、思い知らせてあげればいいわ」
「それは良い案だ」
名君として名高いウィリアムも。社交界の華と称されるフレアも。
愛娘のこととなれば、理性を失ってしまう。
「アンジェリカ、もう心配はいらない。後はお父様たちに任せなさい」
「そうよ。あなたは何も気にしなくていいの」
「うん! お父様もお母様も大好き!」
三人は穏やかに抱き合う。
その光景だけを見れば、誰もが理想の家族だと思うだろう。
娘の額へ優しく口づけると、ウィリアムとフレアは部屋を後にした。
扉が閉まった瞬間、アンジェリカの表情から愛らしい笑顔が消えた。
「きゃはははっ! これであの愚民どもも終わりよ!」
ベッドへ飛び込み、楽しそうに転がる。
平民は貴族に逆らえない。
逆らえば、一家揃って職も住む場所も失う。
それが、この国の絶対の掟だった。
「ざまぁみなさい。わたしの機嫌を損ねた罰よ」
胸のつかえが下りたような爽快感に浸りながら、アンジェリカは醜く笑う。
その歪んだ笑みは、とても十歳の少女とは思えなかった。
「……お嬢様」
静かな声が部屋に響く。
サラだった。
「何?」
「お嬢様は、この先もずっと……周りの人を虐げながら生きていくおつもりですか」
「……は?」
アンジェリカの眉がぴくりと動く。
サラの瞳には、いつもの怯えがない。
そこにあったのは、決意と――わずかな軽蔑だった。
「お前、誰の許しを得て口を利いているの? 黙って片付けをしなさい」
「お嬢様が人を虐げることを楽しんでおられるのは存じています。共感することはできません。ですが、それを否定するつもりもありません」
サラは震えながらも視線を逸らさない。
「ですが、このままでは……きっと後悔なさいます」
「……聞こえなかったのかしら。黙って片付けをしなさい」
冷たく言い放っても、サラは引かなかった。
そして、静かに告げる。
「今のお嬢様の暮らしは……領地で懸命に働く平民の方々によって支えられているのです」
「…………は?」
アンジェリカの声が低く沈む。
猫を被った笑顔でもない。玩具を痛めつける愉悦でもない。
心の底から煮えたぎる怒りだった。
「さっきから偉そうに! お前は誰に向かって口を利いてるのよッ!」
乾いた音が部屋に響く。
サラの身体が床へ叩きつけられた。
「玩具の分際で生意気なのよ!」
アンジェリカはサラの傷んだ髪を乱暴に掴み、無理やり顔を上げさせる。
「私の生活が愚民どものおかげですって? 笑わせるんじゃないわよッ!」
貴族である自分が。特別な存在である自分が。
平民によって支えられているなど。
しかも、それを教え諭したのが、自分の所有物でしかない平民。
その屈辱は、アンジェリカには耐え難いものだった。
「二度と私に偉そうな口を利くんじゃないわよッ!」
「…申し訳、ありませんでした……」
サラの髪から手を放し、アンジェリカは吐き捨てるように命じた。
「罰として、お前は三日間食事抜きよ!」
「……承知しました」




