私は人助けをしたわ!
馬車の扉が開くと、春の柔らかな風が頬を撫でた。
「足元にお気を付けください」
「ええ」
レイミに手を添えられながら、アンジェリカはゆっくりと馬車を降りる。
街道脇では、護衛騎士たちが周囲を警戒しながら、数人が壊れた馬車の様子を確認していた。
荷台から落ちた木箱や麻袋は道端へ寄せられているものの、車輪は軸から完全に外れており、その場で修理できる状態ではない。
「お父様」
「起きたか」
ウィリアムが娘へ視線を向ける。
「商人の馬車が故障しただけだ。襲撃ではないから安心しなさい」
「状況を見てもよろしいですか?」
「ああ」
アンジェリカは壊れた馬車へ歩み寄った。
そして、荷台に積まれた木箱の焼き印を見た瞬間、足を止める。
「……この紋章は」
木箱には、大樹を模した紋章が刻まれていた。
「《フォレスト商会》?」
思わず口にした名に、商人は驚いたように目を見開いた。
「ご存じなのですか、お嬢様?」
「ええ。最近、帝国各地へ販路を広げている商会でしょう?」
「その通りです!」
アンジェリカは、リヒトとの授業を思い出していた。
領地経営を学ぶ中で、主要な商会や物流網についても教わっていたのだ。
『領地を豊かにしたければ、人だけではなく、物の流れも理解しなければなりません』
そう言いながら、リヒトは帝国内の商会について丁寧に教えてくれた。
フォレスト商会はここ数年で急速に勢力を伸ばし、地方の特産品を帝都へ運ぶ物流によって大きく成長している新興商会である。
アンジェリカは商人へ向き直った。
「この荷物は急ぎなのかしら?」
商人は慌てて頷く。
「はい! 帝都の取引先へ納品する予定でして……。期限に遅れれば信用を失ってしまいます」
「つまり、荷物さえ届けば問題ないのね?」
「え?」
アンジェリカは周囲を見回す。
最後尾には、公爵家の荷馬車が停まっていた。
「レイミ」
「はい」
「荷馬車の空きはどれくらいあるかしら?」
「半分近く空いております」
「なら十分ね」
小さく頷くと、父へ向き直る。
「お父様。一時的に荷物だけでも我が家の荷馬車へ積み替え、最寄りの宿場町まで運んではいかがでしょう?」
一瞬、その場が静まり返る。
「宿場町なら鍛冶屋や車大工がおります。そこで馬車を修理していただき、荷物を返却すれば、この方も納期に間に合うはずです」
「た、確かに……!」
商人は思わず息を呑んだ。
アンジェリカはさらに続ける。
「荷物を街道に置いたまま待つより安全ですし、公爵家の護衛も同行しております。盗難の心配もありません」
「……なるほど」
ウィリアムは腕を組み、感心したように娘を見つめた。
確かに、公爵家の荷馬車にはまだ余裕がある。
宿場町まで運ぶだけなら、一行の日程にも大きな支障はない。
「この状況で、よくそこまで考えついたな」
「お任せください! この程度、朝のティータイム前です!」
父の言葉に、アンジェリカは得意げに胸を張る。
(……まあ、全部リヒト先生から教わったことなんだけどね!)
胸の内で、そっと付け加えた。
「よく学んでいるな」
「物流は領地の血液と同じだと教わりました。止めてしまうより、流し続ける方法を考えるべきだと」
「うむ。その教えを、きちんと自分のものにしているようだ」
そう言うと、ウィリアムは護衛隊長へ向き直った。
「アンジェリカの案を採用する。荷物を我が家の荷馬車へ積み替えよ。商人の同行も許可する」
「はっ!」
護衛騎士たちはすぐさま動き始めた。
商人は何度も何度も頭を下げる。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
アンジェリカは穏やかに微笑んだ。
「困ったときは、お互い様よ。それに――」
散乱していた木箱が次々と運ばれていく様子を眺めながら、静かに続ける。
「商いが止まれば、困るのはあなただけではないわ。商品を待つ人も、その先で働く人も困ってしまうもの」
「アンジェリカ様……!」
商人は感激した面持ちで彼女を見つめる。
アンジェリカは慈愛に満ちた微笑みを返しながら――。
(ふふっ。やっぱり私って天才じゃない?)
心の中では、こっそり鼻を高くしていた。
(しかも、この話が商人の伝手で帝都まで広まれば、私の株も上がるわ。レーベル公爵家の悪評を払拭するきっかけにもなるかもしれないし……まさに渡りに船ね! キャハハハ!)
そんな主人の心の声が聞こえたかのように、隣に立つレイミは薄く目を細め、小さくため息をつく。
(……やっぱり、お嬢様ですね)




