私は寝ぼけていただけよ!
護衛隊が商人の馬車まで十数メートルほどの距離に近づいたところで、隊長は馬を止めた。
「た、助けてください!」
商人らしき男がレーベル家の一行へ駆け寄り、帽子を脱いで何度も頭を下げる。
「車輪が壊れてしまったんです! 荷物を運んでいる途中で石を踏んでしまって……」
男の話を聞きながら、隊長は周囲へ鋭い視線を巡らせた。
街道脇の茂み、林の奥、岩陰――身を潜められそうな場所を一つひとつ確認していく。しかし、不審な気配はどこにも感じられない。
「……襲撃ではなさそうだな」
「ですが、念のため周囲を警戒します」
「ああ。二名は周辺を確認しろ。残りは警戒を続けるんだ」
「はっ!」
騎士たちは即座に散開し、街道周辺の安全確認を始めた。
一方、隊長は壊れた馬車へ歩み寄る。車輪は軸から大きく外れ、荷台には木箱や麻袋が散乱していた。
「これは自力では動かせんな」
「通行を妨げてしまい、申し訳ありません……。ですが、このままでは帝都へ納める荷が間に合わなくなってしまいます」
商人は青ざめた表情で肩を落とした。
隊長は腕を組み、しばらく考え込む。
「公爵閣下へ報告する。何か手を打ってくださるかもしれん」
「お願いします……!」
隊長は近くの騎士を呼び寄せた。
「公爵閣下へ状況を伝えろ。商人の馬車が故障し、街道を塞いでいる。今のところ襲撃の形跡はない、と」
「承知しました!」
騎士は馬首を返し、後方の主用馬車へ駆けていった。
◇
その頃、主用馬車の中では穏やかな時間が流れていた。
だが、馬車が停止したことで揺れが変わり、アンジェリカが小さく身じろぎする。
「ん……」
眠ったまま体を動かした彼女は、無意識のうちに隣へ寄り添った。
「お嬢様……?」
次の瞬間、アンジェリカはレイミの腕へ抱きつくように身を預け、その肩へ頬をすり寄せた。
「すぅ……」
静かな寝息だけが馬車の中に響く。
困ったように視線を向けるレイミに、ウィリアムは思わず口元を緩めた。
「アンジェリカが家族以外に抱きつく姿は初めて見た。君はずいぶん信頼されているようだな」
「……抱き枕か何かと勘違いなさっているのでしょう」
淡々と答えるレイミに、ウィリアムはくすりと笑う。
その時、馬車の扉が軽く叩かれた。
「公爵閣下。ご報告があります」
「入れ」
扉が開き、護衛騎士が一礼する。
「前方で商人の馬車が故障し、街道を塞いでおります。現在、隊長が状況を確認しておりますが、襲撃の形跡は見当たりません」
「そうか。念のため、私も確認しよう」
ウィリアムは静かに頷くと、馬車を降りていった。
その姿を見送ったレイミは、再びアンジェリカへ視線を向ける。
「お嬢様」
「……んぅ」
肩を優しく揺すると、アンジェリカは眉を寄せた。
「お嬢様、そろそろお目覚めください」
「いやぁ……あと少しだけ……」
「外で少々、問題が発生したようです」
その一言で、アンジェリカはぱちりと目を開いた。
「……ふえ?」
寝ぼけ眼のまま体を起こそうとし、自分がレイミにしっかり抱きついていることに気付く。
「…………」
数秒の沈黙。
そして――。
「こ、これは違うの!」
飛び起きるようにレイミから離れると、アンジェリカは真っ赤な顔で両手を頬に当てた。
「ね、寝ぼけていたのよ!」
「ええ、存じております」
レイミは表情を変えずに頷く。
「ですが、とても気持ちよさそうに眠っていらっしゃいました」
「忘れなさい!」
「それは難しいですね。一生の思い出として、大切に記憶しておきます」
「そんな思い出はいらないわよ!」
耳まで真っ赤にして抗議するアンジェリカ。一方のレイミは意に介することなく、乱れた髪を手際よく整えていく。
やがてアンジェリカも落ち着きを取り戻し、小さく咳払いをした。
「……それより、外で問題があったと言っていたわね?」
「はい。商人の馬車が故障し、街道を塞いでいるようです。現在は旦那様が状況を確認されています」
「そう」
「襲撃の可能性はないとの報告ですので、ご安心ください」
アンジェリカはほっと息を吐く。
「それなら、もう少し眠れそうね」
その一言に、レイミはじっと主人を見つめた。
「……お嬢様」
「な、なによ」
「今のお話を聞いて、最初に出てくる感想がそれなのですか」
「だって、危険がないなら急ぐ必要はないでしょう?」
悪びれる様子もなく答えるアンジェリカに、レイミは小さくため息をつく。
「旦那様も確認に向かわれました。次期当主として、お嬢様も状況を把握しておかれたほうがよろしいかと」
「うっ……そうね」
アンジェリカは名残惜しそうに毛布へ視線を落とし、それからちらりとレイミを見た。
「わかったわ。起きる」
「はい」
レイミは毛布を丁寧に畳み、最後にアンジェリカの乱れた髪を軽く整える。
アンジェリカはまだ少し頬を赤らめたまま、小さく深呼吸をすると、気持ちを切り替えるように、すっと背筋を伸ばした。




