私は夢見がいいわ!
馬車が出発してから、およそ二時間。レーベル領の中心街を抜けた一行は、街道をゆっくりと進んでいた。
窓の外には、どこまでも続く緑豊かな草原が広がる。
春風に揺れる麦畑。のどかに草を食む牛や羊。遠くでは農民たちが畑仕事に励み、子どもたちが元気よく野原を駆け回っていた。
その穏やかな光景を眺めながら、ウィリアムは静かに口を開く。
「今年も豊作になりそうだな」
「はい。冬の終わりに灌漑水路を整備した効果も出ているのでしょう」
向かいに座るレイミが答えた。
灌漑水路の整備、それはアンジェリカが領地改革の一環として提案し、実現させた事業の一つである。
これにより、以前よりも安定して畑へ水を引けるようになり、収穫量だけでなく、農民たちの暮らしにも少しずつ余裕が生まれていた。
「……本当に変わったものだ」
ウィリアムはそう呟くと、隣で眠るアンジェリカへ視線を移した。
毛布にくるまり、規則正しい寝息を立てる姿は、夜会を控えた公爵令嬢というより、年相応の少女そのものだった。
「アンジェリカには、随分と多くのものを背負わせてしまった」
「ですが、お嬢様は一度も弱音を吐かれませんでした」
「そうだな」
領地経営を学びたいと言い出したのも、使用人たちの待遇改善を訴えたのも、自らだった。
誰かに命じられたわけではない。
自分の意思で考え、自分の足で歩き続けてきた。
だからこそ、今のレーベル公爵家がある。
ウィリアムは穏やかに目を細めた。
「だからこそ、今回の旅くらいは心から楽しんでもらいたいものだ」
「帝都は、お嬢様にとって五年ぶりの土地ですからね」
「ああ。夜会だけで帰らせるつもりはない」
その言葉に、レイミが小首を傾げる。
「と、おっしゃいますと?」
「時間があれば帝都を案内するつもりだ。市場もあるし、王立図書館もある。名物料理も食べさせてやりたい」
「帝都見物、ですか」
「ああ。せっかく来るのだから、良い思い出を作ってほしい」
その言葉に、レイミは思わず微笑んだ。
「お嬢様がお聞きになったら、きっと大喜びされます」
「そのためにも、まずは夜会を無事に終えなくてはならないがな」
「そうですね」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
その時だった。
「ん……」
アンジェリカが小さく身じろぎした。
「起こしてしまいましたか」
「いや、まだ眠っている」
寝返りを打つと、再び穏やかな寝息を立て始める。緊張続きだった反動なのだろう。その寝顔は、どこか安心しきっているように見えた。
「いったい、どんな夢をご覧になっているのでしょう」
「さあな。悪い夢でなければ、それで十分だ」
ウィリアムが娘の頭をそっと撫でると、優しく微笑む。
「もう少し、このまま眠らせてやってくれ」
「かしこまりました」
レイミは毛布がずれないよう、そっと掛け直した。
馬車の中には再び静かな寝息が響き、穏やかな時間が流れていく。
◇
その頃――。
先頭を進む護衛騎士の一人が、街道の先へ鋭い視線を向けた。
「隊長」
「どうした?」
「前方に馬車が一台、停車しています」
視線の先、街道脇には商人らしき馬車が止まっていた。
だが、その周囲には木箱や荷物が散乱し、御者と思われる男が慌ただしく辺りを見回している。
「……何かあったようだな」
護衛隊長は手綱を軽く引き、速度を落とす。
「警戒を維持しろ。罠の可能性もある」
「はっ!」
騎士たちは即座に隊形を整え、周囲へ鋭い視線を巡らせる。
街道で困っている者を見捨てることは、レーベル公爵家の名に関わる。
しかし同時に、公爵家の一行を守ることも護衛の務めだった。
慎重さを失わぬまま、護衛隊はゆっくりとその馬車へ近づいていく。




