私は帝都へ出発したわ!
レーベル公爵家の正門前には、三台の豪華な馬車が並んでいた。
先頭は護衛騎士たちの馬車。中央には、公爵家の家紋が刻まれた主用の馬車。最後尾には荷物を積んだ馬車が控え、出発の準備はすべて整っている。
帝都までの道のりは、およそ三日。途中の宿場町で二泊しながら向かう予定だ。
「荷物の積み込み、完了しました!」
「護衛部隊、出発準備完了!」
騎士たちの威勢のいい声が屋敷に響く。
玄関前では、使用人たちが主人たちを見送るために整列していた。
「では、行ってくる」
ウィリアムが一同を代表して告げると、使用人たちは一斉に頭を下げた。
「いってらっしゃいませ!」
その光景を見て、アンジェリカも一礼する。
「留守をよろしくお願いね」
「お任せください、お嬢様」
今回、帝都へ向かうのはウィリアムとアンジェリカ、そしてアンジェリカ専属侍女のレイミをはじめとする、必要最小限の使用人たちだけだ。
フレアは屋敷に残り、公爵家を預かることになっていた。
「アンジェリカ。体調には気を付けるのよ」
「はい、お母様」
「困ったことがあれば、一人で抱え込まないこと」
「分かっています」
母娘は優しく抱き合う。
「楽しんでいらっしゃい」
「はい!」
アンジェリカは満面の笑みで頷いた。
やがて一行は馬車へ乗り込む。
アンジェリカとウィリアムは主用の馬車へ、向かいの席にはレイミが控え、公爵令嬢の専属侍女として旅の世話を務める。
「それでは出発します」
御者の声とともに、馬車がゆっくりと動き出した。
石畳の道を進み、公爵家の門を抜ける。見送りに立つ使用人たちの姿が、少しずつ小さくなっていった。
「いよいよね……」
アンジェリカは窓の外を眺めながら、小さく呟いた。
領都を離れるのは、領地視察を除けば、随分と久しぶりのことだった。期待と不安が入り混じる。
「ふぁ……」
その時、アンジェリカから小さな欠伸が漏れる。
「昨夜は眠れなかったのかい?」
「…………」
苦笑する父ウィリアムに、アンジェリカは気まずそうに目を逸らした。
「少しだけです」
「少し?」
レイミがすかさず口を挟む。
「正確には、夜中に四回ほど目を覚ましておりました。私の部屋に顔を出しに来たときは、何事かと思いましたが」
「レイミ! それは内緒だって約束したじゃない!」
「事実ですので」
淡々と返され、アンジェリカは頬を膨らませた。
「だって、仕方ないじゃない。結局ダンスも、完璧には踊れなかったし……」
夜会まで、毎日のように練習を重ねた。最初に比べれば見違えるほど上達したが、それでも舞踏教師からは「まだ改善の余地があります」と言われたままだ。
「もし当日失敗したらって考えたら……」
アンジェリカの声が自然と小さくなる。
「それに、皇太子殿下にもお会いするのでしょう?」
「緊張するのは、それだけ真剣だからだよ」
ウィリアムは娘を見つめると、ふっと微笑んだ。
「誰も最初から完璧ではない」
「お父様……」
穏やかな声が続く。
「大切なのは、失敗しないことではない。失敗しても立ち直れることだ」
アンジェリカは父の言葉を静かに聞いていた。
「アンジェリカは、この五年間で何度失敗した?」
「……たくさんです」
「そのたびにどうした?」
「やり直しました」
「そうだ」
ウィリアムは満足そうに頷く。
「だから、私は心配していないよ」
アンジェリカは目を丸くした。
「夜会でも同じさ。失敗したなら、次を成功させればいい。それだけの話だ」
その言葉に、肩の力が少しだけ抜ける。
「ありがとうございます、お父様」
アンジェリカは微笑んだ。
その様子を見ていたレイミも、小さく口元を緩める。
「お嬢様」
「なあに?」
「どうしても眠いようでしたら、お休みください」
「え?」
「帝都までは三日かかります。今のうちに寝不足を解消しておいた方がよろしいかと」
「……そうね」
昨夜は緊張で、ほとんど眠れなかった。
窓の外では、春の風景がゆっくりと流れていく。
馬車の心地よい揺れも重なり、瞼が次第に重くなっていった。
「少しだけ……寝ようかしら」
そう呟いた次の瞬間。
「すぅ……」
「早いな」
ウィリアムが思わず笑う。
「お疲れだったのでしょう」
レイミは眠るアンジェリカの肩に、そっと毛布を掛けた。
穏やかな寝息が、馬車の中に響く。
帝都への旅は、まだ始まったばかり。




